ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

自分が動けば人も動く。そこには必ず何かが起こるんだ。

またしばらくブログを離れていた。普段は日本全国を回っている。
俺を必要としてくれる人がいるならば俺はそこにかけつけて力になりたいと思っているからだ。

今回は予算的にかなり少ない。話しを受けるかどうか一瞬迷ったが店主の気持ちとやる価値があると直感で思ってきめてきた。

まあそんなこんなで今は久々にWordPressでサイト構築をしている。構築とはいっても予算的にテンプレートを使うことになったが俺が作ったオリジナルテンプレートがあるのでそれを流用している。

今はマーケティングディレクションの方が生業として大きな存在だがフリーランスWEBデザイナーをしていた時もある。むしろそれが大きな夢であった。

今日はそのきっかけになった話しをちょっとしようかなあ。

IDEO

社会復帰をした俺は一時仕事には就いたがいわゆる普通の生活が出来なかったのだ。社会不適合者であると分かってはいつつもそこに蓋をして自分を苦しめてきた。

会社のような組織にいられなければ生きていけない。そう思っていた。だからそれを手放せなかった。当然のことだと思う。社会不適合者が社会を出て生きていけるなどその時は思えなかったからだ。

ある時俺は1つの考えにたどり着いた。それはやりたくないことをやらない自分だ。できないこともできないで良い自分だ。やりたくないこともできないことも自分にやれと言い聞かせてきた。だがもうそんなことはしない。自分を痛めつけるのは終わりだ。そういう考えにたどり着き実行に移した。手放せなかったものを手放したのだ。やりたいことをやるためにも。

前の自分ならばここでまたひきこもりに戻っていたであろう。もう今までの自分とは違う。だが目立った学歴も職歴もない何もない俺がなにをすれば良い。結局はバイトか。また掃除でもするか。いや違う。俺はやりたいことをするためにやりたくないことをやめたんだ。俺は俺ができることを仕事にしようと思った。

ここは結構わかりづらいと思うが、やりたくないことをやらないというのは全てを放棄するわけではないのだ。何かをやりたいと思うのであればそのためにやりたくないことはやらないということだ。似てるようで違う。

むしろ全てを放棄して生きてみれば分かると思う。そんな生活はすぐに飽きてしまうものだ。何かしたくてうずうずする。それが実感できるはずだ。

ひきこもりの人だってそうだと思う。何かをしたいはずだ。でもその行動が伴わないのだ。その何かが分からずにもがいている人もいるだろう。だが何かにうずうずしているはずだ。前の記事でも書いたが俺はそうだった。

自分にプロジェクトという名の任務を与えて満足して安心していた。うずうずしている感覚を打ち消すためにひたすら任務を遂行していった。

人間というのは何もしないでは生きれないのかも知れない。ひきこもりの人が自分に与えた任務でも金持ちが何もしないで過ごさずにいるのは同じ。何かに満足している。任務や金という安心に。その安心が人間の本能を押さえつけているんじゃないかと。

まあ話が反れたので戻すが俺ができることといえばWEB制作位だ。タグ打ちでセンター揃えの時からやっている。これが自分に任務として与えてきていたことだ。
さっきも書いたが学歴も職歴もあってないような存在だ。資格も無いし免許もない。人生詰んでる。そう言われたこともあるが俺は諦めなかった。

俺はとにかく時間があれば自分でWEBデザインを作っていた。だが実践での経験が豊富にあったわけではない。経験といってもその時は散々だった。それからこんな自分では駄目だと怖がって本当にやりたいことから逃げていた。だからその後WEB系の職についたことはない。だがもう逃げ場はない。俺は袋の鼠だ。もうやるしかない。

実際に作れるとしてもお客さんなんていない。どうすればいいか迷っていたがとにかく止まっていても何も始まらない。俺は目についた会社に作品を持って営業をした。どこか飯を食いに店に入れば名刺を見せて営業をしたりもした。だがなかなか上手くいかないものだ。やはり俺には無理なのか…そう考えた時もあるがなんとか乗り越えて続けていった。

