ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

できないならできないでいいじゃんっていう自分を受け入れてあげよう。

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タイトルは投げやりな言葉ではないのだよ。また俺の経験上の話しを絡めてすすめていこうと思う。

一番分かりやすいのは手帳かな。手帳って書ける人は凄い書くでしょ?あれ凄いなあって思うんだよね。それで俺も真似していろんな手帳の書き方を真似してみたんだよね。

でも続かないんだよ。今年こそは!今年こそは!って意気込んでても大体1月で止まっちゃうんだよね。3日あいちゃうとなんかもう書く気が失せるっていうかねえ。一日手帳とかもっとひどくて一週間持ったか分からない位だからねえ。値段が高い手帳なら続くかと思って一万円位するの買ったり一年に違うタイプの手帳を三冊位買ったこともある。手帳が悪いから書けないんだなって思ったからさ。

でも結果は全部同じ。続かないんだよね。

俺はそんな自分をだめな人間なんだなって思ってた時もあるよ。だってみんな凄い書いてるじゃん?なんで俺はできないんだろう。やっぱ欠陥人間なのかなってさ。

そうやって諦めて手帳を持たなかった時期もけっこうあったよね。

でも今では手帳を持ってるんだよ。しかも続いてる。それはなぜかって?
今の俺の手帳というのはCampusノートだ。コンビニで100円位で売ってる小さいサイズの。まあこれはCampusノートじゃなくてもノートならなんでもいいんだよ。小さいのは持ち運びが便利だから。

それでそこに自由に書いていくんだ。予定も何もかも。とにかくなんでも書いてる。これが俺の今の手帳術。誇っていうもんじゃないと思うけどさ。これでも予定を間違えたり何か不便を感じたことはない。

やっぱり手帳って書く日が決まってるでしょ?何日何日って。だからその日に書かないとどんどん空いていっちゃんだよね。でもノートは自由に書けるからいつ書いても隙間ができないんだ。書きたい時に書けばいいから。

結局俺はその空いちゃう隙間が駄目だったんだよね。後は毎日書く正確じゃなかったってこと。それが相まって手帳との相性が悪かっただけなんだ。たしかに昔から枠に収まるのが苦手だったんだよ。それなのに枠にはめようとしてたのが悪かった。ごねんよ俺。

でもこのタイプの人ってけっこういるんだよ。

仕事出来る人も俺と同じタイプの人もいたんだよねえ。何人も。経営者の中にもいるし。

それで思ったのはさ、色んな手帳術とかもあるけど無理して誰かのやり方を真似するよりも自分に合う方法でやるのが一番だなってね。
売り文句や言葉に踊らされてたっていうかねえ。仕事が出来る人はこんな書き方をする!思考をまとめるための!とかあるけどね。

それができなきゃだめ!って誰よりも自分で決めてたんだよね。

そこから方向転換をしてさ

できないならできないでいいじゃん!
それよりも自分にあったやり方を探すって方がいいんじゃないっていうねえ。

相手のフィールドに入って誰かと比べてできない自分を貶めるよりも自分のフィールドで自分の出来ることを自信を持ってやる!これが自信に繋がっていったりするんだよね。

今回は手帳の例だけどブログとかなんでもさ。出来る人を真似しようとして出来ない自分に落ち込むよりも自分で出来ることをやっていこう!そこの突き詰めが大事なんじゃないかって思うなあ。

その第一歩としてまずはできない自分を受け入れてあげるっていうところなんだよね。出来ない出来ないと落ち込むんじゃなくて、俺出来ないんだ。それじゃ違う方法さがしましょみたいなさ。出来ない自分が悪じゃないからね。もっと自分を優しく受け入れてあげよう。

自分を解放してあげると楽になることがあるからね。そんな感じかなあ。

まず今日はこれぎり!

