ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

収益がありましたぞい!Wordpressとはてなブログ

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すっかりブログから離れた生活になってしまっているが、時間がある時にはこうして書いていきたいと思っておりますぞい!ということで、久々のWordpressとはてなブログの続報を本日は書いていこうかと。 

前回の記事でアフィリ広告を貼ることを書いたのだけども、その効果はありましたねえ。よく見る1PVあたりの金額でいえば、5円。たった5円と思うかもしれないけれども、この金額が結構良い数字だと分かる人も結構いらっしゃるのではないかと。まあ早い話しは10PVで50円100PVで500円1000PVで5000円10000PVで50000円ということであ〜る!WordPressサイトが数万PVだったのでまあそこそこ良い感じに収益が出ている感じでありますぞい!と。一応今後の目標としては1PVで15円程度までは上げていきたいなあ。少し時間がかかるかもしれないけれども不可能な数字ではない。ちなみにはてなブログの方は2円位。こちらはPVが少し低いが、まあ収入には繋がっている。

これは一応専門サイトだからこそ出る値段でもあると思う。雑記や色んなことを書いているブログだとなかなか1PVあたりの値段というのは上げにくいものだ。だからこそ数十万PVや数百万PVを目指してしまう所もあったりするのだ。だが専門サイトであればそこまでのPVを上げなくても一人あたりの単価を保てるので、ある程度のPV数であっても収益を上げることが可能になる。
だからと言って、ただたんに専門サイトを作ればいいわけではない。それは誤解しないようにしなければならない。専門サイトというのは名前のとおり専門的でなければならない。そして専門的なほどにお客様の購買意欲を刺激し購入に至るわけだ。つまりは相手を納得させる内容が必要であるのは言うまでもない。ただ専門的すぎると今度は何が書いてあるのか分からずに、もっと分かりやすく書いてある記事を探そう。と言いながらページから離脱してしまう。この絶妙なバランスを保たなければならない。基本的にはネットで調べて購入する層というのは初心者であることが多い。自分が知っている言葉や専門用語を使っても、難しいと感じるだけだ。書いてる人が凄いとは思われるかもしれないが、その先に繋がらなければ意味がないのだ。難しく書けると逆に本の出版や就職に繋がる等の可能性が出ることは否めないが、自分の目的がどちらかということだ。まあどちらにしても専門的な知識があるだけではなく、人に説明する力も必要になってくるというわけだ。
まあ言うほどに簡単なわけではないが、説明する力をつけるということはその販売物への理解を深めてくれる。人のためにすることが自分にも返ってくるのだ。

少し話しは反れるが、先日プロブロガーという方にお会いした。その方はブログセミナーもやっているということなのだが、話しを聞いてみると、なかなかもって、う〜んという感じであった。やはりテクニック重視という感じは否めない。ユーザーファーストだの人のためとか言っていること自体はなかなか良いことは言っていたのだが、人のためにとは?と聞き返すと、人のためは人のためでしょ?という返答。まあそれはそうだが本質が分かっていないのだろうかと。人のためというのを決まり文句のようにテクニックで理解しているようだ。本質で理解しているのとテクニックで理解しているのは全然違うのだけども。
まあ俺はそのプロブロガーを批判したわけではないのだ。ユーザーファースト、人のためというワードを目にする機会が多いのだが、ユーザーファースト?人のためとは?それを言っておけば良いみたいな風潮がある感じがしてならないかと。そういうことをもう一度再考して本質を理解することはしてみてもよろしいのではないでしょうか?っと。結局それは自分のためでしょ?的なのが多い。そんなことを考えの一番上に持ってこなくても、本質的なことをすれば最終的には自分に戻ってくるのだ。

久々に記事を書いたのだけども継続的に書いていないとなかなかペースが上がってこないものだなあ。継続は力なりですな。

まず今日はこれぎり!

