ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

どうして俺はひきこもりから抜けだせたのか。約三年間ひきこもりを続けて再生した時のことを書いてみようと思う。

Washes away

昨日はブログを書くのを休んだ。書く気力はあったのだが休みも必要だ。

そう思った俺はたくさんの人のブログを読んでみた。

みんなおもしろいブログを書くものだ。

あの人はこんな記事を書けるのに俺はどうして書けないんだ……

そう思う人もいるだろうが俺にはそんな気持ちはない。

人と自分を比較することはもうすでに辞めているので我道を進むだけだ。

しかし昔の俺は自分と人を比較して生きてきた。

あいつができることが俺はできない。こいつができることが俺はできない。

だれもが当たり前のようにしていることができなかった。

その場で笑われたりその後の笑いのネタにされることもあったのだ。

俺の心はズタボロだった。そしてすべてが怖いと思いはじめた。

何もかもが違いすぎて先日の記事で親が言った言葉さえ心の支えにはならなかった。

今となっては違うが当時の俺にはそんなものは慰めでしかなかったのだと思う。

そうやって敗北感の中で生きていた。自分を卑下しつづけていたのだ。

何をしてもできないと感じては放棄して止まってしまう。

そんなことを繰り返していき俺は何もできない人間なのだと自分を責め続けた。

そして俺はだれとも話せなくなり自らの箱に入り重い蓋をして閉じこもった。

自分の世界ではだれとも比べられない。傷つけるものもいない。

俺が俺でいられる唯一の場所だった。

心が安らげる場所であるまさに安楽の地。もう俺はこの場から出ないと強く思っていた。

そうして俺はある時期3年程ひきこもり生活を送ることとなった。

親と同居していたが顔を合わせるのはご飯の時だけ。

俺はそれ以外の時間をパソコンと向き合ってある作業をしていた。

一つおもしろいのは朝起きて一定の時間パソコンをいじって休憩をとりまたパソコンに向かう。

それを繰り返して一日を終えて眠りにつく。ほぼ三年間一定のリズムで生活をしていた。

だれに強制をされるわけでもなく自分でそうしようとしたわけではない。

自然とそうなっていたのだ。今思うのはそのリズムを壊すことが怖かったのかもしれない。ということ。

俺の中で無意識的に感じていた境界線がそこにはあったのだと思う。

 

親は心配はしてくれていたが特に何もいうことはなかった。

まさに安楽の地だ。

俺は一生このまま過ごすのだろうかと不安になることは何度もあった。

約1000日以上もそんな生活をしていたのだから。

そういう時はパソコンに向かい作業に集中する。

現実逃避のように自分が己に与えたプロジェクトをクリアしていくのだ。

こんな俺にも夢があった。それがプロジェクトの内容。何かはいまの所伏せておくことにする。

プロジェクトをクリアできた時には俺の心は安心感に満ちあふれ落ち着いていた。

このままで良いんだと言い聞かせるように。

そうして三年間俺はひたすらプロジェクトをクリアし続けていった。

その中にはかなり厳しいものもあったようだ(後に知ることになる)

とにかくクリアし続けなければ先には進めないと思い込んでいた。

それさえできれば働ける。今度のプロジェクトをクリアできれば。こんなんじゃ駄目だ。今度の今度の今度のといった具合に無限のようにつづいていった。

 

数十人だからデータとしては無意味かとは思うがここ数年ひきこもりだった人と話す機会があった。

その時に聞いたのはほとんどの人は自分に任務を与えていたようだ。

俺のように作業をするもの。本を読むもの。中には猿同様の生活をするものもいた。彼は今でも本当の猿のように完璧なまでにその動きや鳴き声を真似することができる。何かの役に立つかは別として素晴らしい才能だ。

きっと人から見れば分からないことでも自分の中に大義を見つけて遂行することが心の落ち着きになっていたんだと思う。

自分も生きている。という実感がほしかったんだと思う。

 