やりたくないことをやらないための第一歩

NO

世の中にはけっこうやりたいことリストなんかを作ってみましょうなんていうのがあるよね。まあそれはそれで良いのだけども。

逆にやりたくないことリストを作ってみたことはあるかな?
やりたくないことってけっこう仕方なくやっちゃうでしょ?これ本当はやりたくないんだけどなあって感じで。
だからやりたくないことを書き込んでリストにするんだ。

ただそれだけじゃなくて実際にやりたくないことリストに書いたことをやらないようにする。そうすると本当にやらなくても良いってことがけっこうあったりするんだよね。

なんで今までやってたんだろ?ってなるんだ。むしろその分やりたいことをする時間が増えていく。

だから無理にやりたくないことをやらなくても良いと思うんだ。

もちろんそれに合わせた生活が必要だがそれこそが本当に自分にあった生活なんじゃないのかなあ。そこに目を向けてあげてほしいよね。それが本当の姿の自分自身なんだからさ。

やりたくないことをやらないっていうのってわがままと人の目には写ると思うかもしれないけどそんなのは気にする必要はないんだ。

昔の俺がそうだったけど人の目を気にしすぎると自分を苦しめてしまう。誰かが見てるから。誰かがこう思うと嫌だから。そう言って嫌なことを自分に強要してきた。
これは誰かというよりも誰かと言う名をつけた自分の弱さなんだよね。その誰かというのは自分の心の中にいるものなんだ。

本当の自分を出すのが怖くてそれを隠すのに都合のいいように存在させているものにすぎないんだよ。

俺は今までの経験上で分かったのは心の中にはそいった存在がけっこうたくさん潜んでいるということ。人は実際に存在しない恐怖におびえているんだ。過去の経験や考えているうちに想像してそういった存在を心の中に生み出している。

その存在を振り払ってその奥にある自分の心の声を聞いてあげてほしい。

実際に俺も今そうして生きている。やりたくないことはやらないって決めてる。それでも人に迷惑かけることもないし生活も仕事もできてる。

自分を大切にすることができると生きるのも楽になるんだ。本当にやりたいことにも集中できる。それに自分に自信がもてるようにもなるんだ。

まずはその第一歩としてやりたくないことリストを書き出してみよう。自分の本音を書くのって難しいものなんだよね。心にブレーキがかかって書けなかったりする。でも誰に見せるわけでもないんだから。自分の心に嘘はつかずに正直に思うままにまずは書き出すことからはじめてみると良いと思う。

まず今日はこれぎり!

数字に惑わされないようになろうじゃないか。

Number 4

経営でも仕事でもブログでもそうだが何かした結果は数字で表される。お金もそう。単位が違えど数字というものは人を惑わすものだ。

ブログの世界でいえばPVもその1つだ。

ブログを始めたばかりのころというのはPVばかり追っていくと疲れてしまう。
数字だけしか見えなくなりブログがお粗末になれば本末転倒といったところだろう。

俺もこのブログをはじめてまだ10日位だから数字が気になるのは気になる。でも今日50PVで明日10PVであってもそれは数字でしかないのだ。

とりあえず確認はするがまずはある程度納得のいく記事を書くまでは何も対処はしないと決めている。記事を書いて人のブログを読む。まずはそこに集中したいからだ。

そうすれば数字というのは後からついてくるものだと思っている。どれだけ集中して取り組めたかの結果なのだ。

数字を追ってしまうとどうしても心がそっち側にブレてしまうのだ。数字が欲しい数字が欲しいと。それでも結果は出るだろう。ただ同じ結果であっても違いが生まれる。その違いは目に見えるようものではない。数字上はどちらも20000PVだとしても絶対的な違いが生まれる。その違いについてはまた追々書いていくとしようかなあ。

これは前回の記事でも書いたがお金のためでも数字のためでもなくまずはそのものの価値を上げることが結果として数字に繋がっていく。

そしてその価値から出た数字こそ扱う意味のある評価なのだ。ただただ数字だけを追ってしまうと何の評価なのかを見失いがちだ。これは数字を取扱なれている人でも陥ることなのだ。

だからまずは自分の商品。ブログでいえば記事を書くことに集中をする。人のブログを見てどんな風に書いてあるのかを学ぶ。それを自分の記事に落とし込んでいく。そうして商品を強化していく。

だが毎日毎日記事を書かないようにしている。ある程度の力を抜いて休みも設けている。書ける時に書く。最初にスタンスをある程度決めているのだ。

ただこれだと数字がなかなか追いつきづらい。でも俺は数字は気にしていない。だからそれで良いのだ。

記事を書かないとPVが増えないから書く。それは書くというよりも書かされていることに近いんじゃないのかなあと思うからだ。

前回のお金と同じように数字にも支配されてはいけない。

今後このブログでAdSenseやアフィリを取り入れるかは決めていないがそれも自分の目標をクリアしてからかなあ。

まず今日はこれぎり!

