ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

ちょっとヤンチャだった頃の自分も書いてみようかなあ。

Fight!

実をいうと昨日の記事を書いているときは結構凹んだ。

自分の過去を書くというのはもっと簡単だと思っていたが意外と難しい。

さまざまな感情がこみ上げてくる。

飲み屋で昔はこうだったと笑って話すのとは訳が違った。

でも書いて良かったなと今では思っている。

何か1つのハードルを超えたような気がするんだなあ。

しかもこの俺が5000文字も書いてたなんて驚きだ。

今日は続きを書こうと思ったのだが少し違う俺を書いてみようと思う。

俺は学生のころは結構活発な子どもだった。活発というかヤンチャな時期も。

今までの記事からは想像つかないかもしれないが若い時は勢いでなんとかなっていたのだろう。

中学校1年の時まではサッカーをやっていた。今でもサッカーを見るのは好きだ。

意外に上手かったんだ。地区で強いチームではないが1年の2学期頃からはスタメンで試合にも出た。

先輩の中には俺のことを快く思ってなかった人もいるが

既に卒業していた3歳上の兄達の影響で手を出してくるものはいなかった。

3年の先輩にはリーゼントで怖い先輩がいてその先輩が良くしてくれていたのもあるだろう。

俺の育った街にはヤンキーが多かった。というよりも街に本職の人がおおかったのだ。

夏には上半身裸で刺青を出しながら歩いている人もいる。そんな街だった。

良く言えば人情のある街だ。当時はそういう人が多かった。

子どもの頃にはそういう人達と普通にふれあいながら育ったのだ。

その影響かどうかしらないが中学の先輩は短ラン長ラン中ランの人もたくさんいた。

ビーバップハイスクール全盛の頃だ。はいすくーる落書きやろくでなしBLUESはもう少し後だったか。その辺はあまり詳しく覚えてない。

サッカーから話はそれてしまったが2年の時に俺は身体検査で1つの異常が見つかった。

それは不整脈である。中学生だと出やすい時期や疲れている時に出やすい人もいるらしく俺は再検査をうけることになった。

その再検査でもひっかかり体に何か機械をつけて一日日常を過ごすという検査もした。

学ランの下にもその機械を付けて登校した。

まだその当時の俺は何のことか分かっていなかったのでみんなにそれを見せびらかせて喜んでいた。

そして検査の結果、常に不整脈が出ているのが発覚したのだ。

それでも俺には分からなかったのだが、将来歩けなくなるからサッカーは止めなさいと言われた。

その時に初めて俺は自分がどんな状態か察したよ。まさにキャプ翼の三杉君だ。

そこでサッカーを続けていればそうなれたかも知れないが俺は親や先生に説得されてサッカーを辞めた。

しばらくはおとなしくしていたのだがサッカーをしていたエネルギーを発散する何かが欲しかった。心の穴を埋めたかったのだ。

交友するグループを広げて遊んでみたりもしたが気があわずに離れたりを繰り返していた。

小学校では仲がよかったやつも数年すると変わるものだ。もちろん俺も含めてだが。

そして一番落ち着く場所がいわゆる不良グループだったのである。

ゲーセンに行ったりケンカしたりグループ内で揉めたり。いつも何かが起こっていた。

それに俺は魅了されたのだ。今思えば何が楽しかったのか分からないがその時は楽しかった。

髪を茶髪にして短ランを着てボンタンを履いていた。

茶髪はフレッシュライトだったか。当時は髪にミストみたいなのをかけると色が落ちるというのがあった。それを使用して少しづつ色を抜いていった。

その頃はファッション感覚で楽しかった。

しかし3年になると他校とのケンカばかりが続いた。いわゆる島争いだ。

どこの中学が一番なのか。それは3年生で決まる。

俺が1年2年の頃はうちの中学が一番だった。だから世代が変わるとまず他校はうちを狙ってくる。

俺自身ケンカは強くなかったので苦手だった。だが負けないようになんとか頑張ったのだ。

顔はお互いに知れているのでちょっと街に繰り出せば出会い頭に揉め事が始まる。

たまり場にいた時には他校の30人位が乗り込んできたこともあった。

他校よりも劣勢になれば先輩に呼ばれてみたいなのもあった。

とにかく落ち着く場所がなかった。

疲れ果てたこともあり俺はそのグループとは距離を置きたいと思い始めた。

もちろん抜けるなら抜けるでケジメはつけなければいけないのだが

これだけ体力使うならサッカーをやりたい。そう思いはじめていた。

俺の心の穴は埋まってなかったのだ。

その後結局この世代でもうちの中学が一番になった。

これで何もなければしばらくは平和が続くのだが俺はグループを抜けた。

前は楽しいと思えることが楽しいと思えなくなってしまったのだ。

抜けたといっても個人同士の関係は続いていた。

俺は制服を普通に戻した。髪は茶髪のままだ。

