ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

ただただダラダラ佇むダダイズム

先日の夜からまたヘッダーを変えてみた。

スマホの人は見れないと思うので一応画像を貼っておこう。

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もはや何か分からない。俺にも何か分からない。手法的にはコラージュになるが意識的に作ったものではないからなあ。

そこにはダダイズムがある。ダダイズムというのは芸術運動の1つだ。戦争反対や既成の芸術に思想、秩序や常識、意味さえ全てを破壊・否定するといった思想を芸術に取り入れた。

意識的に作られたものは芸術ではないといわんばかりに偶然や無意識的にできたものが芸術だと訴えかけたかけたのだ。

さらには思想の裏側や、いわゆる既製品を使った芸術やコラージュ。まあこれも既製品を並べたものだからなあ。そういったものを芸術の中に取り入れたのはこの辺から。

ダダイズム自体はあまり長くは続かなかったが後に流れを汲むシュルレアリスムポップアートなんかにも大きく影響を与えている源流だったりするんだなあ。

この動きがなければダリやウォーホールも世に出ていなかったかもしれない。中原中也ダダイズムに出会うこともなかったのだろうなあ。

とまあ今回のヘッダーは今までに購入していたけどボツで使わなくなった素材を適当においてみただけ。しかも酒に酔った状態で。

これもダダイズムの手法の1つである自動筆記みたいなものだ。

まあこの記事はダダイズムの説明をするものではないので興味がある人は調べてみてほしい。なかなかおもしろいものだ。

ちなみにダダという名前は辞書を適当にめくり見つけた言葉だと言われている。俺のブログもそのようなものだ。

さらにはこのブログではかなり無作為に書く内容を決めている。順番なんてあってないようなものだ。思いつきでしかない。だからある意味ダダなのだと思った。

最初に作ったヘッダーはオシャレだと好評もいただいた。もちろんそれは嬉しい限りである。俺もこれからWEBのことを書いていくのであれば少しちゃんと作ろう。そういう意識が働いていた。いわゆる置きにいくという感じだ。

それじゃ駄目だとその後すぐに昨日までのヘッダーに変更をしたのだがそれでもまだまだこれじゃないという感じが否めなかった。

そして現在に至るのだがどこかでヘッダーは伝えなければいけないという心のブレーキがかかってしまっている。もっと解放をもっと破壊をしていこう。

これはこれから説明するであろうマーケティングなんかとはまったくの逆である。知っているからこそ破壊や否定をしてみるのもいいのではないか。知らなければ破壊や否定もできない。

ある意味そこには新しい何かがあるのかもしれないなあ。

ブログとはこういうものでこう書いてこういう風にしてという常識というか方法みたいなものに縛られていたら本当にオリジナルなコンテンツを生み出すことはできないであろう。何を書くかなんて自由に決めれば良い。

さらには俺が語ろうとしている愛や生き方というのもダダイズムではないだろうかと感じたのだ。だからヘッダーもダダイズムでと考えた結果生まれたものだ。

だからこのサイトのディスクリプションも変えて

「ただただダラダラ佇むダダイズム」に変更した。これも意味などない。

語感がいいからこれにしたという感じだ。なかなか決まっている。むしろこれをブログタイトルにしてもいいのかもしれないなあ。

まず今日はこれぎり!

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