どれくらい続けていたのか、ある会社が目についた。以前俺がひきこもりから立ち直る際に面接をドタキャンした会社だ。その記事に書いたのだが俺はその後仕事が決まってから少し経った時にドタキャンした会社全てに謝罪のメールや手紙を送っていた。返答してくれた所もあったがその会社からは返答がなかった。

その会社の前に立ち俺は考えていた。あの時ここまできて入れなかった会社に勇気を出していってみよう。今思えば仕事とか関係なく自分に踏ん切りを付けたかっただけなのかも知れない。

階段をあがりドアをノックすると怖そうなおじさんが出てきた。一瞬たじろいだが俺は一生懸命に売り込んだ。だがまったく興味なさそうなおじさんを動かすことはできなかった。
ここもだめかと諦めて、以前にドタキャンしたことの謝罪と手紙を出したことを伝えて俺は階段を降りようとした。

そこでおじさんが一言発した。「君ちょっと中に入って」
俺はその言葉に一瞬ドキっとした。これは怒られるんじゃないかと。怒られるなら怒られるで良い。そう開き直り俺は導かれるままに会社の中に入った。

とりあえずソファーに座ってと言われた。パーテーションの向こうには何人かの人が仕事している気配がする。
そわそわしながら待つこと5分位か。さっきのおじさんが女性を連れてきた。お茶を持ってきてくれているので怒られることはないか。と勝手に安心したりもしていた。

おじさんがお茶を飲むと。いただきますと言って俺もお茶で喉を潤す。一体何を話すのだろうと思いながら。

しばらく沈黙が続く。その状況を打ち破ったのは一緒にきた女性だった。
「あの手紙を下さったのはあなたなのですか?」
俺は頷きながらそうですと答えた。

すると女性が封筒を机の上においた。汚い字で住所が書いてある。俺があの時出した手紙だ。
「この手紙はとても感動的でした今でも覚えていますよ」と女性がいう。さきほどのおじさんも頷きながら「遅くなったが返事も出したのだが戻ってきてしまった」と言った。
おそらく俺が家なき男の時期だったんだろう。そのことも話した。これから自分がどうしていきたいかも。2人は熱心に聞いてくれた。

「とりあえず飯でも食いにいこう」そうおじさんが言うとパーテーションの向こうに出ることを大声で告げる。するとある男性が「社長これだけチェックしてもらっていいですか?」と声が返ってきた。

このおじさんが社長さんだったのだ。後に分かったのは隣に座った女性は奥さんだった。チェックを終えた社長さんと奥さんの三人で近くの居酒屋さんでご飯とお酒をご馳走になりながら色々なことを話した。2人の馴れ初めなんかも聞いたり笑いの絶えない時間だった。こんなに笑ったのは久しぶりだなあ。

食事の最後の方に「とりあえずうちでは現状仕事を頼めることはないが知り合いに聞いてみる」と言ってくれた。俺には経験も何もないことは話したが「俺に任せろ」と言ってくれた。あの言葉はとても優しく心強かった。

俺は2人と別れほろ酔いで家に戻る。今までと違う希望のような光が俺を包んでいた。

たしか2日後くらいだったと思うが社長さんから連絡がきた。1つ頼めそうな仕事があるということで打ち合わせをするために日付けを決めた。

すごく嬉しかったが次の瞬間に俺は逃げたくなった。出来なかったらどうしようだめだったらどうしよう。迷惑かけたらどうしよう。マイナスな感情のどうしようどうしようのオンパレードだ。

ここで逃げたらだめだ。そう自分に言い聞かせながら打ち合わせ当日を迎えた。
緊張のせいか打ち合わせの内容はあまり覚えてないが仕事をもらえた。
会社のWEB制作をしてほしいということだ。現状はないのでゼロからの新規スタートとなる。そして俺の個人としての初仕事だ。

