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知らざあ言って聞かせやしょう。

ただただダラダラ佇むダダイズム

これが本当の「お金の奴隷解放宣言」?元家なき男が語ってみようかなあ。

生き方 自分語り

Abandoned Detroit

先日闇を書くのは止めにしようと思ったが書ける部分は書いていこうと思う。本当に書けない部分は書かない。その線引をはっきりとしたのだ。

まあ順序だてて話しをしていないのでどの時期かというのは読んでるか分かりづらいと思うが書きたいと思う順番で書いていく。

最近西野氏が「えんとつ町のプペル」を無料公開したということが話題になっていた。無料にすること自体は俺は賛成だ。それはマーケティングの手法である。早い話は一部のブログだってそうなのだ。今までお金を払っていた情報が今ではネット上に溢れかえっている。無料公開という部分だけでいえば同じなんだなあ。文字を書く人もクリエーターだから。
ただ順序だったりそのことによって人を見下したり人を出し抜いたりしなければだがねえ。その部分では同意はできないが。

そして彼が言っていた「お金の奴隷解放宣言」この文字を見た時に俺は期待した。ただ俺の思っている内容とは違ったが。

俺はある時に貧困の暮らしをしていた。約三年間のひきこもり生活から働くこともできるようになったのだが体を壊してしまってねえ。

今度は働きたくても働けない状態になってしまったのだ。約三年分のロスを巻き返すように身を粉にして働きすぎたのが原因だ。

それはあまり時間をかけずに直ったのだがこれがトリガーとなって俺はまたひきこもり生活を送ることになる。

はじめは貯金もあったのでそこまで不自由はなかった。だがそれも尽きてきて毎日小麦粉を焼いて食べていた。俺はこのまま金が尽きてしまうんじゃないかと恐怖におびえていたよ。

その恐怖は現実のものとなった。ガス水道電気が止まり、なんとか待ってもらっていた家賃も払えずに家を追い出されてしまったのだ。

もう親も兄も頼ることはできない。その日から俺は家なき男になった。

最初の方は意外にもその状況を楽しんでる自分がいた。しかしそれは長くは続かない。俺は他の家なき人達が集まる公園のような所にいきついた。

だがそこには俺の居場所はなかったのだ。ちょっと空いていた場所に座っていたら邪魔だと追い払われた。次の場所でもその次の場所でも。居心地の良さそうな場所は全てだめだった。きっと縄張りというのがあるのだろう。俺はそう思って公園の片隅の凹凸の酷い所になんとか落ち着いた。

ここは何も言われないから大丈夫そうだ。やっと落ち着いた安心からか急に眠気が襲ってきた。そういえばしばらくの間安心して眠れていなかった。

ここで少し休もう。そう思って俺は眠りについた。

数時間位してからか目が覚めて周りを見渡す。するとどこかで見たような服を着てる男が歩いている。

あれは俺の服だ。

我に戻った俺は自分の周囲を見渡す。荷物がなくなっていた。

家を追い出されるときには持てるものはバッグに詰め込んだ。そのバッグごとなくなっていたのだ。

俺はその男に詰め寄ったが知らんの一点張り。ついには俺に殴りかかってきて、殴られはしなかったが俺はその勢いで倒れ込んだ。

反撃に出ようとも思ったが、その衝撃が俺を弱らせた。

もうだめだ。人生終わった。何もかも終わった。そんなふうに思っていたなあ。

俺は公園を離れ寝場所を見つけるために彷徨い歩いた。
やっと落ち着けそうな場所を見つけて座る。ここで俺の生活?が続くことになる。
ここでは詳しくは書けないが食い物はなんとかなるものだ。

何日くらい経った時のことが分からないがある家なき男が俺に酒をくれた。どこから持ってきたのか何の銘柄なのかなんて気にしない。久しぶりに飲む酒は上手かった。そして急激に酔った。