起業はスペースシャトルの打ち上げ。望めばスイングバイだって可能だ。

startdash

最近は少しだけ仕事が落ち着きつつある。今日は下書きにあったものをちょっと修正して記事にしてみたぞいと!
仕事というのは全てを通して大変だが、最初は体力と神経をより使う時である。対象が起業や新規事業の場合は特に気持ちをグッと入れなくてはならない。スタートダッシュというのは大事になる。恐怖や不安があってもそこに立ち向かって加速していかなければ先には進めないのである。スタートダッシュが上手くいけば後は軌道に乗せるだけだ。そうなればいくらかは楽になる。

スペースシャトルや人口衛星の打ち上げが良い例だろう。俺はどういう仕組でスペースシャトルが打ち上がるかは分からない。だが、打ち上がるその瞬間というのは物凄い噴射がおきてやっとスペースシャトルが浮き上がる。上の写真を見てもその凄さが分かるだろう。そしてさらに加速するために更なる噴射が起こる。何段階かに分けて加速していく。そこでスピードが出ないと宇宙にはいけない。大気圏で押しつぶされてしまう。つまりスタートダッシュが大事ということだ。

宇宙に出た後は地球の軌道にのる。こうなると軌道にのって動けばいいのでそれほどの労力は必要なくなる。後は軌道の計算などをすることになってくる。そして今度はスピードアップをするために重力を利用して加速することができるようになる。スイングバイというらしいが、燃料の節約をしながら重力によって加速ができるのだ。

この流れというのは起業やその後の仕事などにも言えることだ。まあスペースシャトルや人口衛星場合は一日か数日で軌道にのるのだろうけど、仕事や起業でいえば大体3年位かなあ。最初は寝る間も惜しんで噴射を興しスピードをつけてスタートダッシュをする。スピードに付いていけないとか大気圏を突き破れないなんていう不安があったらスピードは出ない。とにかく自分のできることやれることで加速していく。上手く宇宙に出れたら今度はゆっくりだ。そのまま加速しっぱなしだと燃料切れになってしまう。軌道に乗れずに宇宙を彷徨うことになるかもしれない。軌道に乗れば今まで毎日頑張っていたのが嘘のように力を入れなくても順調にいくものだ。だが常に軌道に気を配らなければならない。これを怠っても軌道から反れてしまう。これに慣れてきたら後は自分次第だ。そのまま軌道に乗り続けて仕事をするもよし、更なる高みを目指してスイングバイをするもよし。ただ次に行くにも最初程の自分の力は必要ないのだ。ここまでくれば自分にも力が付いているし仲間もできる。環境もできてきている。これが重力となって加速を後押ししてくれる。それなのに自分の力だけで加速しようとするものもいるが、自分自分でやってしまうと次の高みに届くのに必要なスピードが得られないだろう。そういう人も何人も見てきたが。人間1人でできることなどたかが知れているのだ。周りの人への感謝という重力が必ず必要になる。それを絶対に忘れてはいけない。

自分も通った道だし、仕事上そういう対象を何度も相手にしているのでそういうことが分かるが、初めてであれば分からないことだらけだろう。今日書いたようなことを話してもピンと来ない者もいる。軌道にのって分かる者もいる。ブログだから仕事に置き換えて書いたが、普段はそこまでは言わないからだろうか。
だからと言って分かっている俺が全てをやってしまっては何の意味もない。俺がリードしなければいけないのは本当に危険な時だけ。後は暖かく見守るのが役目になってくる。対象者が自ら経験をして感じることだ。困難というのは沢山あるが、そういった苦しみを味わった先には楽しみが待ってるぞいと!もちろん全ての人が上手くいくとは限らないが、諦めずにチャレンジした者だけにチャンスは訪れるのであ〜る!

なんだろうね。今回はスペースシャトルや人口衛星を例に出してみたのだけども、人工的なものだけではなく、宇宙にしても自然にしても動物も色んな所に人生や仕事の教訓というのは溢れているものだ。人間1人の人生はその縮図と言うか、同じであると感じるんだよねえ。まあそんなこともまた書いていけたらと思いまずぞいと!

まず今日はこれぎり!