これが本当の「お金の奴隷解放宣言」?元家なき男が語ってみようかなあ。

Abandoned Detroit

先日闇を書くのは止めにしようと思ったが書ける部分は書いていこうと思う。本当に書けない部分は書かない。その線引をはっきりとしたのだ。

まあ順序だてて話しをしていないのでどの時期かというのは読んでるか分かりづらいと思うが書きたいと思う順番で書いていく。

最近西野氏が「えんとつ町のプペル」を無料公開したということが話題になっていた。無料にすること自体は俺は賛成だ。それはマーケティングの手法である。早い話は一部のブログだってそうなのだ。今までお金を払っていた情報が今ではネット上に溢れかえっている。無料公開という部分だけでいえば同じなんだなあ。文字を書く人もクリエーターだから。
ただ順序だったりそのことによって人を見下したり人を出し抜いたりしなければだがねえ。その部分では同意はできないが。

そして彼が言っていた「お金の奴隷解放宣言」この文字を見た時に俺は期待した。ただ俺の思っている内容とは違ったが。

俺はある時に貧困の暮らしをしていた。約三年間のひきこもり生活から働くこともできるようになったのだが体を壊してしまってねえ。

今度は働きたくても働けない状態になってしまったのだ。約三年分のロスを巻き返すように身を粉にして働きすぎたのが原因だ。

それはあまり時間をかけずに直ったのだがこれがトリガーとなって俺はまたひきこもり生活を送ることになる。

はじめは貯金もあったのでそこまで不自由はなかった。だがそれも尽きてきて毎日小麦粉を焼いて食べていた。俺はこのまま金が尽きてしまうんじゃないかと恐怖におびえていたよ。

その恐怖は現実のものとなった。ガス水道電気が止まり、なんとか待ってもらっていた家賃も払えずに家を追い出されてしまったのだ。

もう親も兄も頼ることはできない。その日から俺は家なき男になった。

最初の方は意外にもその状況を楽しんでる自分がいた。しかしそれは長くは続かない。俺は他の家なき人達が集まる公園のような所にいきついた。

だがそこには俺の居場所はなかったのだ。ちょっと空いていた場所に座っていたら邪魔だと追い払われた。次の場所でもその次の場所でも。居心地の良さそうな場所は全てだめだった。きっと縄張りというのがあるのだろう。俺はそう思って公園の片隅の凹凸の酷い所になんとか落ち着いた。

ここは何も言われないから大丈夫そうだ。やっと落ち着いた安心からか急に眠気が襲ってきた。そういえばしばらくの間安心して眠れていなかった。

ここで少し休もう。そう思って俺は眠りについた。

数時間位してからか目が覚めて周りを見渡す。するとどこかで見たような服を着てる男が歩いている。

あれは俺の服だ。

我に戻った俺は自分の周囲を見渡す。荷物がなくなっていた。

家を追い出されるときには持てるものはバッグに詰め込んだ。そのバッグごとなくなっていたのだ。

俺はその男に詰め寄ったが知らんの一点張り。ついには俺に殴りかかってきて、殴られはしなかったが俺はその勢いで倒れ込んだ。

反撃に出ようとも思ったが、その衝撃が俺を弱らせた。

もうだめだ。人生終わった。何もかも終わった。そんなふうに思っていたなあ。

俺は公園を離れ寝場所を見つけるために彷徨い歩いた。
やっと落ち着けそうな場所を見つけて座る。ここで俺の生活?が続くことになる。
ここでは詳しくは書けないが食い物はなんとかなるものだ。

何日くらい経った時のことが分からないがある家なき男が俺に酒をくれた。どこから持ってきたのか何の銘柄なのかなんて気にしない。久しぶりに飲む酒は上手かった。そして急激に酔った。