そして俺は親友に出会うことになる。彼とは音楽の話で気があっていた。彼の作るカセットテープを聞きながら話すのが日課となったのだ。

彼と彼の幼馴染と三人でよく遊ぶことになる。遊ぶとはいっても音楽を聞いたり話をしたりした。彼らは俺の知らないことをたくさん知っていてとても刺激的だった。

刺激とはいってもまた前とは全然違うものだ。今でもこの時のことは俺の中に残っている。ケンカなんかで得た刺激よりもしっかりと大きく。

それはサッカーができなくなった穴も埋めてくれた。

昨日の記事でもそうなんだけれどもこうしてみると頭の中で残っている思い出はモヤモヤなものでも書き出せば良い思い出になるなっていうのは感じた。

読んでる人はそう感じないかも知れないが俺の中では確かにそう感じるのだ。

もう少しその辺を上手く書けるようになればいいのだがそれは今後の課題ぞな。

まず今日はこれぎり!

どうして俺はひきこもりから抜けだせたのか。約三年間ひきこもりを続けて再生した時のことを書いてみようと思う。

Washes away

昨日はブログを書くのを休んだ。書く気力はあったのだが休みも必要だ。

そう思った俺はたくさんの人のブログを読んでみた。

みんなおもしろいブログを書くものだ。

あの人はこんな記事を書けるのに俺はどうして書けないんだ……

そう思う人もいるだろうが俺にはそんな気持ちはない。

人と自分を比較することはもうすでに辞めているので我道を進むだけだ。

しかし昔の俺は自分と人を比較して生きてきた。

あいつができることが俺はできない。こいつができることが俺はできない。

だれもが当たり前のようにしていることができなかった。

その場で笑われたりその後の笑いのネタにされることもあったのだ。

俺の心はズタボロだった。そしてすべてが怖いと思いはじめた。

何もかもが違いすぎて先日の記事で親が言った言葉さえ心の支えにはならなかった。

今となっては違うが当時の俺にはそんなものは慰めでしかなかったのだと思う。

そうやって敗北感の中で生きていた。自分を卑下しつづけていたのだ。

何をしてもできないと感じては放棄して止まってしまう。

そんなことを繰り返していき俺は何もできない人間なのだと自分を責め続けた。

そして俺はだれとも話せなくなり自らの箱に入り重い蓋をして閉じこもった。

自分の世界ではだれとも比べられない。傷つけるものもいない。

俺が俺でいられる唯一の場所だった。

心が安らげる場所であるまさに安楽の地。もう俺はこの場から出ないと強く思っていた。

そうして俺はある時期3年程ひきこもり生活を送ることとなった。

親と同居していたが顔を合わせるのはご飯の時だけ。

俺はそれ以外の時間をパソコンと向き合ってある作業をしていた。

一つおもしろいのは朝起きて一定の時間パソコンをいじって休憩をとりまたパソコンに向かう。

それを繰り返して一日を終えて眠りにつく。ほぼ三年間一定のリズムで生活をしていた。

だれに強制をされるわけでもなく自分でそうしようとしたわけではない。

自然とそうなっていたのだ。今思うのはそのリズムを壊すことが怖かったのかもしれない。ということ。

俺の中で無意識的に感じていた境界線がそこにはあったのだと思う。

 

親は心配はしてくれていたが特に何もいうことはなかった。

まさに安楽の地だ。

俺は一生このまま過ごすのだろうかと不安になることは何度もあった。

約1000日以上もそんな生活をしていたのだから。

そういう時はパソコンに向かい作業に集中する。

現実逃避のように自分が己に与えたプロジェクトをクリアしていくのだ。

こんな俺にも夢があった。それがプロジェクトの内容。何かはいまの所伏せておくことにする。

プロジェクトをクリアできた時には俺の心は安心感に満ちあふれ落ち着いていた。

このままで良いんだと言い聞かせるように。

そうして三年間俺はひたすらプロジェクトをクリアし続けていった。

その中にはかなり厳しいものもあったようだ(後に知ることになる)

とにかくクリアし続けなければ先には進めないと思い込んでいた。

それさえできれば働ける。今度のプロジェクトをクリアできれば。こんなんじゃ駄目だ。今度の今度の今度のといった具合に無限のようにつづいていった。

 

数十人だからデータとしては無意味かとは思うがここ数年ひきこもりだった人と話す機会があった。

その時に聞いたのはほとんどの人は自分に任務を与えていたようだ。

俺のように作業をするもの。本を読むもの。中には猿同様の生活をするものもいた。彼は今でも本当の猿のように完璧なまでにその動きや鳴き声を真似することができる。何かの役に立つかは別として素晴らしい才能だ。

きっと人から見れば分からないことでも自分の中に大義を見つけて遂行することが心の落ち着きになっていたんだと思う。

自分も生きている。という実感がほしかったんだと思う。

 