自信も実績もなかったので金額としては安く請負ったが無事に初仕事を終えて満足してもらえた。

あの時に達成感は気持ちよかったなあ。そして自信と希望が大きくなっていく感覚。今でも覚えてる。

長くなってきたのでその後の話しなんかはまた今度書こうと思う。

もちろん出会った人への感謝は当然のようにある。それは絶対に忘れてはいけない。
良い出会いに恵まれただけといえばそれまでだが行動を起こさなければその出会い自体も起きない。そこを見落とさないでほしい。いつも俺が思うことだ自分が動けば人も動く。人に期待しないで自分が行動する。そこには必ず何かが起こるんだ。

俺は何もない人間だった。ひきこもりにもなり社会にも馴染めず。統合失調症にもなった。大した学歴も職歴もない。家を失ったこともある。裏社会に触れたこともある。だが俺のような人間でも生きてる。仕事もある。結婚もできた。

自分でもよくここまで立ち直れたと思う。

ただ俺は同じような人間にこうするべきだとかこうしたら良いとかいうような記事をかくことはできない。そうすること自体が正しいことなのかも分からない。

俺の経験上からいうと答えをすぐに聞きたがる人は多い。そして経験もせずに人から聞いて答えを知った人間の成長はそこで止まる。しかし自ら経験をして答えを知った人間はそこから成長する。同じ答えを知るという意味でもその後の結果が違うものだ。

もしくは俺がこうするべきだと言われることを嫌だからかもしれない。

今の時点で分からない。だから俺は内省的に自分の経験を話している。誰かに伝えようとしているのではなくて誰かに俺の経験や言葉から何かを自分自信で感じとってほしいと思って書いている。

まず今日はこれぎり!

できないならできないでいいじゃんっていう自分を受け入れてあげよう。

.

タイトルは投げやりな言葉ではないのだよ。また俺の経験上の話しを絡めてすすめていこうと思う。

一番分かりやすいのは手帳かな。手帳って書ける人は凄い書くでしょ?あれ凄いなあって思うんだよね。それで俺も真似していろんな手帳の書き方を真似してみたんだよね。

でも続かないんだよ。今年こそは!今年こそは!って意気込んでても大体1月で止まっちゃうんだよね。3日あいちゃうとなんかもう書く気が失せるっていうかねえ。一日手帳とかもっとひどくて一週間持ったか分からない位だからねえ。値段が高い手帳なら続くかと思って一万円位するの買ったり一年に違うタイプの手帳を三冊位買ったこともある。手帳が悪いから書けないんだなって思ったからさ。

でも結果は全部同じ。続かないんだよね。

俺はそんな自分をだめな人間なんだなって思ってた時もあるよ。だってみんな凄い書いてるじゃん?なんで俺はできないんだろう。やっぱ欠陥人間なのかなってさ。

そうやって諦めて手帳を持たなかった時期もけっこうあったよね。

でも今では手帳を持ってるんだよ。しかも続いてる。それはなぜかって?
今の俺の手帳というのはCampusノートだ。コンビニで100円位で売ってる小さいサイズの。まあこれはCampusノートじゃなくてもノートならなんでもいいんだよ。小さいのは持ち運びが便利だから。

それでそこに自由に書いていくんだ。予定も何もかも。とにかくなんでも書いてる。これが俺の今の手帳術。誇っていうもんじゃないと思うけどさ。これでも予定を間違えたり何か不便を感じたことはない。

やっぱり手帳って書く日が決まってるでしょ?何日何日って。だからその日に書かないとどんどん空いていっちゃんだよね。でもノートは自由に書けるからいつ書いても隙間ができないんだ。書きたい時に書けばいいから。