自分に自信をもつということは

 Self-confidence

お久しぶりです。やっと仕事も一息ついて、落ちついた時間を過ごしておりますぞい。こうしてブログを書くのも久しぶりだなあ。

最近は自分の過去を振り返っていろいろと考える時間が増えている。このブログだけでなく、現実の仕事においても発達障害児のサービスに関わることになったのも1つの要因なんだけども。

今までは個人ベースではインタビューを受けたり施設を回ったりしていたこともあったのだけども、もっと自分のできることを有効的に使って、活動の場を広げたいと思っていた。そんな時にある所からありがたい仕事のオファーをいただいたのだ。企業側は俺の過去等知らなかったが、初めての席で自分の過去や現在を話した。すると当初のオファー以上に今回の案件に関われる席を用意していただけた。仕事ベースになるが根本は変わらない。まだ自分に何ができるか分かっていない部分もあるが、俺だからできることが必ずあると信じてる。

昔の俺はまったくと言っていいほどに自分を信じていなかった。自信のかけらもない男だったのだ。こんな俺は駄目だ。俺にできるはずがない。俺がやらない方が人のためだ。そうやって自分を貶めていたのだ。今までの経験でしか自分を見れなかったからだろう。ずっと過去や病気に因われて生きてきた。だが、そんな俺でも今では自信に満ちあふれている。他人と比べれば俺なんて…というのはあるが、他人と比べる必要がない。これができるようになってから自信が溢れ出すようになってきたんだ。

俺のブログでは話しが急に飛んだり突然流れに沿わない言葉が出てくることがある。読んでいる人もそう感じている人はいると思う。結論がないままに次の話題に入ったりする。まあ個人ブログであればそこまでの完璧性を求めて読んでいる人はいないのかもだけど。これはわざとやっているわけでも面白くするために書いているわけでもないのだ。理路整然と書くことができない。これも俺の発達障害の一つの症状だ。

上手くまとめてから書けと言われたらものすごく時間がかかってしまう。話しがあっちこっちに飛んでしまうのだ。挙句の果てにテーマを決めていても最後には違う話しになっていたりもする。それが嫌になってきて書くのを辞めてしまうだろう。だが、上手くまとめて書こうなんていう気はない。それが俺の文章であり言葉なのだから。人と同じように書けなくても落ち込む必要はない。それを良いと思う人もいれば、読み心地が悪いと感じる人もいる。読み手の自由なので、どう感じてもらっても構わない。

自分で上手く書くことができない。だから仕事ではプロのライターに書いてもらう。そっれまで自分でやろうとすると苦しくなる。できないことはできる人に頼めばいい。もちろん金はかかるが、それだけの予算をもらえる仕事を取れば良いだけだ。自分の取り分ばかり考えていたら大きい仕事なんてできないぞいと。

胸を張っていえるものではないが、これでもだいぶマシにはなってきているのだ。とは言ってもすぐに書けるようになったわけではない。書くことを諦めずに続けていたら書けるようになったのだ。それ以前の文章は本当にひどいものだった。上手くまとめる気はないと書いたけども文章を上手く書きたい気持ちはある。向上心として自分のスタイルのままに伝えられる文章を書きたいと思っている。難しい言葉なんて使えなくても良い。幼稚な文章だって構わない。文字で自分を表現できるようになりたい。思いを乗せた言葉を吐き出したい。その為に上手くなりたい。これは自分自身の探求だ。

誰かの真似ではなくて自分の言葉を。

自分の書く文章と人の書く文章を比較していたら俺は書くことを辞めてしまっていたと思う。だって、小説みたいに上手い人もいたり、すごくまとまってるなあっていう人もいたりするし、面白い文章を書く人もいる。そんな人達と比較してたら何もできなくなってしまう。だから俺は比較しない。俺が書ける言葉を自信を持って綴るんだ。

自分に集中することで自信はついてくる

自分に集中すること。それが他人との比較や人の目線というものを遮断してくれる。逆に比較したり人の目線が気になる時は自分自身に集中出来ていない時なのである。集中できないのは誰かや環境のせいにするのは自分が自分に集中できていないだけなのだ。その言い訳に人や環境のせいにするのはよろしくない。俺は誰かが近くにいると何もできなくなってしまう人間だった。人の目線や評価ばかりを気にしていたが自分に集中出来るようになってからはその苦しみから解放されたのだ。たとえ誰が見てようが俺は自分の思ったことを書く。笑われようがなんだろうが関係ない。自分に集中出来れば周りなど気にならなくなるのだ。