この状況から抜け出せたのにはある出来事があった。

ある時に兄が俺の現状を見かねて部屋に入り込んできたのだ。

それは説教もあったし厳しく言われもした。

ただこの時間を耐えればまた安楽の地に戻れると思い話しを聞きながら兄が出ていくのを待った。

だがそう上手くはいかなかった。

兄は俺に質問をいくつもぶつけてきた。適当に答えてたが通用はしなかった。

ありきたりな答えでは納得してくれなかった。兄は俺の心の言葉を聞きたかったようだ。

仕事をしろという話しになり、俺はいつかするから大丈夫とあいかわらずのありきたりな答え。

何度も何度も聞き返してくるので俺はこう答えたのだ。

いまはプロジェクトの途中で忙しいんだ!と逆ギレのように言い放った。

俺はプロジェクトという言葉を放ってしまったと思い兄の様子をうかがった。

プロジェクトのことはだれにも話したことがなかった。

兄からしたらプロジェクト??と言ったところだろう。

予想どおりプロジェクトってなんだよ?ということになり。

兄は俺の行動を怪しみパソコンを見ようとした。

自分がやったものを人に見せれば貶されるという過去の記憶が俺の中に蘇ってきた。

特に兄は俺がしていたプロジェクトの作業にも精通してる人間なのだ。

俺は力を振り絞り必死に兄を止めようとした。

兄はそれを振りほどき結局はパソコンを見られてしまった。

綺麗に並べられたプロジェクトのフォルダを一つづつ黙ってみていく。

俺は途中からその行動を直視できなくなった。

恐怖悲しみ怒りさまざまな感情が俺の中を駆け巡る。

これお前が作ったの?

兄の言葉に俺は無言でうなづいた。

そして兄はまたプロジェクトを見ている。

どうせ時間の無駄だと言われるのだろうと俺は覚悟を決めた。この時間さえ我慢すればと自分に言い聞かせて。

お前これ凄いよ。全部一人でやったんだろ?凄いよ。凄いよと連発していた。

兄は夢中になると興奮して同じ言葉を連発する癖が昔からある。

だから俺には兄の気持ちが強く伝わってきた。

これだけできればすぐ働けるよ!よし今日からうちに来い!

兄の特徴として何をするにも良くも悪くも単純だ。俺はその単純さに何度も救われてきた。

いままでの自分の時間がなくなる不安やこの先の恐怖が俺を締め付ける。

嫌だ嫌だと自分の心の声が聞こえてくる。どんどんその声は大きくなってくる。

でもどこかでこの時を待っていた自分がいたのだと思うんだ。

だれかが手を差し伸べてくれるのを。この重くて大きな蓋を空けてほしかったんだ。

自分では抜け出せないから誰かの力を貸してほしかった。

そして重い蓋を兄が空けてくれたのだ。

隙間から差し込んだまばゆい光が俺の心の声をかき消した。

こうして俺はこの日から兄の家で住むことになったのだ。

 

