読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

知らざあ言って聞かせやしょう。

ただただダラダラ佇むダダイズム

久しぶりの、はてなブログとWordPress

#Design Bosjes Chapel, Ceres, Witzenberg Municipality, Cape Winelands District Municipality, Western Cape, South Africa [2000×1333]

前回この記事を書いたのが一ヶ月半前。少し動きがあったのでご報告と。ちなみにここで書くはてなブログというのは、今見ているこのブログのことではない。こことは別にはてなブログとWordPressで比較をするためのブログを運営している。どこで何を書いているかは仕事の関係上公開はしていないのである。詳しくは下のリンクを読んでもらえればと思いますぞい!

kabuku.hateblo.jp

 そんでもって動きというのは、ついにWordPressがはてなブログのアクセス数を超えたということ。集客はSEOのみである。今のところ5ヶ月目に突入で遂にという感じだ。今見ているこのブログよりも運営日数もアクセスも断然に多い。まあこれはWordPressの記事の方がSERPs(検索エンジン結果)の上位に表示されるようになったからである。さらには内部リンクの構築によってPVが増えたのもあるだろう。

自分で描いた設計図と同じように人が動いてくれると嬉しく思う。来てくれた人を迷わせたくない。もちろんリンク先にはその人が必要としているだろう記事を用意しておく。この部分をなんでも良いものにすると読んでいる人もフワフワしてしまう。相手の心の奥に存在する欲求をこちらから提供してあげるのだ。もちろんこれは想像するしかないのだがどんな人を呼びたいのかがはっきりとしていれば、ある程度予想をすることができる。

お客様の層を見極めて、それに合った集客をできるようになると無駄にアクセス数を稼がなくても、効率よく能動的にお客様がきてくれる。もちろんまったく見当ハズレなこともあったりするが、そこはトライ・アンド・エラーでズレを修正していく。これを続けていき精度を高めていくというわけなのだよねえ。Googleアナリティクスなどの解析ツールを使うと、その想像に数字という部分で大いに協力してくれる。Googleアナリティクスというのはアクセス数だけを見るものではないのだ。時にお客様の顔を見させてくれることもある。まあ顔というのは存在という意味なのだけどもね。

少し話しは変わるが、

WEBといえど訪れてくれたお客様にはそれぞれの顔がある。たとえば5万円の商品があるとしよう。軽々買えてしまう人もいれば、毎日お昼代を節約してやっと買える人もいる。数字では同じ「1」にすぎないが、同じ「1」ではないのだ。お客様それぞれに顔とストーリーがある。俺たち人間は数字にモノを売っているわけではない。人間にモノを売っているのだ。これはブログにも同じことがいえる。記事を読んでいるのは数字ではなくて人間だ。そこには沢山の顔が存在している。そのことを忘れてはいけない。

SEOというのは集客にすぎない。

そこから呼び込んだ人にどんな満足を与えるのか。それは商品だけでなく、情報やユーザービリティ、ユーザーエクスペリエンスと多種多様に存在する。情報量もすごく分かりやすいし見やすいしWEBサイトなんだけど、ショッピングカートがすごく使いづらい……こうなってくると情報だけをそのWEBサイトで確認をして購入は他のサイトでということにも繋がってしまう。せっかく人も呼び込めてお客様を納得させているのに購入を取り逃してしまう。こういったケースはよくあることだ。お客様がどこで躓いているのか。そういったことを考えて、よりよい環境を創り出すというのもWEBマーケティングの仕事なのである。

話がだいぶズレてしまったので話しを戻そう。

ある意味はてなブログとWordPressの初速からの流入という比較の意味はだいぶ薄れてきてしまった。予定よりもだいぶ早いが、次は両ブログのマネタイズ期に移行しようと思っている。AdSenseは導入せずに、とりあえずはアフィリリンクを貼る予定だ。すでに狙ったキーワードで上位に入り、狙いのお客さんが来て、引いた導線を進んでくれている。なので結果は出やすいと考えているが結果はどうであろうか。まあ両ブログ合わせて50万程の初期投資をしているのでその分は稼いでもらおうじゃないかい。そしてここで結果を出せれば、それを資料にして次は純広告に移る。