そこから吐き出された言葉に相手がどう反応するかなんて考えていたら何も言えなくなってしまう。良い反応。悪い反応。どちらだっていいじゃないか。選ぶのは相手だ。そんなことよりも自分にどれだけ集中できたのか。そっちの方が大事だ。相手のせいにしても何も始まらない。いつだって答えは自分自身の中にあるのだ。

周りに自分の自信を見せびらかすためにあるものではない。そういうことをするのは、逆に自分に自信がない、もしくは、自信に不安があるのうだろう。大きくみせるためか?人にみせびらかすための自信なんてまやかしの飾りにしか過ぎないのだ。自信なんていうのも自分の中のものだ。心の中にあれば良い。それが自然に行動に現れる。

まだこれからしばらく忙しい時間が続く。あまり皆さんのブログを読む時間が作れないが、思ったこと、感じたことをこのブログに書き綴っていく。

まず今日はこれぎり!

Massとマス

今日は普段と同じように目覚める。嫁ちゃんと顔を合わせると、おはようと合わせていつもの朝の挨拶のようにいう言葉。「アイラブミー」という俺。「自分のこと大好きだねw」と返す嫁ちゃん。俺の日常である。今は追い込みの仕事が2つ重なり、ブログに向かう時間がなかなか取れていない。みなさんのブログも読むことが出来ず、Twitterにもあまり顔を出せていない状態。近いうちに戻ってくるぞい!と。

先日打ち合わせで、また東京駅にあるKITTEに訪れたので一枚の写真を載せておこう。無駄に高感度で撮影してしまったので、次に撮り直すと思うのだけども。タイトルは「Massとマス」

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まず今日はこれぎり!

ずっと欲しかったカール・ツァイスPlanar T* 1.4/50 ZF.2を買ったのでご紹介しますぞい。

先日の記事で、NIKONのD750用に、とあるレンズを購入したことは書いていたのだけども、そのレンズというのは、カール・ツァイスのPlanar T* 1.4/50という名である。ずっしりと重く、金属の冷たい感触がする。フォーカスはマニュアルのみ。ZF.2はニコンCPU、電子接点付きを内蔵しているのでAi-S互換。絞りはカメラ側で設定ができる。お値段は7万円ほどと安くはない。このレンズはずっと欲しかったレンズなのだ。あれはいつの頃だったかは忘れたがまだ学生の頃だったか。それ位前から欲しかったレンズをやっと購入できた。なぜこのレンズが欲しかったのか、少し遡ってみよう。 

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今の時代であれば、カール・ツァイスのレンズというとソニーのカメラに付いてるレンズ?という認識もあるかもしれないが、元々はドイツの光学機器製造会社が始まりである。ツァイス・イコンという傘下ブランドの元、コンタックス(CONTAX)というカメラを作っていた。ドイツといえば、あのライカと同じ土地だ。元々はライカと同じ位の勢力を誇っていたカール・ツァイスとコンタックス。そこに2つの戦争が起き、カールツァイスとライカに違いが生まれた。第二次世界大戦後にカール・ツァイスは東ドイツ側となりソビエト連邦に支配される。そして誕生したのがキエフというカメラだ。その後もカール・ツァイス・イエナとして名は残るのだが、西側のアメリカはその技術を欲しがった。そして東側から技術者や設計図などを奪還。こうしてカール・ツァイス・オプトンが誕生した。かなりざっくりな流れだが、この辺のカメラメーカーの歴史というのも面白いものがあるので、興味のある人は是非本など読んで見てもらえたらなと。

それから月日が経ち、コンタックスは一時休止。その後1970年代になり日本のヤシカというカメラメーカーとライセンス契約を結ぶ。それ以降のコンタックスはヤシカで製造されカール・ツァイスのレンズが搭載されたコンタックスブランドが復活した。しかしヤシカは経営不振になり、京セラに吸収される。それ以降は、京セラがカメラ事業を撤退するまでコンタックスを販売したのである。その後カール・ツァイスは日本のコシナと提携し現在に至っている。コンタックスのカメラは現在販売してない。

この京セラのコンタックスこそが俺が欲しかったカメラなのである。コンタックスRTSやコンタックス139にコンタックス137MDは今でも使用している人も居るくらいに愛されているフィルムカメラだ。その後はオートフォーカスも導入。俺が一番欲しかったコンタックスST。これにPlanar 1.4/50を付けて写真を撮影するのが夢だった。現在も中古で5万程度。ついつい買ってしまいそうな位に今でも欲しい一品だ。