兄は当時独身。働けるまではとりあえずは掃除洗濯とご飯を作るということになった。

それをやりながら仕事を探す。

家事なんてやったことがない俺は戸惑った。どうせやってもできないと思う自分もいた。

しかしその時の俺が昔と違っていたのはこれもプロジェクトだと思えばいいんだと考えたこと。

いままでやってきた作業が掃除洗濯や料理に置き換わっただけだと。

もちろん最初は戸惑い失敗もあったがやっていくうちに段々と楽しくなってきた。

兄の家ではインターネットが自由に使える。WEBで検索をしながら方法を探っていった。

こうして掃除洗濯はとことん綺麗に。料理の腕もみるみる上がっていったのだ。

焼き物煮物蒸し物。野菜に魚に肉。毎日違う献立を考えて作った。

魚をさばいて見せたりオシャレな料理を作って飾ってみたり。

兄はそんな俺の上達ぶりに驚きを隠せなかった。

兄の彼女や友人にも料理を振る舞ったこともある。

こんな弟でも恥ずかしいなんていうのを一切見せずに兄は俺を自慢の弟だとみんなに紹介してくれた。

そしてみんなも俺の料理に舌鼓を打った。俺が作ったものを褒めてくれる。

どうやって作ったのか聞かれて答えたりもした。少し自慢げに。

みんな俺に感謝を伝えてくれた。俺はそれが素直に嬉しかった。

それが自分もできるんだという自信にも繋がった。だから毎日毎日上達をしつづけた。

しかし肝心の職探しは一向に進まなかった。

プロジェクトをやることと同じで家事をやることが俺の心を安定させてしまっていたのだ。

生きてる実感をその中に見いだしてしまっていたのだろう。

明日から来週から。料理ができるようになってから。そうやって理由をつけては先延ばしにし続けたのだ。

これでは今までと何も変わらない。

正直面接に行くのが怖かった。誰も俺のことを知らないところにいくのが。

何度も何度も逃げ出していた。

求人広告をみてはもう締め切っちゃったかなと自分に言い聞かせて電話をしない。

仕事してる姿を想像してはやはり無理だと引き下がる。

そんなのも何度も続いた。

ありもしないことを想像しては恐怖を感じていたのだ。そんな恐怖など実際にはありもしないのに俺は全てにおびえていた。

実際電話をするのにも何時間もかかった。電話に出たらすぐに切る。上手くしゃべれない。面接を取り付けても翌日にはキャンセルをした。

会社の目の前に行っても入れなかった。相手からしたらいい迷惑だっただろう。

でも一歩づつ前進してる自分を感じていた。勇気が俺の中に芽生えてきたのだ。

余談だが俺が面接に行けなかった会社に数年後にそう言った事実を連絡した。あの時は申し訳なかったと。それと自分が少しづつでも踏み出せた勇気をもらっていたこと。全ての人のおかげで俺は今生きてると。

それすら迷惑だったかも知れないが面白いことにそれがきっかけとなり今でも繋がっているところもあったりする。

やっと面接まではたどり着けてもなかなか採用はもらえなかった。

最初は喋ることも出来なかったので当然だと思う。

でも諦めずに続けていった。

これも今までと同じでプロジェクトだ。ただ相手が人間だということが少し勝手が違う。人によって反応が毎回違うからだ。そこに戸惑ったのもあったがコツが分かるようになってきた。

そして面接をうけることがいままでのようにだんだんと楽しくなってきた。

面接官が俺の言葉に感心したり笑ったりしている。ひきこもりだった時の話しを熱心に聞いてくれる人もいた。うちの息子も…と相談までされたこともあった。

こうして俺の恐怖はどんどんなくなっていったのだ。自信というベクトルとはまったく違う曲線を描くように。

おかげさまでついに俺はある会社に勤めることになった。仕事的には単純な作業だったが俺は毎日遅刻せずにしっかりと仕事をした。

あまりコミニュケーションをとらなくても済む職場なのでありがたい。

だけれども挨拶だけはしっかりした。

思い描く夢とはかけ離れた世界だったが心地よかった。

俺は前のように仕事をプロジェクトとして日々上達していった。

そして数ヶ月後にはその会社で一番早くなってしまったのだ。

別に一番になろうとは思ってなかったのだが気づいたらそうなっていた。

その時に自分はできるんだという自信が確信に変わった。

昔は誰でもできることができないと思っていた自分が嘘のように思える。

俺は自分に集中することを学んだ。誰かとの比較ではなく自分の中での戦いだ。

それに打ち勝った結果が一番という成績につながった。

なぜそう思ったかというと誰かを追い越そうと思っていたらきっと俺はできない自分に打ち拉がれていたであろう。

仕事も続かなかったと思う。

その時から俺は未だに他の誰かと自分を比べなくなった。

自然と比べている時もあるがそういう時は自分に集中できていない時だ。

そういう時は作業ははかどらないし結果もともなわない。

逆に自分に集中できたときというのは結果がいいものだ。数字も付いてくる。

そしてもう1つは自分は完璧主義なところがあったのだと思う。

反対にそれが俺の技術を成長させてくれたことにもつながったとも言えるのだが、とにかく自分の描く理想を叶えられなければ駄目だという状態が俺自信を締め付けていたのだ。

そこまでたどり着けなければ何もできないと。誰よりも自分が一番自分を駄目だと思っていたのだろう。

最初からはできないというのは当然である。

しかし駄目な自分を受け入れることができなかった。何かが崩壊しそうで受け入れるのが怖かったのだと思う。

今では駄目な自分を受け入れる器が自分の中に備わっているので精神的にはだいぶ楽になっている。

後は自信と勇気が俺の行動を駆り立ててくれたことが大きい。これは今でも俺のベースにあるものだ。

誰かのせいではなくて全て自分の中の問題なのだと今では感じている。

ただただ俺は弱く繊細で駄目な自分を受け入れることが出来なかっただけなのだ。

そして何よりも兄には感謝している。もちろん親にも。そして関わってくれた全ての人にも。これは感謝してもしきれない。恩返しできるように生きていくよう努力するよ。

 

話しは戻るが次第に俺の給料は上がり1人暮らしをはじめることになった。

兄が結婚が迫っていることもありそうしなければならなかった。

そこでもう一つ俺に転機が訪れることになる。夢の一歩を踏み出せるような転機が。

少し長くなってしまったのでそれはまた書くとしよう。

まず今日はこれぎり!