彼と何時間も話し仲良くなった。それから数日後にはまた酒を持ってきてくれた。その数日後も。俺はその変わりに食べ物をあげた。

 このことがきっかけだと思うのだが俺の中に希望という光が戻ってきた。何かどう作用したのかは分からないがこのままではいけないということに気づいたんだ。

俺は何かをしなければいけないという衝動にかられた。
次の日からゴミ拾いをはじめることになる。掃除をしたかったんだ。というよりもなんでもよかったからしたかったのだ。そこに生きる意味を見出すためにも。何もしないで過ごす日々はまるで死んでいるようだったのだ。朝から晩までひたすらにゴミを拾った。しかしその姿は家なき男のたんなる物拾いにしか見えなかったであろう。

しかしある時にあるご老人が俺に近寄ってきて竹ホウキをくれた。古典的な魔法使いが持ってるまさにそんな感じだ。そのご老人は俺が単なる物拾いではなく掃除をしていたのを見ていてくれたのだ。俺はその時泣いたなあ。そういう見方をしてくれる人もいるんだなあって思って。

そして俺はもらった竹ホウキを使い掃除することになった。角から角まで綺麗に。すると今度は会釈をしてくれる人やありがとうございますと感謝してくれる人までいる。たったホウキを持つかどうかだけで人の対応が全然違う。このホウキは本当に魔法がかかっていたのかもしれない。

ご老人はその後もご飯や飲み物をくれた。お風呂に入れと家にもあげてくれた。古着だが服もくれたのだ。

その後も俺は掃除しつづけた。身だしなみも綺麗になってきたので俺のことを変な目でみる人も少なくなってきた。俺はお掃除お兄さんとしてその界隈ではちょっとした有名人にもなっていたのだ。

その後家なき男というのが問題になりいろいろとあったのだがそのおかげで今度は家も貸してくれる人が現れた。無料でだ。さらに仕事も紹介してもらえた。こうして社会復帰を遂げることになったんだ。

俺は最初のゴミ拾いから何かもらえると思ってやってなかった。

ホウキもご飯もお風呂も服も家も仕事も。

しかしあのまま何もしていなかったら俺は今こうしてブログを書いていることはないだろう。とにかく何かをしなければという行動を起こした結果がすべてを運んできてくれた。いい人がいたというのがあるがそれも行動を起こしていなかったら出会っていなかったことだ。これは偶然にしても必然にしても何かをやろうとした結果なんだ。

俺は今でもこれが根本にあってお金をもらおうとして仕事をしているわけではない。何かに励んだ結果がお金になると思っている。お金は結果でしかないのだ。これが現在俺が上手くいってる理由の1つでもあると思っている。

お金が優先してしまうとどうしても苦しくなる。自分も相手も。だからお金に縛られないで仕事をする。お金がなくなった所で生きていくこともできることが分かった。だから俺は今金がなくなってしまうことも恐れていない。減ることなんてもっと怖くない。するとお金が入ってくる。
お金がないことで焦燥感などがあるのも経験上分かるがそれが視野や行動を狭くして自分の首をさらにしめる。だがお金を怖がらなければ焦燥感もない。もちろんそれによって視野や行動が狭くなることもない。

おかしな話しだがお金を儲けるのが怖いという人もいる。お金というのを恐れている人ほど稼げないしお金が減っていく。お金というのは近世においては必要なものだ。無くてはならないと思うのだがお金は人間が使うものであって使われてはいけいない。お金に支配されてはいけない。何もお金を恐れれる必要はないのだ。今こそお金に立ち向かおう!

ということこそが「お金の奴隷解放宣言」だと思う。

そんな感じかなあ。

まず今日はこれぎり!

 

後日談として

俺に酒をくれた男性は今では俺と一緒に仕事をしている。彼には奥さんがいたのだが今では家庭に戻り幸せに暮らしている。

俺は今でも時間が空けばその付近を掃除している。ちなみに竹ホウキは三代目。

それは本当の優しさ?マーケティングの視点から眺めてみようかなあ。

Snow

ちょっとばかし出張に出かけていたのでブログを留守にしていたよ。

俺は基本企業相手の仕事をしている。今回伺った先も一年前にWEBサイトの再建を頼まれた相手だ。その後の様子を見にいってきたのだけどもね。

手厚く歓迎してもらえて地元もうまい飯や酒を飲ませてもらった。かなり寒かったけど良い時間を過ごせたなあ。

俺はウエッブマーケッティングに従事しているといったが基本的にはリアル世界のマーケティングな要素も含まれる、というかリアルであってもWWWの世界であっても商売の相手は人だ。