お金のことを書いたが、まあそれはどうでも良いのだ。作ったブログを参考にして本当に欲しいと思えるものに出会ってもらう。それが俺の望みだ。ここに注力する。その結果がお金になる。稼ぐのは悪いことではない。俺もお金がほしい。お金がほしいなら、どんな価値を提供すればお金を生み出すのか。これがお金優先で、どうしたらお金が稼げるのかとなってしまうと本末転倒なのである。つまり提供する価値の部分に注力するということだ。しっかりと集客が出来て、その価値に本当の魅力があれば自然とお金を生み出してくれる。このどちらが欠けてもいけないのだけどもね。

この「はてなブログとWordPress」シリーズでは報告というよりもWEBマーケティングに気軽に触れてもらえればと思って書いていたりする。なので専門用語などは極力使わないようにしているのだけども。今見ていただいているこのブログはまったくもって何も考えずに書きたいことを書いているようなブログだ。今日ここに書いたことを抜きに純粋に楽しみたい。個人ブログというのはやはりそこに尽きるのかなと。そんな感じでござりまする!

まず今日はこれぎり!

遂にこの時がきた。

time

すっかり書くのを忘れていたがこのブログを始めて三ヶ月が経過していた。ちょうど静岡に行っていたくらいか帰ってきたくらいか。三ヶ月目を見返してみたが、書きたいことが全然かけていなかったのだ。というよりも書いていたものに対して何か納得いかないところがあり投稿することが出来なかった。記事が下書きにたまる三ヶ月目。そんなこんなで記事の内容に偏りがあり、当然目標には遠く及ばなかった。俺のいう目標というのはアクセス数や何記事書いたということではない。そんなのはどうでもいいのだ。自らが何を書いたのか。そこに尽きる。

もう一度原点に戻ろう。俺はなぜこのブログを始めたのか。まあそんな大層な意義があったわけではないが、原点に返り見つめ直した時に違和感があったのだ。

この違和感というのは悪いことではない。ソワソワする感覚。自分に変化が訪れた時に感じるものだ。気づかないうちに俺は変化を遂げていたのである。これは皆さんのおかげとしか言いようのないものだ。ある意味で化学反応のように異質なものに触れたことで新しい感覚が芽生えてきている。そんなところだろう。

先日書いたクリエイティブの記事だって本来は全く違う目線の記事だった。下書きの状態のままのものを出していたらもっと意味の分からないものになっていたと思う。だがそこに新しい自分をプラスしてみた。他の記事の納得いかなかった部分も同じだと思う。だから下書きの状態のものをもう一度見つめなおして順次投稿していければと考えている。まあ読んでいる人にとってはなんのこっちゃという感じだと思うが、そんな風に思っている皆さんに俺は感謝しているということだ。

そして遂にこの時はきた。

パソコンやタブレットで見ている人は分かると思うが、ブログデザインを変更した、テーマはそのままCONTENTSを利用させていただいているのだけども、大幅に見た目を変えてみた。まず大きな所では2カラムから1カラムにした。サイドバーを記事の下に全て移動したのだ。1カラムのいいところは記事に集中してもらえるところだ。その変わりに記事以外への導線が弱くなるので記事の下は何をしてほしいのかしっかり意思を示す必要がある。その辺はまだやりながら様子をみていこうじゃないか。全体的にももう少しいじろうかとは考えているのだけども。

後は見出しやタイトルの装飾は全てはずしてしまった。写真やテキストがメインのブログに合いそうな感じだ。もはや全くもって別物になってしまったので自らテーマを投稿してしまった方が早いような気もしてきた。まあ使いたい人がいるか分からないが自分専用にしてもいいのかなと。

ただ1つ、はてなブログが出しているAdSenseの広告がバランスを崩してしまっている。これを消すには、はてなブログProにするしかない。もはや今月は目標を達成しているのでProにする時がきたようだ。AMPも導入したいと思っている。独自ドメインはどうしようかなあ。といった所かなと。

まあそんなわけでこの後Proへの移行作業進めますぞい!