その当時はお金もなく指を加えて見ていただけだったコンタックスやカール・ツァイスのレンズ。さすがに今はフィルムまでやる時間がないのでいずれ出来たらと思っていた。D750を購入する前はソニーのαシリーズの購入を検討した。しかし、D750を購入。カール・ツァイスは諦めていたのだけども、ニコンとキヤノンでも使用できるカール・ツァイスが販売されているのを思い出してしまった。そしてポチっとしてしまったのである。

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D750にもしっくりとくる。元々標準の単焦点レンズは購入予定だったのだけどもまさかこのレンズを購入してしまうとは。そしてこのレンズで写真を撮影できる日が訪れるとは。感無量である。Planar50mm 1.4で撮影をした写真をいくつか紹介しよう。

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先日横浜の山下公園に行った時の一枚。Planar T* 1.4/50らしい、うるさい位の玉ボケ。嫁ちゃんが先に歩いていってしまったので急いで撮影。ピントがダメダメ。どこにもピンとが合ってないミスショットだ。このレンズは1人で撮影に集中したい一品だなあ。嫁ちゃんにも、まだ?まだ?と連発されてしまった。しかし自分が撮られた写真を見たら、凄い!凄い!を連発していたなあ。

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Planar T* 1.4/50を持つと思わずモノクロ写真を撮りたくなる。家の近くの神社で撮影をしてみた。ヌルっとしたフォーカスリングを回してピンが来たときには思わずニヤけてしまう自分がいる。写真を撮る喜びを再認識させてくれるレンズ。これからモノクロ写真にハマりそうだ。というかハマっている。

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東京駅のKITTEにて撮影。この写真ではわかりづらいが少し暗めな所で撮ると、ウェットな写真を吐き出す。 滲みが出るせいかなあ。黒もとてもグラマラスというかマーベラスだ。ドラマティックに演出してくれる。開放ばかり撮影していたのだが、次は絞った写真も撮ってみよう。

という感じでPlanar T* 1.4/50ではまだまだそんなに撮影していないので、これからこのレンズのポテンシャルというのをもっと体感してブログにも載せられればと思っておりますぞいと。しかし、開放では被写界深度がかなり浅くピントがなかなか合ってくれない。F1.4だと明るい野外でISO100でも露出オーバーになってしまったりとなかなかのじゃじゃ馬っぷりだ。まあ自分の腕が全然なのもあるのだけども、このじゃじゃ馬を乗りこなせるようになりたい思いが、向上心に火を付けてくれるのだ。共に進もうPlanar50mm F1.4よ!

まず今日はこれぎり!

カール・ツァイス―創業・分断・統合の歴史

カール・ツァイス―創業・分断・統合の歴史

 
Carl Zeiss PLANAR T*1.4/50mm ブラック ZF.2 (ニコンCPU内蔵マウント対応)PLANART1.4/50BKZF2

Carl Zeiss PLANAR T*1.4/50mm ブラック ZF.2 (ニコンCPU内蔵マウント対応)PLANART1.4/50BKZF2

 

 

苦しむ人に何かを伝えていきたい所存ですぞい。

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先日足の側面に痛みを感じていたのだが、その痛みが続き激痛に。どうやら短腓骨筋腱付着部炎というものになってしまったようだ。みなさんは何炎だろうか?まあ何炎でない方がいいのだけども。

俺は過去に椎間板ヘルニアになってしまったことがある。腰が痛いとは感じていたのだけども、ただの腰痛かと思って放っておいた。マッサージ等は受けていたのだけども腰は痛むばかり。ある時に左足に痺れが続くようになった。そして歩く度に腰に激痛が走る。それでも日々を過ごしていたのだけども、遂に足が思うように動かなくなり足を引き釣りながら歩いていた。

さすがにこれはまずいと思って病院にいったら、椎間板ヘルニアと診断されたのだ。しかも普通の人なら歩くのも困難な状態ですよと医師に言われた。俺は普通じゃないんですか?と聞き返すと、しまったばかりに言葉を詰まらす医師。看護師さん達は笑っていたなあ。まあ手術してなんとか治ったのだけどもね。