だからこそウエッブマーケッティング専門のところが見落としがちな数字やテクニックよりも大切なことを俺は根底においている。

もちろん数字やテクニックも大切だ。しかしそれを扱う以前から取り組む姿勢を正すことも必要になる。これは今後詳しく書いていくと思うが。

今回訪れた街は基本的に観光客が少ない。昔は一時賑わいもみせていたらしいが継続はできなかった。その土地には他の地方よりも自然の恵みという大きな魅力があるのにも関わらず。

正直なところをいうと訪れたほとんどのお店ではその場限りの接客や商品というのが多くみられた。何もしなくてもお客さんが来てくれていた時と同じ感覚でいるように思う。

ここ数年みられるようになった、地方+デザインというのもあるが見かけだけデザイナーを入れても効果というのは現れにくいものだ。
見よう見まねで今っぽくしていてもそれではお客さんは戻ってこない。

これはブログにもいえることで見かけだけ綺麗にしても見かけだけユーザーファーストにしても効果が現れにくい。

自分にとって何を取り入れるかというのも大事だ。無闇矢鱈に良いと言われるものを取り入れただけでできるわけではないのだ。

よくブログの書き方やSEO、運用の仕方などのまとめもあるが、その中で何が必要なのか見極めないと悪い結果が訪れることもある。規模や方向性もあるわけだしねえ。個性さえも消してしまうこともあるのだなあ。

もちろんそういうことをまとめて1つの記事にしてくれているのはありがたい話だが読み手や書き手の気持ちに立った時に本当の優しさかといえば一概にはそうだと言いきれいない部分もあると俺はおもっている。

見る側がチョイスすれば良いという人もいるが、それならばもっと詳しくどこに向けたものかを表記した方がいいと思うんだよなあ。

まあこんな話は後に繋がるのだが、今回再訪した所では順調にWEBの売上が伸びている。

その結果として実店舗に来訪してくれるお客さんも増えているようだ。

もちろんそれも嬉しいことだが、店主がそれを嬉しそうに話すのがおれにとっても一番の喜びだ。

最初に出会った頃はまだ警戒されていて笑顔などなかった。だが今では俺の事を下の名前で呼び我が子のように再訪を喜んでくれている。

ただ今回の話では売上が想像以上に伸びてしまい生産が追いつかなくなりそうだということだ。

売れすぎて売り切れ!なんていうのをコピーにしているところもあるがお客様は待たせたくない。というのが店主のポリシー。

そんなポリシーやプライドが邪魔なんだよ!というアドバイザーなんかもいたりするものだが俺はやりたくないことはやらないで良いと思っている。むしろ徹底的にその辺を最初に聞き込む。もちろんどっちが良いというわけではなく俺はそうしているというだけの話だ。

話しを戻すが、だからと言って製造ラインを大きくするというのはなかなか難しいものだ。

それによって品質管理が落ちれば評判も落ちる。もちろん売上も落ちるだろう。キープするだけの力があればいいがそれが無い時にやったら首を締めることにもなる。まあ今回この話しは既に打開策が見つかったのだが。

よくテレビや雑誌に載ってから味が落ちたと言われるお店があるがまさにその典型であるといえるだろうなあ。客数を回すのにに精一杯。忙しいからと言って料理や接客がいい加減になったり対応が悪いお店にはもう行きたくなくなるものだ。味も落ちて接客も悪くなれば誰が行くだろうか。リピーターが付かないから金を永遠に払い続けてテレビや雑誌に扱ってもらうしかなくなる。
これは自分以上の力を金で買っているという部分で最初からそのレベルに達していなかっただけという店もあったりするわけだがねえ。

自社でプロモーションに金をかけたりするのならまだ自業自得だけどパワーブロガーなんかが勝手に記事書いて店が流行ったりしたら大変だろうねえ。もちろん喜ぶ人もいるだろうね。でも準備も何も出来てない状態でいきなり人が増えた!なんてことになったら対応できないぞいってな。
WEBに詳しければ流入元なんか見たり記事の掲載を止めたりもできるけど無知であれば何も分からないから。テレビならまだ取材拒否なんていう手段もあるが。勝手に書かれたもののには対応しきれないものもあるのだよねえ。