結局俺はその空いちゃう隙間が駄目だったんだよね。後は毎日書く正確じゃなかったってこと。それが相まって手帳との相性が悪かっただけなんだ。たしかに昔から枠に収まるのが苦手だったんだよ。それなのに枠にはめようとしてたのが悪かった。ごねんよ俺。

でもこのタイプの人ってけっこういるんだよ。

仕事出来る人も俺と同じタイプの人もいたんだよねえ。何人も。経営者の中にもいるし。

それで思ったのはさ、色んな手帳術とかもあるけど無理して誰かのやり方を真似するよりも自分に合う方法でやるのが一番だなってね。
売り文句や言葉に踊らされてたっていうかねえ。仕事が出来る人はこんな書き方をする!思考をまとめるための!とかあるけどね。

それができなきゃだめ!って誰よりも自分で決めてたんだよね。

そこから方向転換をしてさ

できないならできないでいいじゃん!
それよりも自分にあったやり方を探すって方がいいんじゃないっていうねえ。

相手のフィールドに入って誰かと比べてできない自分を貶めるよりも自分のフィールドで自分の出来ることを自信を持ってやる!これが自信に繋がっていったりするんだよね。

今回は手帳の例だけどブログとかなんでもさ。出来る人を真似しようとして出来ない自分に落ち込むよりも自分で出来ることをやっていこう!そこの突き詰めが大事なんじゃないかって思うなあ。

その第一歩としてまずはできない自分を受け入れてあげるっていうところなんだよね。出来ない出来ないと落ち込むんじゃなくて、俺出来ないんだ。それじゃ違う方法さがしましょみたいなさ。出来ない自分が悪じゃないからね。もっと自分を優しく受け入れてあげよう。

自分を解放してあげると楽になることがあるからね。そんな感じかなあ。

まず今日はこれぎり!

やりたくないことをやらないための第一歩

NO

世の中にはけっこうやりたいことリストなんかを作ってみましょうなんていうのがあるよね。まあそれはそれで良いのだけども。

逆にやりたくないことリストを作ってみたことはあるかな?
やりたくないことってけっこう仕方なくやっちゃうでしょ?これ本当はやりたくないんだけどなあって感じで。
だからやりたくないことを書き込んでリストにするんだ。

ただそれだけじゃなくて実際にやりたくないことリストに書いたことをやらないようにする。そうすると本当にやらなくても良いってことがけっこうあったりするんだよね。

なんで今までやってたんだろ?ってなるんだ。むしろその分やりたいことをする時間が増えていく。

だから無理にやりたくないことをやらなくても良いと思うんだ。

もちろんそれに合わせた生活が必要だがそれこそが本当に自分にあった生活なんじゃないのかなあ。そこに目を向けてあげてほしいよね。それが本当の姿の自分自身なんだからさ。

やりたくないことをやらないっていうのってわがままと人の目には写ると思うかもしれないけどそんなのは気にする必要はないんだ。

昔の俺がそうだったけど人の目を気にしすぎると自分を苦しめてしまう。誰かが見てるから。誰かがこう思うと嫌だから。そう言って嫌なことを自分に強要してきた。
これは誰かというよりも誰かと言う名をつけた自分の弱さなんだよね。その誰かというのは自分の心の中にいるものなんだ。

本当の自分を出すのが怖くてそれを隠すのに都合のいいように存在させているものにすぎないんだよ。

俺は今までの経験上で分かったのは心の中にはそいった存在がけっこうたくさん潜んでいるということ。人は実際に存在しない恐怖におびえているんだ。過去の経験や考えているうちに想像してそういった存在を心の中に生み出している。

その存在を振り払ってその奥にある自分の心の声を聞いてあげてほしい。

実際に俺も今そうして生きている。やりたくないことはやらないって決めてる。それでも人に迷惑かけることもないし生活も仕事もできてる。

自分を大切にすることができると生きるのも楽になるんだ。本当にやりたいことにも集中できる。それに自分に自信がもてるようにもなるんだ。

まずはその第一歩としてやりたくないことリストを書き出してみよう。自分の本音を書くのって難しいものなんだよね。心にブレーキがかかって書けなかったりする。でも誰に見せるわけでもないんだから。自分の心に嘘はつかずに正直に思うままにまずは書き出すことからはじめてみると良いと思う。

まず今日はこれぎり!

