ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

苦しむ人に何かを伝えていきたい所存ですぞい。

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先日足の側面に痛みを感じていたのだが、その痛みが続き激痛に。どうやら短腓骨筋腱付着部炎というものになってしまったようだ。みなさんは何炎だろうか?まあ何炎でない方がいいのだけども。

俺は過去に椎間板ヘルニアになってしまったことがある。腰が痛いとは感じていたのだけども、ただの腰痛かと思って放っておいた。マッサージ等は受けていたのだけども腰は痛むばかり。ある時に左足に痺れが続くようになった。そして歩く度に腰に激痛が走る。それでも日々を過ごしていたのだけども、遂に足が思うように動かなくなり足を引き釣りながら歩いていた。

さすがにこれはまずいと思って病院にいったら、椎間板ヘルニアと診断されたのだ。しかも普通の人なら歩くのも困難な状態ですよと医師に言われた。俺は普通じゃないんですか?と聞き返すと、しまったばかりに言葉を詰まらす医師。看護師さん達は笑っていたなあ。まあ手術してなんとか治ったのだけどもね。

後から分かったことなのだが、これは発達障害の症状の1つだった。よくよく思い出してみると、小学校の低学年の時に兄と遊んでいて、俺は木から落ちてしまった。まあ普通に痛かったので泣いた。家に戻っても痛かった。だが普通に過ごしていた。次の日に学校で傷みに耐えきれずに早退し病院へ行くと、3箇所も骨折していたのだった。その時は親にも先生にも我慢強い子と言われていた。だが本当は感覚が鈍いということだったのだ。痛みの感じ方というのも人それぞれだが、俺の場合はその感覚が非常に鈍いのだ。

俺は発達障害やADHDの症状が他にもいくつものあると診断された。それらの症状が俺を社会不適合者にし統合失調症を併発する原因にもなった。もちろんそれらが俺を苦しめてきたのも事実である。だが、そんな自分に後ろめたい気持ちなどない。今ではむしろ発達障害やADHDである自分に誇りを持っている。これは個性なのだ。一般的な普通ではないかも知れないが、苦しむことのない生活を、いや、毎日を楽しく過ごせている。発達障害やADHDが治ったわけではないが、仕事も家庭も人間関係もすべて良好だ。どんな症状であれ俺の生活を苦しめる理由にはなっていない。

おそらく一般的な大きな社会にいれば俺はずっと苦しんでいたと思う。だが自分の社会を築いたので楽になったのだ。社会が何かをしてくれないというのではなく、自分のいるべき社会にいること。大きな社会ではないがクローズドでもない。それが自分らしく生きることを可能にしてくれた。発達障害やADHDと聞くと出来ないことばかりがクローズアップされるが、そういった人達だからこそ出来ることもあるのだ。

正直なことをいえば、今の一般社会(マジョリティ)は異常だと思う。それは俺の社会(マイノリティ)からみた一般社会だ。あちらから見れば俺は異常だと思われるだろう。お互いに異常ならそれで良いじゃないか。異常の質が違うだけなのだ。どちら側にしても何故自分だけが正常だと思いたがるのだろうか。数でいえば圧倒的に一般社会の方が多い。だが多い少ないの問題ではないのだ。お互いに理解しあうことの方がどれだけ有益か。俺は一般社会から酷い仕打ちを受けたが憎んではいない。彼らは彼らで自分の社会の常識を行っただけなのだから。それが俺から見れば異常だと思って批判しても何も始まらない。お互いに出来ることに違いがあるだけなんだ。たったそれだけなのに大きな差別が生まれてしまう。

もちろん、マイノリティを差別しない社会になってほしい気持ちはある。しかし、

俺がいる社会においてもマジョリティは異常だという声はたくさんある。アイツらがおかしくて正常なのは俺たちだ。病気なのはアイツらの方だ。そう言ったことを声を荒げてSNSで拡散している。自分達だけを正当化したいのだろうか。俺は凄いことを知っていると自分の優位性を示したいだけにしか思えない。なぜ戦おうとするのだろうか、共存しようと思わないのか。さらにいえばその拡散をしているSNSなどはマジョリティの産物だ。マジョリティだろうがマイノリティだろうが、大きな括りでは同じ社会にいて、密接に関わっていることを分からないのだろうか。どちらが正しいのかという環境において自らが苦しんできたのにも関わらず、自分の方だけを正しいとする。そこに何が生まれるかは自分が一番分かっているはずではないのだろうかねえ。もし社会的にマジョリティとマイノリティが逆転したとしても、そういった人達によって差別が生まれるだろう。それでは何も変わらない気がする。

自分の中の答えを探そうじゃないかい

これは発達障害やADHDの人だけではなく全ての人に言えることだが、合わないことや出来ないことに苦しまなくたって良い。むしろ合わないことや出来ないことを出来るようにすると苦しみが増してしまう。それでは自分が誰だか分からなくなってしまうんだ。誰かになる必要はない。人と比較もしないで良い。ただ自分らしくいてほしい。そうすれば自ずと本来いるべき場所が見えてきて楽にもなれる。簡単に書いたが簡単なことではない。だか真剣に自らに向き合えば自分の心の中に答えがすでにある。大袈裟にいえば答えはそこにしかないのだ。答えが分かれば、今までは人や社会のせいにして来たのが、全て自分のせいだったことに気づくはずだ。

過去の俺と同じように苦しむ人に何かを伝えられたら。そういう部分をもう少しこのブログでも書いていければと思ってる。その人の役に立つかは分からないが、誰かに伝われば良い。どんなに小さな光でも明かりを灯すことにつながれば嬉しい限りだ。上手く伝わるかどうかは分からないが、それでも書きたいと思ってる。そんな感じですぞいと。

まず今日はこれぎり!

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