商売は規模によっては売れれば売れただけ嬉しいっていう単純なものでもないからねえ。最悪店を潰してしまうこともある。これは実際にあった話しなんだけどさ。

誰々さんとは言えないけど!本人も優しさで良かれと思って書いたと思うからねえ。でもそれが相手にとって迷惑になってしまったりすることもあるって話しだ。

リアルでもWWWでも集客が大事っていうのは同じだけど写真撮影OKなのかとかだけじゃなくてさお店の状況も汲み取ってあげるっていう意識はあってもいいのかもしれないねえ。

優しさって押し付けであったらそれは優しさと言えるのかなあ。本当の優しさっていうのをもう一度再考してもいいんじゃないのかなあ。

まず今日はこれぎり!

悩みは無理に解決しようとすると更に大きくなる。それではどうしたらいいのか。

The Light

まずいきなりだがこのブログは方向転換をすることに決めたので報告をしておくとしよう。

今まで自分語りをしてきたのだが昨日ある人の記事が炎上しているのを見た。

炎上自体がどうのいうわけではないのだがその記事の内容をみて自分もあまり変わらないような気がしたんだ。

その人の場合は炎上するように書いたのかも知れないし彼の他の記事も読んでみたが話の真偽のほどは分からない。

それはどうでもいいとして、俺がこれから書こうとしていたのはガチすぎてNGなんじゃないかと感じた。

知らない人は闇の入り口を闇というが本当の闇はもっと深く暗いものだ。

この世の全ての光を吸収してしまう。

そこまで書こうと思っていたのがそれは控えることにした。

それで人に迷惑をかけることもしたくない。

とりあえずここで一旦幕を閉じる。

 

俺にはずっと闇があった。これから書こうとしていたこともそうだしひきこもりもいじめにもあった。社会不適合の烙印を押され。総合失調症にもなった。父の死も親友の死も。死の寸前も三度ほど経験した。たくさんの闇に包まれていたんだ。

しかし今の俺は光に包まれている。闇の部分にも光が当たっている。

それは昔のことを乗り越えたからではない。記憶を消し去ったわけでもない。今光の当たるところにいるからでもないんだ。

人は未来を変えることができても過去は変えられない。ただしその捉え方はいくらでも変えられるんだ。闇だと思っていればいつまでも闇だし光だと思えば光になる。

つまりは自分の捉え方次第なんだ。

簡単な例をあげてみるとある映画をみた。

その印象はすごく暗くどん底で闇に包まれていた。悪い印象。

しかし同じ映画を見た時は

暗いが希望があって光が溢れている。良い印象。

全体的な印象は変わらないが闇と感じていた部分が光になっている。もちろん同じ映画なので内容が変わったわけではない。過去が変わらないのと同じように

これは自分の捉え方が変わったんだ。

映画と自分の人生では重みが違うというのも分かるがこれを自分の人生でできるようになるととても楽になる。

悪いと捉えてたこと→良いと捉える。たったこれだけなのに。

さらにこれができるようになると今度は未来も変わるんだ。悪いことが起きると人は凹み悩み動きも止まるものだ。しかしそれを良いことと捉えられるようにする。

すると凹まずに悩みにもならず動きも止まらない。

これを瞬時にできればいいのだけれども言うほど簡単ではないので悪いことが起きたら凹むのは当然。怒りや悲しみもあってこそ人間だと思う。そこから良かったと捉える方への切り替えスピードを上げていけば良いんだ。

そうすれば悩む時間は自然と減っていく。

悩みというのは結局簡単に解決できるものではない。無理に解決しようと思えば余計大きな悩みになる。悩みが次々に悩みを呼び込む。これ悩みの種にどんどん栄養分を与えてるようなものですからねえ。

元の悩みを解決するのではなく悩まない捉え方に切り替えすることで悩みは自然となくなっていく。

俺はこれで闇に支配されることがなくなった。

以前は全てを闇のせいにして生きてきた上手くいかないのは全て闇のせいだと。そう思っていたら一生上手くいかなかっただろう。誰のせいでもなく自分自身が闇に因われていたのだ。それが自らに闇を呼び込んでいた。負の連鎖だ。

今は闇があったおかげで唯一無二の俺が存在していると思っている。むしろ今では闇でもなんでもいくらでも来いと思っている。すると闇はこなくなるものだ。捉え方1つで俺自身が光輝いている。

おもしろいものだが心1つで人生は大きく変われるんだ。
今後はこういったことを書いていこうと思う。まあとは言っても自由に気楽に書いて行く。

それとまだ明かしていない生業のことも少しづつ記事に書いていこう。

 

まず今日はこれぎり!