初めて人との違いを感じた時に知ったある気持ち良い感覚。

drawing

 

↑は俺の書いた絵ではない。

小学校は6年間あったから何がいつあったなんか正確なことは覚えてない。

ただ一番覚えているというか、決定的に他の人と違うと分かった出来事があったのでそれを語ってみよう。
あれは図工の時間だった。俺は勉強が嫌いだったけど図工と体育が好きな子供でな。
図工の先生も好きだったしこの時間はいつも楽しみにしていたんだなあ。
その日は絵を書くということで俺も楽しみにしていた。
実際に絵を書く前の下地作りということで『空』を書いてみようという内容。
俺は絵を書くのが好きだったからルンルン気分で空を書いていたよ。

30分も過ぎればほとんどの人が書き終わって先生に見せに行く。
俺も皆と同じように意気揚々と見せにいったんだ。
そこで決定的な違いに気づいたんだ。
先生は空を書いてみましょうとしか言わなかった。
だから俺は俺の思う空を書いたんだ。
夜空という暗黒の空を。
だがみんなが書いたのは青空だった。青や水色。絵の上手い奴なんかはグラデーションをつけたりしてる。あいつが上手い。こいつが凄いなんて言い合いあっている。
そんな中俺だけが夜の空を書いていたんだ。
先生が褒めてくれると思い簡易的にだが星なんかも書いていた。だがそんなのは無意味だった。
授業の後に担任を呼ばれて絵の説明をさせられた。
ただ俺は空を書けと言われたから空を書いただけだから説明も何もないんだ。
青空を書けと言われて黒い空を書いたのなら問題だと分かるが、
空を書けと言われて黒い空を書いたら何が問題なのだ?
俺はそう思ってふてくされた。書き直せと言われたが断った。
断り続けたら先生も諦めた様子だったが一応この出来事は親にも知らされた。
家で親と話すのも嫌だった。どうせ怒られるものだと思っていたからだ。
しかし親の反応は意外なものだった。
よく書けてるじゃないか。星も書いてあるし凄いよ。
そう言ってくれた。先生にほめられようとして書いた星まで褒めてくれた。
みんなと違うこともそれは才能だと認めてくれた。
俺はその場で泣き崩れたよ。悲しくてじゃなくて嬉しくて嬉しくて。
俺はこの時初めて親の愛を感じたのかもしれない。
何かを与えてもらう愛ではなく、ただそこにある愛を。
人から見たら些細なことかも知れないが確かにそこには今までと違う気持ち良い感覚を得ていた。
今こう書いていても感じることだから間違いはないだろうなあ。
この事がなかったら俺の好きだった授業は体育だけになってしまった。その後の図工の授業は苦痛でしかなかっただろう。
でも人と違うことを才能だと認められてからの俺は思うように好きに表現し続けた。
すると次第に周りも認めてくれるようになる。俺風と言って真似をしだす者まで現れた。
図工の先生も担任の先生も俺にあの時のことを謝ってくれた。
別に謝るどうこうはどうでも良かったのだが、認めてくれたことが素直に嬉しかった。
それにあの時先生が俺の夜空の絵に違和感を感じなかったらあの時に親の愛を初めて感じることも出来なかった。だからそれを引きだしてくれた先生たちには感謝している。全ては上手く周っているのだ。
きっと俺は面倒な生徒だったに違いない。諦めずに対応してくれてた先生たちや親には感謝している。ありがとう。
このまま素直に育っていけば良かったんだろうがこの後も紆余曲折。それははまた今後書いていくとしようじゃないか。
まず今日はこれぎり!