まず今日はこれぎり!

もっと自由な発想でクリエイティブに己の道を拓こう。

f:id:onriedo:20170419050254j:plain

今日は真面目な記事を書いた。前から書こうと思っていた内容の記事が下書きにたくさん埋まってしまっていた。それらもこれから記事にしていこうと思っている。まずは、クリエイティブという言葉を聞くと、どんなことを想像するだろうか。

グラフィック、デザイン、写真、音楽、などなど。

このような感じで思い浮かぶのではないですかな?まあ一般的にいえばそれが当然のように感じると思う。日本ではこれらのモノをクリエイト(作る)する。作る人をクリエイターと呼称し、そのような人達がクリエイティブな人という意味で定着してしまっている部分もある。なので、クリエイティブと聞くと、私にはできない、才能があるっていいよね。みたいに語られたりもしてしまう。

このクリエイティブという認識は主に広告業界向けの職種の呼称なのだ。それが一般的に広まっていることで誤解された認識になってしまっている部分がある。

クリエイティブというのは身近な存在だ

本来のクリエイティブというのは創造する、独創的という意味になる。それはモノに限ったことではない。価値、考え方、発言、生き方、ビジネス、さまざまなことが全てクリエイティブな存在なのだ。

つまりなんであれ、誰でもクリエイトすることができるということだ。クリエイティブというのは特定の人に与えられた才能でも特権でもなく、全ての人に与えられている能力なのだ。 僕は絵も書けないしグラフィックも作れない。そういうことだけがクリエイティブではないということをまずは知ってほしい。本来の意味がわかればもっと自分らしくクリエイティブできるはずだ。

カタチにすればなんでも良いというわけではない

既存の真似や言われたことをやるだけでは、いわゆるオペレーターになってしまう。自ら考えることを置き去りにして目の前の与えられた作業をするということだ。もちろんそれが悪いわけではない。ただ、誰しももっとクリエイティビティを発揮することができるはずなのだが、自分にはできないと決めつけていたり諦めたりしている人は多いように思える。

創造性があるというのはオリジナリティがあるということだ。誰の真似でもなく自分で考えたこと。つまり新しい発想をカタチとして創り出すということだ。これが難しく感じるかもしれないが、常に自分で考えるようにしていけば感覚がつかめてくるようになる。何をしたいのかどうしたらいいのか、最初から外に答えを求める前に自らの心に聞いてみよう。最初の出発点はいつも自分なのだ。答えは自分で探しだすものだ。自分の中で新しい答えを模索する。自分の中にすでに答えはあるのだ。何も世にない目新しいことだけを考える必要なんてない。自分で考えた結果が他の人と同じでも構わない。自分でその答えにたどり着いたことが大事だ。そして答えが出たならばカタチにする。これがクリエイトするということだ。

とは言っても何もクリエイトできるものなんてないし……

そう思う人も多くいるだろうがブログだって例外ではない。記事を創り出しているのだからクリエイトできるはずだ。文字を、文章を、コンテンツをクリエイトしている意識をを持つだけでもかなり変わる。誰かに言われたから。誰かがやっているから。レールの上を辿っていてはクリエイティブなことはできない。オリジナリティを放棄して生み出されたものにクリエイティビティは感じない。それこそただただキーボードを打ちこなすオペレーションではないかと。つまりはオペレーターだ。ブロガーと名乗る前にブログオペレーターと名乗るべきではないか。

あなたはあなただ。それだけでも唯一無二なのだ。自分の生きてきた道がある。誰かと同じなんていうことはない。似たような人生はあっても、まったく同じ人生を歩んでいる人なんていないはずだ。今までの人生でも十分にオリジナルなのである。だから誰かになる必要なんかない。ましてや誰かと比べることなんてしなくて良い。できることできないことは今のままで良い。そんなあなたが感じたこと、考えたこと。書く言葉。そこにこそ意味や価値があるのだ。そういったことを放棄して既存の価値や意味を求めてしまうのはもったいない。オリジナルになりたいのであれば自らのオリジナリティを見失うことはない。それが分かればクリエイトすることもやりやすくなる。