この状況から抜け出せたのにはある出来事があった。

ある時に兄が俺の現状を見かねて部屋に入り込んできたのだ。

それは説教もあったし厳しく言われもした。

ただこの時間を耐えればまた安楽の地に戻れると思い話しを聞きながら兄が出ていくのを待った。

だがそう上手くはいかなかった。

兄は俺に質問をいくつもぶつけてきた。適当に答えてたが通用はしなかった。

ありきたりな答えでは納得してくれなかった。兄は俺の心の言葉を聞きたかったようだ。

仕事をしろという話しになり、俺はいつかするから大丈夫とあいかわらずのありきたりな答え。

何度も何度も聞き返してくるので俺はこう答えたのだ。

いまはプロジェクトの途中で忙しいんだ!と逆ギレのように言い放った。

俺はプロジェクトという言葉を放ってしまったと思い兄の様子をうかがった。

プロジェクトのことはだれにも話したことがなかった。

兄からしたらプロジェクト??と言ったところだろう。

予想どおりプロジェクトってなんだよ?ということになり。

兄は俺の行動を怪しみパソコンを見ようとした。

自分がやったものを人に見せれば貶されるという過去の記憶が俺の中に蘇ってきた。

特に兄は俺がしていたプロジェクトの作業にも精通してる人間なのだ。

俺は力を振り絞り必死に兄を止めようとした。

兄はそれを振りほどき結局はパソコンを見られてしまった。

綺麗に並べられたプロジェクトのフォルダを一つづつ黙ってみていく。

俺は途中からその行動を直視できなくなった。

恐怖悲しみ怒りさまざまな感情が俺の中を駆け巡る。

これお前が作ったの?

兄の言葉に俺は無言でうなづいた。

そして兄はまたプロジェクトを見ている。

どうせ時間の無駄だと言われるのだろうと俺は覚悟を決めた。この時間さえ我慢すればと自分に言い聞かせて。

お前これ凄いよ。全部一人でやったんだろ?凄いよ。凄いよと連発していた。

兄は夢中になると興奮して同じ言葉を連発する癖が昔からある。

だから俺には兄の気持ちが強く伝わってきた。

これだけできればすぐ働けるよ!よし今日からうちに来い!

兄の特徴として何をするにも良くも悪くも単純だ。俺はその単純さに何度も救われてきた。

いままでの自分の時間がなくなる不安やこの先の恐怖が俺を締め付ける。

嫌だ嫌だと自分の心の声が聞こえてくる。どんどんその声は大きくなってくる。

でもどこかでこの時を待っていた自分がいたのだと思うんだ。

だれかが手を差し伸べてくれるのを。この重くて大きな蓋を空けてほしかったんだ。

自分では抜け出せないから誰かの力を貸してほしかった。

そして重い蓋を兄が空けてくれたのだ。

隙間から差し込んだまばゆい光が俺の心の声をかき消した。

こうして俺はこの日から兄の家で住むことになったのだ。

 

