ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

今の俺が親父に思うこと。

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今日は久しぶりの自分語り。というか自分の親父語りか。

以前にも書いたが俺の親父は、世間でいう良い親父ではなかった。暴力、酒、愛人、金を家に入れない。そんな父親だった。

昔はそれこそ怒りが込み上げてくるほどに嫌いだった。嫌いというよりも恨んでいた。一度縁を切ったこともある。正直な所道連れにしたいとも思っていた。まあ俺自身も生きていても意味がないと思っていたころの話しだ。

親父はもう八年前にあの世に行ってしまった。俺は親父のことは生前に許すことはできていたが喧嘩ばかりで最後まで本当の意味での仲直りは出来なかった。

今となっては旨い酒を一緒に飲みたかったなあ。それだけは心残りだ。

そしてこの何年か特に思うことがあるのだけれども、今この年齢になり俺が8歳頃の親父の年齢と今の俺を思い浮かべてみる。今の俺には正しい判断ができるとはとても思えない。それは親父も同じだったはずだ。この記事を読んでいる皆さんが何歳かは分からないが、今思うことが全てではないのは分かるはずだ。年齢を重ねていれば特にそう思うだろう。若いころに思っていたたことが、今では違う風に思えたりもする。あの時に感じた、これ絶対真理だろ!がもろくも崩れる経験なんて何度もしているはずだ。親だってそれは同じだと思うんだ。

親から子どもの頃に言われた言葉。そこには迷いがあったのかもしれない。親自身も感じたばかりだったことかもしれない。まあ何も考えていなかったのかもしれない。つまりは正しい言葉や行いではなかったということ。30歳、40歳で完成している人間なんてほんのわずかだと思う。もしかしたら居ないかもしれない。親の立場になってみるとあの頃はそうだったのかな。こういう気持ちだったのかな。そんな風に寄り添うことができる。

さらに言うと俺の親父は今でいえば社会不適合者だったであろう。少しおかしいのだ。他の父親とは違った。これは俺だけが感じていたことではなく、周りの友人にも言われたことなので変だったのは確実だ。

まったく俺と同じだ。だが俺との違いでいえば、親父はサラリーマンとして長い間働いていたこと。後に事業主とはなるのだが。
つまりは俺ができないことを親父はしていたのだ。辛いこともあっただろう。我慢したことも。一般的に見れば当たり前だと思うかもしれないが、社会不適合者にとっては当たり前ではない。今の俺にはそれはできない。まあできないというよりもしない道を選んだ。

だからといって暴力が許されるのかといえばそうではないのだけれども、それは親父が未熟だったのであろうと思っている。だがそれもなければ今の俺もない。良い悪いを抜きに俺だけの人生目線で考えれば必要悪だったのだ。だから感謝もしている。

親父は大きな問題を抱えていた。きっと生きているのにも苦しかったのだと思う。今よりもそういうものの受け皿もない時代だ。俺が世に出てから受けた苦しみよりももっと多くの苦しみを感じていたのかもしれない。多分、俺もその時代に今の年齢だったらと考えると、もっと過酷な人生になっていたのではないかと思うんだなあ。

実際の親父のことは本人にしか分からない。どれだけ考えたところで理解できない部分もあるだろう。まあそんなのは所詮無意味なことだ。

理解できずとも俺は親父のすべてを受け入れる。

昔の親父はただただ怖かったよ。

ただただ嫌いだったよ。

ただただ憎かったよ。

そして俺はただただ寂しかった。

でも俺は心のどこかで親父は格好いいんだと思っていたんだ。

今でもそれは変わらいない。いや、昔以上にそう思ってる。

今日位は枕元に出てきてもらってかまわない。もしも幽霊の親父でも骸骨だって構わない。どんな親父でも受け入れるよ。

だから今日は一緒に飲もうじゃないかい。

誕生日おめでとう。親父。

 

まず今日はこれぎり!

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