数字に惑わされないようになろうじゃないか。

Number 4

経営でも仕事でもブログでもそうだが何かした結果は数字で表される。お金もそう。単位が違えど数字というものは人を惑わすものだ。

ブログの世界でいえばPVもその1つだ。

ブログを始めたばかりのころというのはPVばかり追っていくと疲れてしまう。
数字だけしか見えなくなりブログがお粗末になれば本末転倒といったところだろう。

俺もこのブログをはじめてまだ10日位だから数字が気になるのは気になる。でも今日50PVで明日10PVであってもそれは数字でしかないのだ。

とりあえず確認はするがまずはある程度納得のいく記事を書くまでは何も対処はしないと決めている。記事を書いて人のブログを読む。まずはそこに集中したいからだ。

そうすれば数字というのは後からついてくるものだと思っている。どれだけ集中して取り組めたかの結果なのだ。

数字を追ってしまうとどうしても心がそっち側にブレてしまうのだ。数字が欲しい数字が欲しいと。それでも結果は出るだろう。ただ同じ結果であっても違いが生まれる。その違いは目に見えるようものではない。数字上はどちらも20000PVだとしても絶対的な違いが生まれる。その違いについてはまた追々書いていくとしようかなあ。

これは前回の記事でも書いたがお金のためでも数字のためでもなくまずはそのものの価値を上げることが結果として数字に繋がっていく。

そしてその価値から出た数字こそ扱う意味のある評価なのだ。ただただ数字だけを追ってしまうと何の評価なのかを見失いがちだ。これは数字を取扱なれている人でも陥ることなのだ。

だからまずは自分の商品。ブログでいえば記事を書くことに集中をする。人のブログを見てどんな風に書いてあるのかを学ぶ。それを自分の記事に落とし込んでいく。そうして商品を強化していく。

だが毎日毎日記事を書かないようにしている。ある程度の力を抜いて休みも設けている。書ける時に書く。最初にスタンスをある程度決めているのだ。

ただこれだと数字がなかなか追いつきづらい。でも俺は数字は気にしていない。だからそれで良いのだ。

記事を書かないとPVが増えないから書く。それは書くというよりも書かされていることに近いんじゃないのかなあと思うからだ。

前回のお金と同じように数字にも支配されてはいけない。

今後このブログでAdSenseやアフィリを取り入れるかは決めていないがそれも自分の目標をクリアしてからかなあ。

まず今日はこれぎり!

これが本当の「お金の奴隷解放宣言」?元家なき男が語ってみようかなあ。

Abandoned Detroit

先日闇を書くのは止めにしようと思ったが書ける部分は書いていこうと思う。本当に書けない部分は書かない。その線引をはっきりとしたのだ。

まあ順序だてて話しをしていないのでどの時期かというのは読んでるか分かりづらいと思うが書きたいと思う順番で書いていく。

最近西野氏が「えんとつ町のプペル」を無料公開したということが話題になっていた。無料にすること自体は俺は賛成だ。それはマーケティングの手法である。早い話は一部のブログだってそうなのだ。今までお金を払っていた情報が今ではネット上に溢れかえっている。無料公開という部分だけでいえば同じなんだなあ。文字を書く人もクリエーターだから。
ただ順序だったりそのことによって人を見下したり人を出し抜いたりしなければだがねえ。その部分では同意はできないが。