兄は当時独身。働けるまではとりあえずは掃除洗濯とご飯を作るということになった。

それをやりながら仕事を探す。

家事なんてやったことがない俺は戸惑った。どうせやってもできないと思う自分もいた。

しかしその時の俺が昔と違っていたのはこれもプロジェクトだと思えばいいんだと考えたこと。

いままでやってきた作業が掃除洗濯や料理に置き換わっただけだと。

もちろん最初は戸惑い失敗もあったがやっていくうちに段々と楽しくなってきた。

兄の家ではインターネットが自由に使える。WEBで検索をしながら方法を探っていった。

こうして掃除洗濯はとことん綺麗に。料理の腕もみるみる上がっていったのだ。

焼き物煮物蒸し物。野菜に魚に肉。毎日違う献立を考えて作った。

魚をさばいて見せたりオシャレな料理を作って飾ってみたり。

兄はそんな俺の上達ぶりに驚きを隠せなかった。

兄の彼女や友人にも料理を振る舞ったこともある。

こんな弟でも恥ずかしいなんていうのを一切見せずに兄は俺を自慢の弟だとみんなに紹介してくれた。

そしてみんなも俺の料理に舌鼓を打った。俺が作ったものを褒めてくれる。

どうやって作ったのか聞かれて答えたりもした。少し自慢げに。

みんな俺に感謝を伝えてくれた。俺はそれが素直に嬉しかった。

それが自分もできるんだという自信にも繋がった。だから毎日毎日上達をしつづけた。

しかし肝心の職探しは一向に進まなかった。

プロジェクトをやることと同じで家事をやることが俺の心を安定させてしまっていたのだ。

生きてる実感をその中に見いだしてしまっていたのだろう。

明日から来週から。料理ができるようになってから。そうやって理由をつけては先延ばしにし続けたのだ。

これでは今までと何も変わらない。

正直面接に行くのが怖かった。誰も俺のことを知らないところにいくのが。

何度も何度も逃げ出していた。

求人広告をみてはもう締め切っちゃったかなと自分に言い聞かせて電話をしない。

仕事してる姿を想像してはやはり無理だと引き下がる。

そんなのも何度も続いた。

ありもしないことを想像しては恐怖を感じていたのだ。そんな恐怖など実際にはありもしないのに俺は全てにおびえていた。

実際電話をするのにも何時間もかかった。電話に出たらすぐに切る。上手くしゃべれない。面接を取り付けても翌日にはキャンセルをした。

会社の目の前に行っても入れなかった。相手からしたらいい迷惑だっただろう。

でも一歩づつ前進してる自分を感じていた。勇気が俺の中に芽生えてきたのだ。

余談だが俺が面接に行けなかった会社に数年後にそう言った事実を連絡した。あの時は申し訳なかったと。それと自分が少しづつでも踏み出せた勇気をもらっていたこと。全ての人のおかげで俺は今生きてると。

それすら迷惑だったかも知れないが面白いことにそれがきっかけとなり今でも繋がっているところもあったりする。

やっと面接まではたどり着けてもなかなか採用はもらえなかった。

最初は喋ることも出来なかったので当然だと思う。

でも諦めずに続けていった。

これも今までと同じでプロジェクトだ。ただ相手が人間だということが少し勝手が違う。人によって反応が毎回違うからだ。そこに戸惑ったのもあったがコツが分かるようになってきた。

そして面接をうけることがいままでのようにだんだんと楽しくなってきた。

面接官が俺の言葉に感心したり笑ったりしている。ひきこもりだった時の話しを熱心に聞いてくれる人もいた。うちの息子も…と相談までされたこともあった。

こうして俺の恐怖はどんどんなくなっていったのだ。自信というベクトルとはまったく違う曲線を描くように。

おかげさまでついに俺はある会社に勤めることになった。仕事的には単純な作業だったが俺は毎日遅刻せずにしっかりと仕事をした。

あまりコミニュケーションをとらなくても済む職場なのでありがたい。

だけれども挨拶だけはしっかりした。

思い描く夢とはかけ離れた世界だったが心地よかった。

俺は前のように仕事をプロジェクトとして日々上達していった。

そして数ヶ月後にはその会社で一番早くなってしまったのだ。

別に一番になろうとは思ってなかったのだが気づいたらそうなっていた。

その時に自分はできるんだという自信が確信に変わった。

昔は誰でもできることができないと思っていた自分が嘘のように思える。

俺は自分に集中することを学んだ。誰かとの比較ではなく自分の中での戦いだ。

それに打ち勝った結果が一番という成績につながった。

なぜそう思ったかというと誰かを追い越そうと思っていたらきっと俺はできない自分に打ち拉がれていたであろう。

仕事も続かなかったと思う。

その時から俺は未だに他の誰かと自分を比べなくなった。

自然と比べている時もあるがそういう時は自分に集中できていない時だ。

そういう時は作業ははかどらないし結果もともなわない。

逆に自分に集中できたときというのは結果がいいものだ。数字も付いてくる。

そしてもう1つは自分は完璧主義なところがあったのだと思う。

反対にそれが俺の技術を成長させてくれたことにもつながったとも言えるのだが、とにかく自分の描く理想を叶えられなければ駄目だという状態が俺自信を締め付けていたのだ。

そこまでたどり着けなければ何もできないと。誰よりも自分が一番自分を駄目だと思っていたのだろう。

最初からはできないというのは当然である。

しかし駄目な自分を受け入れることができなかった。何かが崩壊しそうで受け入れるのが怖かったのだと思う。

今では駄目な自分を受け入れる器が自分の中に備わっているので精神的にはだいぶ楽になっている。

後は自信と勇気が俺の行動を駆り立ててくれたことが大きい。これは今でも俺のベースにあるものだ。

誰かのせいではなくて全て自分の中の問題なのだと今では感じている。

ただただ俺は弱く繊細で駄目な自分を受け入れることが出来なかっただけなのだ。

そして何よりも兄には感謝している。もちろん親にも。そして関わってくれた全ての人にも。これは感謝してもしきれない。恩返しできるように生きていくよう努力するよ。

 

話しは戻るが次第に俺の給料は上がり1人暮らしをはじめることになった。

兄が結婚が迫っていることもありそうしなければならなかった。

そこでもう一つ俺に転機が訪れることになる。夢の一歩を踏み出せるような転機が。

少し長くなってしまったのでそれはまた書くとしよう。

まず今日はこれぎり!

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