生業と私 ー はてなブログはSE◯に強いのか ー

Question

今日でこのブログをはじめて一週間になる。本来は一ヶ月位つづけてからこう言った記事を書こうと思っていたのだけどここで書いてみることにした。

まずはその前に俺の生業について少し触れておくとしよう。俺が従事しているのはウエッブマーケッティングだ。

上手く言えなかったのでもう一度言い直そう。ウェブマーケティングだ。今度は上手く言えたが狭い世界なのでこれ以上のことは言えない。

ここで1つ誤解がないように言っておきたいことがある。

みんな素晴らしい記事を書いている。だから俺はマーベラスだと呟く。これは素直な反応なんだ。そこに何か別な感情があるわけではないのは知っておいてもらいたい。

俺はアフィリエイトだと言っている人も良いと思う。お金を稼ぐことは悪いことではない。そこにあるべき物があれば私はアフィリエイターも尊重する。

ブロガーの世界、いやはてなの世界は実に驚きに満ちあふれている。

 

もう一つ感じたことは、はてなブログSEOに強いと言われている。

ただその要因というのがドメインということだけではなさそうだ。他にも要因がいくつも見受けられる。軽くみただけなのでこれから見ていけば他にもまだあると思う。

さらに一番大事だと思うことがこのはてなにはある。それは追々書いていこうと思うがそれがこれだけ多く存在しているとはまさにマーベラスであった。あっぱれ!だ。

他のブログサービスでもあるにはあるがこのはてなには凌駕するほどにそれが存在している。これは実に面白い。

はてなが検索結果で上位にくるという理由が垣間見れた気がした。

これからウエッブマーケッティング周辺のことなども書いていくと思う。うまく発音できないのは気にしないでくれ。書いていくことはレクチャーではない。テクニック的なことは書くつもりはない。

それよりも大切にしてほしいことを書いていく。一般的なそういう記事とは少し趣向が違うだろう。それがみんなにどう届いていくかは楽しみな所である。

まず今日はこれぎり!

ちょっとヤンチャだった頃の自分も書いてみようかなあ。

Fight!