そして彼が言っていた「お金の奴隷解放宣言」この文字を見た時に俺は期待した。ただ俺の思っている内容とは違ったが。

俺はある時に貧困の暮らしをしていた。約三年間のひきこもり生活から働くこともできるようになったのだが体を壊してしまってねえ。

今度は働きたくても働けない状態になってしまったのだ。約三年分のロスを巻き返すように身を粉にして働きすぎたのが原因だ。

それはあまり時間をかけずに直ったのだがこれがトリガーとなって俺はまたひきこもり生活を送ることになる。

はじめは貯金もあったのでそこまで不自由はなかった。だがそれも尽きてきて毎日小麦粉を焼いて食べていた。俺はこのまま金が尽きてしまうんじゃないかと恐怖におびえていたよ。

その恐怖は現実のものとなった。ガス水道電気が止まり、なんとか待ってもらっていた家賃も払えずに家を追い出されてしまったのだ。

もう親も兄も頼ることはできない。その日から俺は家なき男になった。

最初の方は意外にもその状況を楽しんでる自分がいた。しかしそれは長くは続かない。俺は他の家なき人達が集まる公園のような所にいきついた。

だがそこには俺の居場所はなかったのだ。ちょっと空いていた場所に座っていたら邪魔だと追い払われた。次の場所でもその次の場所でも。居心地の良さそうな場所は全てだめだった。きっと縄張りというのがあるのだろう。俺はそう思って公園の片隅の凹凸の酷い所になんとか落ち着いた。

ここは何も言われないから大丈夫そうだ。やっと落ち着いた安心からか急に眠気が襲ってきた。そういえばしばらくの間安心して眠れていなかった。

ここで少し休もう。そう思って俺は眠りについた。

数時間位してからか目が覚めて周りを見渡す。するとどこかで見たような服を着てる男が歩いている。

あれは俺の服だ。

我に戻った俺は自分の周囲を見渡す。荷物がなくなっていた。

家を追い出されるときには持てるものはバッグに詰め込んだ。そのバッグごとなくなっていたのだ。

俺はその男に詰め寄ったが知らんの一点張り。ついには俺に殴りかかってきて、殴られはしなかったが俺はその勢いで倒れ込んだ。

反撃に出ようとも思ったが、その衝撃が俺を弱らせた。

もうだめだ。人生終わった。何もかも終わった。そんなふうに思っていたなあ。

俺は公園を離れ寝場所を見つけるために彷徨い歩いた。
やっと落ち着けそうな場所を見つけて座る。ここで俺の生活?が続くことになる。
ここでは詳しくは書けないが食い物はなんとかなるものだ。

何日くらい経った時のことが分からないがある家なき男が俺に酒をくれた。どこから持ってきたのか何の銘柄なのかなんて気にしない。久しぶりに飲む酒は上手かった。そして急激に酔った。

彼と何時間も話し仲良くなった。それから数日後にはまた酒を持ってきてくれた。その数日後も。俺はその変わりに食べ物をあげた。

 このことがきっかけだと思うのだが俺の中に希望という光が戻ってきた。何かどう作用したのかは分からないがこのままではいけないということに気づいたんだ。

俺は何かをしなければいけないという衝動にかられた。
次の日からゴミ拾いをはじめることになる。掃除をしたかったんだ。というよりもなんでもよかったからしたかったのだ。そこに生きる意味を見出すためにも。何もしないで過ごす日々はまるで死んでいるようだったのだ。朝から晩までひたすらにゴミを拾った。しかしその姿は家なき男のたんなる物拾いにしか見えなかったであろう。

しかしある時にあるご老人が俺に近寄ってきて竹ホウキをくれた。古典的な魔法使いが持ってるまさにそんな感じだ。そのご老人は俺が単なる物拾いではなく掃除をしていたのを見ていてくれたのだ。俺はその時泣いたなあ。そういう見方をしてくれる人もいるんだなあって思って。

そして俺はもらった竹ホウキを使い掃除することになった。角から角まで綺麗に。すると今度は会釈をしてくれる人やありがとうございますと感謝してくれる人までいる。たったホウキを持つかどうかだけで人の対応が全然違う。このホウキは本当に魔法がかかっていたのかもしれない。