後から分かったことなのだが、これは発達障害の症状の1つだった。よくよく思い出してみると、小学校の低学年の時に兄と遊んでいて、俺は木から落ちてしまった。まあ普通に痛かったので泣いた。家に戻っても痛かった。だが普通に過ごしていた。次の日に学校で傷みに耐えきれずに早退し病院へ行くと、3箇所も骨折していたのだった。その時は親にも先生にも我慢強い子と言われていた。だが本当は感覚が鈍いということだったのだ。痛みの感じ方というのも人それぞれだが、俺の場合はその感覚が非常に鈍いのだ。

俺は発達障害やADHDの症状が他にもいくつものあると診断された。それらの症状が俺を社会不適合者にし統合失調症を併発する原因にもなった。もちろんそれらが俺を苦しめてきたのも事実である。だが、そんな自分に後ろめたい気持ちなどない。今ではむしろ発達障害やADHDである自分に誇りを持っている。これは個性なのだ。一般的な普通ではないかも知れないが、苦しむことのない生活を、いや、毎日を楽しく過ごせている。発達障害やADHDが治ったわけではないが、仕事も家庭も人間関係もすべて良好だ。どんな症状であれ俺の生活を苦しめる理由にはなっていない。

おそらく一般的な大きな社会にいれば俺はずっと苦しんでいたと思う。だが自分の社会を築いたので楽になったのだ。社会が何かをしてくれないというのではなく、自分のいるべき社会にいること。大きな社会ではないがクローズドでもない。それが自分らしく生きることを可能にしてくれた。発達障害やADHDと聞くと出来ないことばかりがクローズアップされるが、そういった人達だからこそ出来ることもあるのだ。

正直なことをいえば、今の一般社会(マジョリティ)は異常だと思う。それは俺の社会(マイノリティ)からみた一般社会だ。あちらから見れば俺は異常だと思われるだろう。お互いに異常ならそれで良いじゃないか。異常の質が違うだけなのだ。どちら側にしても何故自分だけが正常だと思いたがるのだろうか。数でいえば圧倒的に一般社会の方が多い。だが多い少ないの問題ではないのだ。お互いに理解しあうことの方がどれだけ有益か。俺は一般社会から酷い仕打ちを受けたが憎んではいない。彼らは彼らで自分の社会の常識を行っただけなのだから。それが俺から見れば異常だと思って批判しても何も始まらない。お互いに出来ることに違いがあるだけなんだ。たったそれだけなのに大きな差別が生まれてしまう。

もちろん、マイノリティを差別しない社会になってほしい気持ちはある。しかし、

俺がいる社会においてもマジョリティは異常だという声はたくさんある。アイツらがおかしくて正常なのは俺たちだ。病気なのはアイツらの方だ。そう言ったことを声を荒げてSNSで拡散している。自分達だけを正当化したいのだろうか。俺は凄いことを知っていると自分の優位性を示したいだけにしか思えない。なぜ戦おうとするのだろうか、共存しようと思わないのか。さらにいえばその拡散をしているSNSなどはマジョリティの産物だ。マジョリティだろうがマイノリティだろうが、大きな括りでは同じ社会にいて、密接に関わっていることを分からないのだろうか。どちらが正しいのかという環境において自らが苦しんできたのにも関わらず、自分の方だけを正しいとする。そこに何が生まれるかは自分が一番分かっているはずではないのだろうかねえ。もし社会的にマジョリティとマイノリティが逆転したとしても、そういった人達によって差別が生まれるだろう。それでは何も変わらない気がする。

自分の中の答えを探そうじゃないかい

これは発達障害やADHDの人だけではなく全ての人に言えることだが、合わないことや出来ないことに苦しまなくたって良い。むしろ合わないことや出来ないことを出来るようにすると苦しみが増してしまう。それでは自分が誰だか分からなくなってしまうんだ。誰かになる必要はない。人と比較もしないで良い。ただ自分らしくいてほしい。そうすれば自ずと本来いるべき場所が見えてきて楽にもなれる。簡単に書いたが簡単なことではない。だか真剣に自らに向き合えば自分の心の中に答えがすでにある。大袈裟にいえば答えはそこにしかないのだ。答えが分かれば、今までは人や社会のせいにして来たのが、全て自分のせいだったことに気づくはずだ。

過去の俺と同じように苦しむ人に何かを伝えられたら。そういう部分をもう少しこのブログでも書いていければと思ってる。その人の役に立つかは分からないが、誰かに伝われば良い。どんなに小さな光でも明かりを灯すことにつながれば嬉しい限りだ。上手く伝わるかどうかは分からないが、それでも書きたいと思ってる。そんな感じですぞいと。

まず今日はこれぎり!

