ちょっとヤンチャだった頃の自分も書いてみようかなあ。
実をいうと昨日の記事を書いているときは結構凹んだ。
自分の過去を書くというのはもっと簡単だと思っていたが意外と難しい。
さまざまな感情がこみ上げてくる。
飲み屋で昔はこうだったと笑って話すのとは訳が違った。
でも書いて良かったなと今では思っている。
何か1つのハードルを超えたような気がするんだなあ。
しかもこの俺が5000文字も書いてたなんて驚きだ。
今日は続きを書こうと思ったのだが少し違う俺を書いてみようと思う。
俺は学生のころは結構活発な子どもだった。活発というかヤンチャな時期も。
今までの記事からは想像つかないかもしれないが若い時は勢いでなんとかなっていたのだろう。
中学校1年の時まではサッカーをやっていた。今でもサッカーを見るのは好きだ。
意外に上手かったんだ。地区で強いチームではないが1年の2学期頃からはスタメンで試合にも出た。
先輩の中には俺のことを快く思ってなかった人もいるが
既に卒業していた3歳上の兄達の影響で手を出してくるものはいなかった。
3年の先輩にはリーゼントで怖い先輩がいてその先輩が良くしてくれていたのもあるだろう。
俺の育った街にはヤンキーが多かった。というよりも街に本職の人がおおかったのだ。
夏には上半身裸で刺青を出しながら歩いている人もいる。そんな街だった。
良く言えば人情のある街だ。当時はそういう人が多かった。
子どもの頃にはそういう人達と普通にふれあいながら育ったのだ。
その影響かどうかしらないが中学の先輩は短ラン長ラン中ランの人もたくさんいた。
ビーバップハイスクール全盛の頃だ。はいすくーる落書きやろくでなしBLUESはもう少し後だったか。その辺はあまり詳しく覚えてない。
サッカーから話はそれてしまったが2年の時に俺は身体検査で1つの異常が見つかった。
それは不整脈である。中学生だと出やすい時期や疲れている時に出やすい人もいるらしく俺は再検査をうけることになった。
その再検査でもひっかかり体に何か機械をつけて一日日常を過ごすという検査もした。
学ランの下にもその機械を付けて登校した。
まだその当時の俺は何のことか分かっていなかったのでみんなにそれを見せびらかせて喜んでいた。
そして検査の結果、常に不整脈が出ているのが発覚したのだ。
それでも俺には分からなかったのだが、将来歩けなくなるからサッカーは止めなさいと言われた。
その時に初めて俺は自分がどんな状態か察したよ。まさにキャプ翼の三杉君だ。
そこでサッカーを続けていればそうなれたかも知れないが俺は親や先生に説得されてサッカーを辞めた。
しばらくはおとなしくしていたのだがサッカーをしていたエネルギーを発散する何かが欲しかった。心の穴を埋めたかったのだ。
交友するグループを広げて遊んでみたりもしたが気があわずに離れたりを繰り返していた。
小学校では仲がよかったやつも数年すると変わるものだ。もちろん俺も含めてだが。
そして一番落ち着く場所がいわゆる不良グループだったのである。
ゲーセンに行ったりケンカしたりグループ内で揉めたり。いつも何かが起こっていた。
それに俺は魅了されたのだ。今思えば何が楽しかったのか分からないがその時は楽しかった。
髪を茶髪にして短ランを着てボンタンを履いていた。
茶髪はフレッシュライトだったか。当時は髪にミストみたいなのをかけると色が落ちるというのがあった。それを使用して少しづつ色を抜いていった。
その頃はファッション感覚で楽しかった。
しかし3年になると他校とのケンカばかりが続いた。いわゆる島争いだ。
どこの中学が一番なのか。それは3年生で決まる。
俺が1年2年の頃はうちの中学が一番だった。だから世代が変わるとまず他校はうちを狙ってくる。
俺自身ケンカは強くなかったので苦手だった。だが負けないようになんとか頑張ったのだ。
顔はお互いに知れているのでちょっと街に繰り出せば出会い頭に揉め事が始まる。
たまり場にいた時には他校の30人位が乗り込んできたこともあった。
他校よりも劣勢になれば先輩に呼ばれてみたいなのもあった。
とにかく落ち着く場所がなかった。
疲れ果てたこともあり俺はそのグループとは距離を置きたいと思い始めた。
もちろん抜けるなら抜けるでケジメはつけなければいけないのだが
これだけ体力使うならサッカーをやりたい。そう思いはじめていた。
俺の心の穴は埋まってなかったのだ。
その後結局この世代でもうちの中学が一番になった。
これで何もなければしばらくは平和が続くのだが俺はグループを抜けた。
前は楽しいと思えることが楽しいと思えなくなってしまったのだ。
抜けたといっても個人同士の関係は続いていた。
俺は制服を普通に戻した。髪は茶髪のままだ。
そして俺は親友に出会うことになる。彼とは音楽の話で気があっていた。彼の作るカセットテープを聞きながら話すのが日課となったのだ。
彼と彼の幼馴染と三人でよく遊ぶことになる。遊ぶとはいっても音楽を聞いたり話をしたりした。彼らは俺の知らないことをたくさん知っていてとても刺激的だった。
刺激とはいってもまた前とは全然違うものだ。今でもこの時のことは俺の中に残っている。ケンカなんかで得た刺激よりもしっかりと大きく。
それはサッカーができなくなった穴も埋めてくれた。
昨日の記事でもそうなんだけれどもこうしてみると頭の中で残っている思い出はモヤモヤなものでも書き出せば良い思い出になるなっていうのは感じた。
読んでる人はそう感じないかも知れないが俺の中では確かにそう感じるのだ。
もう少しその辺を上手く書けるようになればいいのだがそれは今後の課題ぞな。
まず今日はこれぎり!