ご老人はその後もご飯や飲み物をくれた。お風呂に入れと家にもあげてくれた。古着だが服もくれたのだ。

その後も俺は掃除しつづけた。身だしなみも綺麗になってきたので俺のことを変な目でみる人も少なくなってきた。俺はお掃除お兄さんとしてその界隈ではちょっとした有名人にもなっていたのだ。

その後家なき男というのが問題になりいろいろとあったのだがそのおかげで今度は家も貸してくれる人が現れた。無料でだ。さらに仕事も紹介してもらえた。こうして社会復帰を遂げることになったんだ。

俺は最初のゴミ拾いから何かもらえると思ってやってなかった。

ホウキもご飯もお風呂も服も家も仕事も。

しかしあのまま何もしていなかったら俺は今こうしてブログを書いていることはないだろう。とにかく何かをしなければという行動を起こした結果がすべてを運んできてくれた。いい人がいたというのがあるがそれも行動を起こしていなかったら出会っていなかったことだ。これは偶然にしても必然にしても何かをやろうとした結果なんだ。

俺は今でもこれが根本にあってお金をもらおうとして仕事をしているわけではない。何かに励んだ結果がお金になると思っている。お金は結果でしかないのだ。これが現在俺が上手くいってる理由の1つでもあると思っている。

お金が優先してしまうとどうしても苦しくなる。自分も相手も。だからお金に縛られないで仕事をする。お金がなくなった所で生きていくこともできることが分かった。だから俺は今金がなくなってしまうことも恐れていない。減ることなんてもっと怖くない。するとお金が入ってくる。
お金がないことで焦燥感などがあるのも経験上分かるがそれが視野や行動を狭くして自分の首をさらにしめる。だがお金を怖がらなければ焦燥感もない。もちろんそれによって視野や行動が狭くなることもない。

おかしな話しだがお金を儲けるのが怖いという人もいる。お金というのを恐れている人ほど稼げないしお金が減っていく。お金というのは近世においては必要なものだ。無くてはならないと思うのだがお金は人間が使うものであって使われてはいけいない。お金に支配されてはいけない。何もお金を恐れれる必要はないのだ。今こそお金に立ち向かおう!

ということこそが「お金の奴隷解放宣言」だと思う。

そんな感じかなあ。

まず今日はこれぎり!

 

後日談として

俺に酒をくれた男性は今では俺と一緒に仕事をしている。彼には奥さんがいたのだが今では家庭に戻り幸せに暮らしている。

俺は今でも時間が空けばその付近を掃除している。ちなみに竹ホウキは三代目。

それは本当の優しさ?マーケティングの視点から眺めてみようかなあ。

Snow

ちょっとばかし出張に出かけていたのでブログを留守にしていたよ。

俺は基本企業相手の仕事をしている。今回伺った先も一年前にWEBサイトの再建を頼まれた相手だ。その後の様子を見にいってきたのだけどもね。

手厚く歓迎してもらえて地元もうまい飯や酒を飲ませてもらった。かなり寒かったけど良い時間を過ごせたなあ。

俺はウエッブマーケッティングに従事しているといったが基本的にはリアル世界のマーケティングな要素も含まれる、というかリアルであってもWWWの世界であっても商売の相手は人だ。

だからこそウエッブマーケッティング専門のところが見落としがちな数字やテクニックよりも大切なことを俺は根底においている。

もちろん数字やテクニックも大切だ。しかしそれを扱う以前から取り組む姿勢を正すことも必要になる。これは今後詳しく書いていくと思うが。

今回訪れた街は基本的に観光客が少ない。昔は一時賑わいもみせていたらしいが継続はできなかった。その土地には他の地方よりも自然の恵みという大きな魅力があるのにも関わらず。