幼稚園時代の思い出に浸ろうと思ったのだが

Duomo

昨日は電車ネタを書いてしまって自分ネタを書けなかったので今日は続きを書こうと思う。

また話しが脱線したらすまない。

kabuku.hateblo.jp

しかしはてなブログは便利だな。こんなリンクも簡単に貼れちまいやがる。

マーベラスだ。はてなは驚きに満ちあふれている。

おぉっ!!といきなり脱線しちまったなあ。

三歳位までの思い出は書いたから次は幼稚園の時の俺だ。

ただ幼稚園での記憶があまりないんだ。どうしても思い出せない。

むしろ忘れられないのは友達が落ちて木に引っかかっているのを俺が見つけた瞬間だ。

彼は血だらけで木に引っかかっていたんだ。

あの光景は今でも忘れられない。

俺は子どもで何も出来なかったから急いで誰かを呼ぼうと泣きながら叫んだ。

しかし誰もこない。俺もパニックだったからどのくらいの時間が経過したかなんて分からない。

でもすごく長い時間に感じた。

やっと人がきて救助されて降りてきた彼は意外に元気だった。でも血だらけだった。

どうして落ちたのかも覚えていないらしい。

というか角度的に木に引っかかるのは無理だと思うのだが。

あれはなんだったのだろう。俺は今でも卒園した幼稚園を訪れるとその木を見ながら不思議に思う。

彼の両親に物凄く感謝された。親も褒めてくれた。でもそれに対しての感情はあまり覚えてない。

とにかく無事でいてくれて良かった。それだけだった。

少し話しは前後してしまったが俺はカトリック系の幼稚園に行っていた。

家からは少し離れていたのだがなぜか親がその幼稚園を選んだ。

その時から俺は鍵っ子。

親が迎えにこなくて1人で帰ったこともある。今の世の中では考えられないことだろう。

ただそんな親を俺は恨んではない。一時はあったが今では感謝している。

思い出せるのはそんなことばかりだ。

仲が良かったのはさっきの木に引っかかっていた彼位かな。

他の人は思い出せない。地域が違うので小学校中学校も違うから無理もない。

彼だけは親同士が仲良かったのもあり小学生までは何度か会っていた。

もう一つ思い出したのは幼稚園着というのだろうか?一応制服みたいなのがあったのだ。

シャツみたいな感じで丸首。色は青だった。

しかし親の洗濯ミスでその色が赤くそまった。赤というか小豆色みたいな微妙な色だ。

綺麗ではなく色ムラがあような感じ。

だが俺はみんなとは違うその色を喜んだ。たぶん喜びを覚えているのはその位か。

親とどこに行ったとかそういう記憶はまったくない。

というか両親共忙しかったからどこにも行ってないのかも知れない。

写真だって残ってないのだからたぶんそうだと思うんだ。

家ではただひたすらキン消し同士を戦わせていた。と兄は今でも俺にいうが覚えていない。

幼稚園頃の思い出なんてそんなものかなあ。

みんなは覚えているのだろうか?

まず今日はこれぎり!

 

今日の知らざあ言って聞かせやしょう
幼稚園時代の記憶はあんまりない!!

 

素直にアイムソーリー

昼間の記事は多くの人が読んでくれたようで嬉しく思う。

コメントもいただいた。みなさんありがとう。

その中で1つのコメントが気になったのだが。

前提とする世界が日本の大都市限定で、イメージが狭すぎてもやもやするということらしい。

もやもやさせてごめん。それは素直に謝る。

コメントをくれた人がどこに住んでいるかしらないが満員電車なんて存在しない社会もある。だからそもそも問題でもなんでもない人もいるのであろう。

ただ満員電車が存在する社会もあるのだ。その社会では問題なのだ。

新都知事が満員電車の解消を公約に掲げた位問題なのだ。

そんな社会に存在せずに田舎に住めば良い。それもその社会に生きる人の1つの選択だ。

しかしインターネットという広大な世界には共通の問題しか書いてはいけないのだろうか。

1つの社会の問題を書いても良いのではないか?

1つの社会や地域の問題を書けばイメージが狭いと言われてしまうなら俺は今後何も書けなくなる。

その方も自分で、前提とする世界が日本の大都市限定で、イメージが狭すぎてと書いているように

俺は全ての社会に向けては書いてない。1つの社会。その中のマイノリティの存在に向けて書いている。つまり少数派のごく一部でしかないのだ。

それを自分の住む社会に広げて読んでしまったからもやもやしたのであろう。

マスではなくパーソナルに向けて書いた。つまるところ前提にしているのは限定中の限定に書いたのだ。

それは記事の中にも書いたはずだが上手く伝わらないこともあるのだろう。

それは仕方のないことだしコメントしてくれた人に間違ってると指摘をしたいわけではない。

ただただ俺の書き方が悪かったのかもしれない。誤解した部分もあるだろう。

一度体験したら嫌になる。慣れる人もいる。しかし俺は慣れなかった。

そんな俺と同じ人に向けられたものなんだ。

だからこんな馬鹿な俺の記事でもやもやしていないでほしい。

それが俺の希望だ。

まず今日はこれぎり!

満員電車に乗りたくないというのはおかしいことなのだろうか?

Trains

早くもブログ開始から3日目か。早いものだ。

昨日は調子にのって2記事も投稿してしまった。今は書くのが楽しいから。

まあ一気に燃え尽きないように徐々にやっていこうかなあ。

昨日はコメントをくれた人もいて嬉しかったよ。ありがとう。

突然だが俺は電車が苦手だ。あの空間にどうしても馴染めない。

だから普段はあまり使わないようにしている。

でも今日は仕方なく電車に乗った。やはり苦手だ。

電車の中でくつろいでいる人は凄いと思う。それだけでも才能だと感じるよ。

俺にはできないから余計にそう思う。どうしてそんなに居心地が良さそうなんだ?