無駄遣い話しから何故か悩みの話題へ

家なき男

昨日ブログを投稿した後に、注文していたレンズが無事に届いた。そこまで高いレンズではないのだけども、ずっと欲しかったレンズだ。ちょうど嫁ちゃんも帰ってきてしまったので試し撮りは次の機会に。はっきりいうと仕事では使えないと思う。趣味の世界のもの。まだ試し撮りもしていないので今回は記事には書かないが、今日はこの後出かけるので、購入したレンズをカメラに付けて初撮影してこようと思っている。

というかD750のレンズセットともう一本レンズを購入。その前にはManfrottoの三脚。そして今回のレンズ。その間にはPeakDesignのスライドというカメラストラップも購入。まったく関係ないがBEAMSとNORTH FACE PURPLE LABELがコラボしたスプリングコートも買ってしまった。この一ヶ月ほどでかなり金を使いまくってしまっている。今のところ予算内なので大丈夫なのだがそろそろ止めないといけないなあと思いつつ次の欲しいモノを物色中である。

まあ今でも大金持ちではないが、一時期はひきこもりを続け、果てにホームレスをしていた頃では考えられない生活を今はしている。期間は違うが、ひきこもりの時もホームレスの時もその当時は一生このまま続くことなのかと思っていた。統合失調症の時もそうだ。だが、後から思えば僅かな時間にも感じる。今こうして生きていられるのは、周りの人のおかげだ。もちろん自分が頑張った自負もあるが、そんなのはちっぽけだし自分の中のことだ。人々への感謝を忘れてはいけない。これを忘れた時、俺は過去のような自分に戻ってしまう。馬鹿な話かと思うかもしれないが、感謝というのは人生において、それだけ重要なのだ。

話がかわるが、

一瞬一瞬を見てしまうと正確に判断出来なくなってしまうものだ。車とか電車とかに乗ってると、近くのもモノは早く動くけど遠くのモノはゆっくりと動いているように見える。早い速度で走ってて近くの標識とか認識するのって大変ではないか。すぐに通り過ぎてしまうから余裕なんてない。力もグッと入る。でも、ある程度の距離があるものを見る時には、ゆっくりと進むので瞬間で見ようとしなくても余裕があるので楽だ。

サッカーの例えの方が分かりやすいか。サッカー場やテレビで見ていると、逆サイ空いてるじゃん!今のシュートでしょ!!あーーもう!!とかそんなシーンに出くわしたりする。遠くから見ているとピッチ全体が見えているので、そう判断するのは楽だろう。しかし自分が実際にピッチでボールを持っていると想像してみてほしい。全体を見ることができない。更には敵がボールを奪おうと迫ってきている。そんな中で瞬時に判断をして次の行動を起こさなければいけない。どうだろう?正しい判断が出来るだろうか。何もせずに動けないか逃げてしまうこともあるだろう。

これは現実にも同じことが言える。プレッシャーをかけ続けられる中でどれだけ正しい判断が出来るだろうか?だがもしそれを遠くから見れる自分がいたらどうだろうか。

俺だって今でも嫌なことや辛いこともある。それは生きていれば当然だ。だがそんな自分を客観的に遠くから見れる自分もいる。その瞬間瞬間の悪いことが後々の良い行き先に繋がるのが見えるというのだろうか。だから嫌なことや辛いことがあっても時間をかけずに切り替えることができる。さっきの例えでいうと、車から見た遠くの景色。ゆっくりと動いてるから余裕をもっているので感情の揺さぶりも少ない。そして遠くから見ている分、目的地も見えるから次はどこにパスを出そうかというような道のりも分かりやすい。こんな風に書くと特殊能力なんじゃないかと思う人もいるかも知れないが、俺自身がプレッシャーに負け続けて何もできずに動けない人間だった。だが今ではできるようになっている。これは成功体験による所が大きいのかなあ。逃げずに自分と向かい合ってきた結果だ。最初の経験や成功はどんなに小さくてもいい。誰だってまずはそこからがスタートだ。