彼と何時間も話し仲良くなった。それから数日後にはまた酒を持ってきてくれた。その数日後も。俺はその変わりに食べ物をあげた。

 このことがきっかけだと思うのだが俺の中に希望という光が戻ってきた。何かどう作用したのかは分からないがこのままではいけないということに気づいたんだ。

俺は何かをしなければいけないという衝動にかられた。
次の日からゴミ拾いをはじめることになる。掃除をしたかったんだ。というよりもなんでもよかったからしたかったのだ。そこに生きる意味を見出すためにも。何もしないで過ごす日々はまるで死んでいるようだったのだ。朝から晩までひたすらにゴミを拾った。しかしその姿は家なき男のたんなる物拾いにしか見えなかったであろう。

しかしある時にあるご老人が俺に近寄ってきて竹ホウキをくれた。古典的な魔法使いが持ってるまさにそんな感じだ。そのご老人は俺が単なる物拾いではなく掃除をしていたのを見ていてくれたのだ。俺はその時泣いたなあ。そういう見方をしてくれる人もいるんだなあって思って。

そして俺はもらった竹ホウキを使い掃除することになった。角から角まで綺麗に。すると今度は会釈をしてくれる人やありがとうございますと感謝してくれる人までいる。たったホウキを持つかどうかだけで人の対応が全然違う。このホウキは本当に魔法がかかっていたのかもしれない。

ご老人はその後もご飯や飲み物をくれた。お風呂に入れと家にもあげてくれた。古着だが服もくれたのだ。

その後も俺は掃除しつづけた。身だしなみも綺麗になってきたので俺のことを変な目でみる人も少なくなってきた。俺はお掃除お兄さんとしてその界隈ではちょっとした有名人にもなっていたのだ。

その後家なき男というのが問題になりいろいろとあったのだがそのおかげで今度は家も貸してくれる人が現れた。無料でだ。さらに仕事も紹介してもらえた。こうして社会復帰を遂げることになったんだ。

俺は最初のゴミ拾いから何かもらえると思ってやってなかった。

ホウキもご飯もお風呂も服も家も仕事も。

しかしあのまま何もしていなかったら俺は今こうしてブログを書いていることはないだろう。とにかく何かをしなければという行動を起こした結果がすべてを運んできてくれた。いい人がいたというのがあるがそれも行動を起こしていなかったら出会っていなかったことだ。これは偶然にしても必然にしても何かをやろうとした結果なんだ。

俺は今でもこれが根本にあってお金をもらおうとして仕事をしているわけではない。何かに励んだ結果がお金になると思っている。お金は結果でしかないのだ。これが現在俺が上手くいってる理由の1つでもあると思っている。

お金が優先してしまうとどうしても苦しくなる。自分も相手も。だからお金に縛られないで仕事をする。お金がなくなった所で生きていくこともできることが分かった。だから俺は今金がなくなってしまうことも恐れていない。減ることなんてもっと怖くない。するとお金が入ってくる。
お金がないことで焦燥感などがあるのも経験上分かるがそれが視野や行動を狭くして自分の首をさらにしめる。だがお金を怖がらなければ焦燥感もない。もちろんそれによって視野や行動が狭くなることもない。

おかしな話しだがお金を儲けるのが怖いという人もいる。お金というのを恐れている人ほど稼げないしお金が減っていく。お金というのは近世においては必要なものだ。無くてはならないと思うのだがお金は人間が使うものであって使われてはいけいない。お金に支配されてはいけない。何もお金を恐れれる必要はないのだ。今こそお金に立ち向かおう!

ということこそが「お金の奴隷解放宣言」だと思う。

そんな感じかなあ。

まず今日はこれぎり!

 

後日談として

俺に酒をくれた男性は今では俺と一緒に仕事をしている。彼には奥さんがいたのだが今では家庭に戻り幸せに暮らしている。

俺は今でも時間が空けばその付近を掃除している。ちなみに竹ホウキは三代目。