マーベラスだ。この世は驚きに満ちている。

特に満員電車、通勤電車に乗ることも俺はできない。

決してアイロニーではないのだが、どうしてあんなに人が沢山のっている電車に毎日乗ることができるのだろうか。

大変ではないのだろうか。苦しくないのだろうか。心が折れたりしないのだろうか。

俺は絶対に乗りたくない。というか乗れないんだ。

もちろん乗ったことはある。でも出来なかったんだ。

本当マジョリティの中心では生きていけない。昔はそう感じていた。

みなが出来てることを自分はできない。満員電車に乗ることさえも。

皆も通勤のために仕方なく乗っているのかも知れないが仕方なくでもできている。

出来ない自分を責め続けたよ。なんでだろうと。

そう責めれば責めるほど普通の電車にも乗れなくなっていった。

しかし電車以外にも移動方法がある。それはとてもありがたいことだ。

現在は余裕もあるのでタクシーなんぞ使うのだが貧乏な時はどこへ行くにも自転車だった。

昔は皆と同じことができるのが当たり前だと思っていた。

しかし皆と違っても良いんだと分かってからは乗れない自分を責めることはなくなった。

満員電車に乗れる人もいれば乗れない人もいて良いんだと。

普通に満員電車に乗れる人が俺を見ればなんで乗れないの?おかしいの?と思うだろう。

誰が好んであれだけ混んでいる電車に乗りたいと思うのか。

甘え?ゆとりか?わがままだな。病院行けば?なんて言われてしまう。

そう思われて当然だろう。

みんな我慢して乗っているんだと言われるだろう。

俺も同様に乗れる人になんで乗れるの?と思う。

それは同じなんだ。

よくそんな混んでる電車に乗れるな?なんていう比喩した言葉ではないことは誤解がないように言っておきたい。

まずなぜ満員電車に乗れることが普通で当たり前になっているのだろうと考えた。

それがスタンダートである前提がまずはおかしいと思ったのだ。

もちろん仕事があるのは分かるが

どうして満員電車に毎日のように揺られているか考えたことがあるだろうか?

それは自分の意思で乗っているのだろうか?仕方なくか?

自分の意思だとしたらなぜぎゅうぎゅうになる満員電車に乗ることを選ぶのか?

もう一度言うがこれはアイロニーではない。もちろマロニーちゃんでもない。

マジョリティへの風刺ではないのだ。

乗らなくてもいい選択肢がある中でなぜ我慢して満員電車に乗るのだろうか?

これは社会ではなく人間1人への問いかけである。

マジョリティでは当たり前だから当然なのか?

もう一度言う。これは社会ではなく人間1人への問いかけである。

自分の本当の心の声はどうなのか?満員電車に乗りたい?乗りたくない?

乗りたくないのであれば乗らなくも良い。

私は自分の声を聞いてただその選択をしただけだ。

乗らなければいけない前提もないのだからおかしいことでもなんでもないのだ。

しかし乗りたくない選択をした場合には生活を変えなければいけない。

これが意外に厄介だ。人間は変化を恐れる傾向がある。

ただし自分にとっての快適を求めるのであれば変化や制限を受け入れて順応しなければいけない。

それは自分の意思で選んだ道なのだから。

それさえも出来なければただの甘えであると私は思っている。

移動手段や出勤時間を変える選択肢もあるだろう。色々考えてやはり電車が便利だと思う人もいるはずだ。

今では違うが、当時の私の場合は電車に乗らないという極端な選択をした。

自分の住んでる街だけで暮らすスタイルだ。簡単ではないが手段はあるし現実に出来た。

満員電車に乗りたくなければ乗らなくても生きていける。ただそのスタイルで生きていけるようにすればいいだけの話なんだ。

もちろんマジョリティのメインステージからは降りなければいけない。

しかしそのステージから降りてマイノリティに移行したが私は再度マジョリティのメインステージに立つことが出来ている。

もちろん移行してからは満員電車に乗ったことはない。

 

大事なことだからもう一度言う。俺は満員電車に乗れる人を凄いと思っている。

俺が出来ないだけで反対側にいる人に対しての比喩ではない。

本当に心から敬服する。毎日ご苦労さまです。と言いたい。

ただ俺のように乗れなくて悩んでいる人に乗らなくても良いんだという選択肢があることを知ってほしくて記事にした。

乗れる人も、そういう人がいるんだと理解を示してくれれば嬉しい。

まず今日はこれぎり!

 

今日の知らざあ言って聞かせやしょう
満員電車に乗りたくなければ乗らなくても良いという選択肢もある。それはおかしいことではない。自分の心の声を聞いて選べば良いんだ。

 

俺の誕生。そして俺の家族

1978年8月。あれは暑い夏の夜だった。とはいえ俺はまだ生まれてないから暑さなど感じていないが。

そんな中で俺は生まれた。しかも小便をしながら生まれてきたらしい。

これは大物になると感じた。とそのことを今でも母親から言われる。

ちなみに1978年8月にはマルちゃん赤いきつねが発売。

今でも食べると何かシンパシーを感じるのはそのせいなのか。おそらく何も関係ないと思うが。

生まれてから数年間の記憶というのはほとんどない。当然といえば当然か。

写真で見るとそれはかわいい天使のような顔をしていた。

これは自分だからというバイアスがかかっているからではなく本当にかわいいのだ。

1歳か2歳か。いくつの時かしらないが街でCMに出てほしいとスカウトされたこともあるらしい。

実際に話を聞きにいったが大泣きをしてオジャン。何一つ覚えていない。

まさか社会との隔たりを感じていたのはこの時だったのか?