そんなんで嫌なことや辛いことがあっても俺は今では悩んだりすることはないんだけどもね。まあ考えたりはするさ。考えを放棄したら生きていけない。けどそこで止められる。でも悩みとかって人それぞれあって、大きい小さいとかもあるけど、人の悩みと比べない方が良いと思うんだよねえ。誰かにとって小さい悩みでもその人にとっては大きい悩み。だから相手に自分の感覚で、そんな小さい悩みなんて!とかいうのってあんまり解消には繋がらない。ほら、僕はこんなに不幸だったんだよ。世界中を見てごらんよ。それに比べれば君の悩みなんてね?これも。その場その場では、ああっそうか!僕の悩みは小さかったんだ!と思うだけ。また次の悩みを見つけてしまったりするものなんだ。まあつまり何かの悩みを解消するよりも悩む癖というかその根本の心を見てほぐしてあげないとなんだよねえ。そうすれば嫌なことや辛いことがあっても悩みにはならなくなる。

うん?俺は今日何を書こうと思っていたんだったけか。思いつきのまま書いてしまったようだ。まあいつものことか。

まず今日はこれぎり!

俺のブログが転換期を迎えてるらしいじゃないか。

転換するイメージ

世間はGW真っ只中であるが仕事をしている。みなさんは何事をされているであろうか?今までの人生の中でもGWというのはあまり体験せずに過ごしてきた。まあそれはどうでもいいのだけども。

先日遂にはてなブログProに登録をした。これで俺もはれてProのマークがプロフィールのIDの横に表示されるようになった。それに合わせてProに登録したからこその設定を変更した。はてなブログ側で出しているAdSenseも表示されなくなった。うん、マーベラスだ。しかし、カスタマイズ時のテスト用に自分でAdSenseを2つほど入れてみた。これはしばらくしたら消すかもしれないのだけども様子を見てみようじゃないかあ。

カスタマイズはもう少し変更点を加えたいとは思っているのだけども徐々にかなあ。ワンカラムもカタチとしては良い感じに稼働中。本当は幅を広げたいんだよなあ。今は800pxなんだけどね、960pxまで広げていきたい。160pxも変わるとだいぶ違うのし写真のサイズも変更しなきゃなのでどうしましょうかと。まあ変えたばかりだしここももう少し様子を見てみようじゃないかあ。

AMPは導入したものの、25ページほど致命的な重大エラーが起こっているとサーチコンソールからメッセージが届いた。はてなのAMPでどこまでできるのかいろいろ試そうと遊んでいたので余計なものを入れてしまったようだ。CSSはAMPに対応するもののみを入れてはいたのだけどもねえ。今はその半分に減っているがどうなることやらである。一応テストツールなどを使い最新の状態を見る限りはエラーと表示されていたページも有効になりエラーも出ていないので時間が経過すれば大丈夫なのだろうか。とりあえずFetch as Googleで送信してみてる所である。ただAMPはクロールに時間がかかる。かなりタイムラグがあるんだよねえ。というかその前にやらなければいけないこともあったのでまだまだ絶賛修正中なのである。

そんでもって今回は調子にのって独自ドメインを登録してしまったのだ。本来であれば、marvelous.comなんていうドメインを取りたかったのだけど、残念ながら使われていた。.com以外も調べてみたが、良いのがあまりなかったので、marvelousの部分をmarvelousoneとしてみた。しかしこれも.comが使用されていたので取得できず。その時に目に入ったのが、.tokyoだ。なかなかマーベラスな響きじゃないかい。ということで気に入ったので早速ドメインを取得して、はてなブログに設定をしてみた。というわけで、このブログのURLは「www.marvelousone.tokyo」となりましたぞい!

あとは全然関係ないのだけども、レンズを購入してしまったあ。あの欲しかったレンズを遂に。今は配送中なのである。明るい内に試し撮り出来ればいいなあ。まあレンズのご報告などはまた今度するとしようじゃないかい!

まず今日はこれぎり!

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