実をいうと昨日の記事を書いているときは結構凹んだ。

自分の過去を書くというのはもっと簡単だと思っていたが意外と難しい。

さまざまな感情がこみ上げてくる。

飲み屋で昔はこうだったと笑って話すのとは訳が違った。

でも書いて良かったなと今では思っている。

何か1つのハードルを超えたような気がするんだなあ。

しかもこの俺が5000文字も書いてたなんて驚きだ。

今日は続きを書こうと思ったのだが少し違う俺を書いてみようと思う。

俺は学生のころは結構活発な子どもだった。活発というかヤンチャな時期も。

今までの記事からは想像つかないかもしれないが若い時は勢いでなんとかなっていたのだろう。

中学校1年の時まではサッカーをやっていた。今でもサッカーを見るのは好きだ。

意外に上手かったんだ。地区で強いチームではないが1年の2学期頃からはスタメンで試合にも出た。

先輩の中には俺のことを快く思ってなかった人もいるが

既に卒業していた3歳上の兄達の影響で手を出してくるものはいなかった。

3年の先輩にはリーゼントで怖い先輩がいてその先輩が良くしてくれていたのもあるだろう。

俺の育った街にはヤンキーが多かった。というよりも街に本職の人がおおかったのだ。

夏には上半身裸で刺青を出しながら歩いている人もいる。そんな街だった。

良く言えば人情のある街だ。当時はそういう人が多かった。

子どもの頃にはそういう人達と普通にふれあいながら育ったのだ。

その影響かどうかしらないが中学の先輩は短ラン長ラン中ランの人もたくさんいた。

ビーバップハイスクール全盛の頃だ。はいすくーる落書きやろくでなしBLUESはもう少し後だったか。その辺はあまり詳しく覚えてない。

サッカーから話はそれてしまったが2年の時に俺は身体検査で1つの異常が見つかった。

それは不整脈である。中学生だと出やすい時期や疲れている時に出やすい人もいるらしく俺は再検査をうけることになった。

その再検査でもひっかかり体に何か機械をつけて一日日常を過ごすという検査もした。

学ランの下にもその機械を付けて登校した。

まだその当時の俺は何のことか分かっていなかったのでみんなにそれを見せびらかせて喜んでいた。

そして検査の結果、常に不整脈が出ているのが発覚したのだ。

それでも俺には分からなかったのだが、将来歩けなくなるからサッカーは止めなさいと言われた。

その時に初めて俺は自分がどんな状態か察したよ。まさにキャプ翼の三杉君だ。

そこでサッカーを続けていればそうなれたかも知れないが俺は親や先生に説得されてサッカーを辞めた。

しばらくはおとなしくしていたのだがサッカーをしていたエネルギーを発散する何かが欲しかった。心の穴を埋めたかったのだ。

交友するグループを広げて遊んでみたりもしたが気があわずに離れたりを繰り返していた。

小学校では仲がよかったやつも数年すると変わるものだ。もちろん俺も含めてだが。

そして一番落ち着く場所がいわゆる不良グループだったのである。

ゲーセンに行ったりケンカしたりグループ内で揉めたり。いつも何かが起こっていた。

それに俺は魅了されたのだ。今思えば何が楽しかったのか分からないがその時は楽しかった。

髪を茶髪にして短ランを着てボンタンを履いていた。

茶髪はフレッシュライトだったか。当時は髪にミストみたいなのをかけると色が落ちるというのがあった。それを使用して少しづつ色を抜いていった。

その頃はファッション感覚で楽しかった。

しかし3年になると他校とのケンカばかりが続いた。いわゆる島争いだ。

どこの中学が一番なのか。それは3年生で決まる。

俺が1年2年の頃はうちの中学が一番だった。だから世代が変わるとまず他校はうちを狙ってくる。

俺自身ケンカは強くなかったので苦手だった。だが負けないようになんとか頑張ったのだ。

顔はお互いに知れているのでちょっと街に繰り出せば出会い頭に揉め事が始まる。

たまり場にいた時には他校の30人位が乗り込んできたこともあった。

他校よりも劣勢になれば先輩に呼ばれてみたいなのもあった。

とにかく落ち着く場所がなかった。

疲れ果てたこともあり俺はそのグループとは距離を置きたいと思い始めた。

もちろん抜けるなら抜けるでケジメはつけなければいけないのだが

これだけ体力使うならサッカーをやりたい。そう思いはじめていた。

俺の心の穴は埋まってなかったのだ。

その後結局この世代でもうちの中学が一番になった。

これで何もなければしばらくは平和が続くのだが俺はグループを抜けた。

前は楽しいと思えることが楽しいと思えなくなってしまったのだ。

抜けたといっても個人同士の関係は続いていた。

俺は制服を普通に戻した。髪は茶髪のままだ。

そして俺は親友に出会うことになる。彼とは音楽の話で気があっていた。彼の作るカセットテープを聞きながら話すのが日課となったのだ。

彼と彼の幼馴染と三人でよく遊ぶことになる。遊ぶとはいっても音楽を聞いたり話をしたりした。彼らは俺の知らないことをたくさん知っていてとても刺激的だった。

刺激とはいってもまた前とは全然違うものだ。今でもこの時のことは俺の中に残っている。ケンカなんかで得た刺激よりもしっかりと大きく。

それはサッカーができなくなった穴も埋めてくれた。

昨日の記事でもそうなんだけれどもこうしてみると頭の中で残っている思い出はモヤモヤなものでも書き出せば良い思い出になるなっていうのは感じた。

読んでる人はそう感じないかも知れないが俺の中では確かにそう感じるのだ。

もう少しその辺を上手く書けるようになればいいのだがそれは今後の課題ぞな。

まず今日はこれぎり!

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