覚えていなくても心のどこかには刻まれてるのかもしれない。

3歳頃の写真を見るとどれも険しい顔。笑顔の写真がほとんどないのだ。

俺には3歳上の兄がいるのだがその兄は俺の横でいつも満面の笑みを浮かべている。

もうこの頃には2人には決定的な違いがあったのかもしれない。

そうだ、ここで俺の家族の話をしておこう。

父親の仕事はデザイン。母親の仕事はタイピスト。そして三歳上の兄と俺の四人家族。

俺が生まれた当時は普通の暮らしをできていたらしい。小学校位から家計は傾いていくのだが。

両親は本当よく働く人だった。しかし父親は家にはあまり帰ってきてなかった。

これも記憶がないのだが、父親が仕事に行く時に

『おじさん、またきてね』と言ったらしい。そんなことを言った位なのだから相当帰ってきてなかったのだろう。

もし頻繁に帰ってきているのに俺が言ったとしたら、一種の記憶障害か何かだったのかも。

どちらにしても言われた父親はショックだったろうな。俺も子どもにそんなこと言われたらショックだ。

今思えばわかることというのはたくさんあるもんだ。

ごめんよ親父。

記憶がないのでこれくらいしか分からないがこれが3歳位までの俺と家族。

まず今日はこれぎり!

 

今日の知らざあ言って聞かせやしょう
子どもの頃の俺は天使のようにかわいかった。

 

ブログ二日目でまたも破綻した。まあ俺のことを少し書いていこう。

今日でブログを書くのも二日目。

昨日書いてみてなかなかいい感触を得た。まあこれを如何に続けていけるかってところだろう。

名前を菊の助と名乗っていたのだがキクノスケに変更をしてみた。なんとなくこっちの方がしっくりくるもんだ。

一日目でキャラクタが破綻し二日目で名前が破綻。破綻続きだかなかなか良い始まりだ。

明日は何が破綻するのか楽しみになってくる。何事も楽しまなきゃな。

いきなりのカミングアウトで悪いが俺は社会不適合の烙印を押されてきた者だ。一般でいうな。背中にはまだその烙印は残ってる。

社会には弾かれたが社会では生きてる。そこで地位も得ている。

だが俺は社会不適合者だ。

追々書いていくが会社というものに馴染めなくてな。

仕事はわりかしできる方だったのだが人間関係が苦手でな。みんな俺のことが嫌いなんだって思ってたよ。

会社に入りは尽く辞めてというのを繰り返していた。

その時自分は駄目な人間なんだろうと諦めていた。皆が出来ていることができないとな。

だから何かあれば尽く逃げて来ていたと思ってた。いつでも敗北感を味わっていたさ。

ふさぎ込み引きこもりを続けてた時もあった。

だがそうではなかったのだ。

人も生物や植物と同じだ。いるべき所がある。咲くべき所がある。

それを間違えていただけだったんだ。この世には1つの社会しかないわけじゃない。

いくつもの社会がある。大小いくつもいくつも数え切れないほどに。

その中で一番多く人が所属してるグループが合わなかっただけだということだ。

マジョリティではなくマイノリティなだけだ。ただ変わり者だっただけ。それだけのこと。

マイノリティな社会では私は活き活きしている。昔のような敗北感も虚無感もない。

更におもしろいのはマイノリティで復活した俺はマジョリティの社会でも地位を得たということ。

あれだけ馴染めなかった社会を今では縦横無尽に駆け回っている。

気づけば締め出された社会でも咲き誇っている。

不思議なものだ。あれだけコケにしてた者達が今ではペコペコご機嫌取りをしている。

ただそれを見て見返してやったなどという気持ちは一切ない。

最初からなかったといえば嘘になるがそんなちっぽけな気持ちじゃ酒のつまみにもならない。

哀れみも優越感もない。同等なんだ。笑って酒酌み交わしゃ馬鹿話しで盛り上がる。

あれだけコミュニケーションが苦手だった俺がコミュニケーションが得意な奴らと共に。 

みんな俺が嫌いだったわけではなかった。俺が俺でいれなかっただけなんだ。ずっとそれを人のせいにして生きてた。

これはまた今後書いていくが誰でも輝ける場所はある。俺と同じような奴でもな。

これはまだ序章。今後こんなことを書いていくんで今後ともよろしく頼もう!

まず今日はこれぎり!

 

今日の知らざあ言って聞かせやしょう
まずは咲く場所をしること!そこで自分の咲き方を覚えればどこだって咲き誇れる。

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