自分でクリエイトしてカタチにしたものが評価される

評価というのは、生み出された結果に対して、好きな人(良い)、嫌いな人(悪い)がいる。ただそれだけだ。クリエイターはそれを受け止めればいいのだ。分かってくれないといじける気持ちも痛いほど分かるが、作品が嫌いという人や否定的な人でも、その人の中に一度受け入れているわけなのである。だからこそ出る反応なのだ。作品や意見が受け入れなかっただけであって、作り手の存在が受け入れられていないわけではない。だから悲しいことでもなんでもない。

むしろ批判があるということはそれだけ作り手の存在が認識されているということを感謝し喜ぶべきことなのだ。それすら遠ざけて小さい枠に収まるのは見ていて寂しく思う。反応の中には、暴言を吐いたりする人もいたりする。気持ちのいいものではないが、その人の中に受け入れられて存在しているからこそ消えてほしいと思われているのだ。その人が俺のことを目障りだろうが、ムカついていようが関係ない。俺はその人の中に存在できたことを喜ぶ。その人の人生のわずか数秒だとしても関われたことを光栄に思う。さらには感情を伝えてくれたことに感謝する。

みんなに認められるカタチなどこの世にはないのだ。自分がいくら正しく思った所で、隣の人にとっては正しくないことなどたくさんある。意見が分かれた所で相手を正そうとしたり認めさせたりする必要なんてない。自分だけ認められたくて相手を認めないのは傲慢だ。そんなのは自分の不安を消すための作業にすぎない。そしてそれは、より自分を苦しめることにつながることになってしまうのだ。だからといって相手を無視するわけではない。相手の考えを尊重し受け入れる。そうするだけで良いのだ。難しく考える必要はない。みんな違って当然なのだから。

クリエイティブに己の道を拓く

SEOだってマーケティングだってビジネスでもクリエイティビティが必要なのだ。そういった多くの記事を見ていると全てが後追いのことばかりが書いてある。記事を読んで自分のブログに取り入れたところで更なる後追いにしかならない。

Googleとのイタチごっこは終わらないというが、自らがその追いかけっこの輪にはいっているだけのように見える。もっと先を自分でクリエイトすれば良いのだ。流行りに乗っかったビジネスには終わりがくるのと同じだ。先を見ようとしない。

今売れるものだけを作り売ろうとする。自分でクリエイティブにできないから流行の後追いばかりしている。また流行が変わったと情報が入れば次の流行に移る。流行とのイタチごっこだ。それがビジネスではないと言ってるわけではないのだ。そういうビジネスでも成り立つ。誰かのクリエイティビティを真似するのは楽だ。自分で考えずに後についていけばいいだけなのだから。失敗だってそこまでないだろう。自ら分かって選択してその輪に入っているのならば、それでビジネスをしているのだから良いのだ。これも1つの方法であり選択だ。その選択をしたものを卑下したり間違っていると感じたりすることは無意味だ。違う道を選択し歩んでいる。ただそれだけだ。

しかし流行の後追いや人のマネをしていたら上限は知れている。本当はもっとできる可能性を秘めているのにもかかわらずその可能性を自ら潰してしまっている。もっと自分らしくクリエイティブに自分を最大限に活かせるはずだ。どちらを選ぶかも自分で考えて答えをだす。そして選択した道を進めば良い。

己のクリエイティビティを解放しよう

最初は分からないことだらけなので調べたり聞いたりして参考にし勉強するのはいいことだ。ただ勉強してそのままをカタチにするのではなく、もっと自分でクリエイティブにやってみてほしい。

創造(クリエイティブ)と聞くとどうしても突発的な一瞬のひらめきと語られることもあるが、クリエイトするということは何か特別なことをしなくたって良いのだ。何をしたいのか自分で考えてカタチにする。クリエイティブというのはその積み重ねなのだ。そしてその積み重ねから生み出されたカタチにオリジナリティというものが出てくる。己のクリエイティビティを解放してもっと自由に発想してクリエイトしてみようじゃないか。一歩一歩道を切り拓いていくのだ。 その選択肢は誰にだって用意されている。

まず今日はこれぎり!