正直なところをいうと訪れたほとんどのお店ではその場限りの接客や商品というのが多くみられた。何もしなくてもお客さんが来てくれていた時と同じ感覚でいるように思う。

ここ数年みられるようになった、地方+デザインというのもあるが見かけだけデザイナーを入れても効果というのは現れにくいものだ。
見よう見まねで今っぽくしていてもそれではお客さんは戻ってこない。

これはブログにもいえることで見かけだけ綺麗にしても見かけだけユーザーファーストにしても効果が現れにくい。

自分にとって何を取り入れるかというのも大事だ。無闇矢鱈に良いと言われるものを取り入れただけでできるわけではないのだ。

よくブログの書き方やSEO、運用の仕方などのまとめもあるが、その中で何が必要なのか見極めないと悪い結果が訪れることもある。規模や方向性もあるわけだしねえ。個性さえも消してしまうこともあるのだなあ。

もちろんそういうことをまとめて1つの記事にしてくれているのはありがたい話だが読み手や書き手の気持ちに立った時に本当の優しさかといえば一概にはそうだと言いきれいない部分もあると俺はおもっている。

見る側がチョイスすれば良いという人もいるが、それならばもっと詳しくどこに向けたものかを表記した方がいいと思うんだよなあ。

まあこんな話は後に繋がるのだが、今回再訪した所では順調にWEBの売上が伸びている。

その結果として実店舗に来訪してくれるお客さんも増えているようだ。

もちろんそれも嬉しいことだが、店主がそれを嬉しそうに話すのがおれにとっても一番の喜びだ。

最初に出会った頃はまだ警戒されていて笑顔などなかった。だが今では俺の事を下の名前で呼び我が子のように再訪を喜んでくれている。

ただ今回の話では売上が想像以上に伸びてしまい生産が追いつかなくなりそうだということだ。

売れすぎて売り切れ!なんていうのをコピーにしているところもあるがお客様は待たせたくない。というのが店主のポリシー。

そんなポリシーやプライドが邪魔なんだよ!というアドバイザーなんかもいたりするものだが俺はやりたくないことはやらないで良いと思っている。むしろ徹底的にその辺を最初に聞き込む。もちろんどっちが良いというわけではなく俺はそうしているというだけの話だ。

話しを戻すが、だからと言って製造ラインを大きくするというのはなかなか難しいものだ。

それによって品質管理が落ちれば評判も落ちる。もちろん売上も落ちるだろう。キープするだけの力があればいいがそれが無い時にやったら首を締めることにもなる。まあ今回この話しは既に打開策が見つかったのだが。

よくテレビや雑誌に載ってから味が落ちたと言われるお店があるがまさにその典型であるといえるだろうなあ。客数を回すのにに精一杯。忙しいからと言って料理や接客がいい加減になったり対応が悪いお店にはもう行きたくなくなるものだ。味も落ちて接客も悪くなれば誰が行くだろうか。リピーターが付かないから金を永遠に払い続けてテレビや雑誌に扱ってもらうしかなくなる。
これは自分以上の力を金で買っているという部分で最初からそのレベルに達していなかっただけという店もあったりするわけだがねえ。

自社でプロモーションに金をかけたりするのならまだ自業自得だけどパワーブロガーなんかが勝手に記事書いて店が流行ったりしたら大変だろうねえ。もちろん喜ぶ人もいるだろうね。でも準備も何も出来てない状態でいきなり人が増えた!なんてことになったら対応できないぞいってな。
WEBに詳しければ流入元なんか見たり記事の掲載を止めたりもできるけど無知であれば何も分からないから。テレビならまだ取材拒否なんていう手段もあるが。勝手に書かれたもののには対応しきれないものもあるのだよねえ。

商売は規模によっては売れれば売れただけ嬉しいっていう単純なものでもないからねえ。最悪店を潰してしまうこともある。これは実際にあった話しなんだけどさ。

誰々さんとは言えないけど!本人も優しさで良かれと思って書いたと思うからねえ。でもそれが相手にとって迷惑になってしまったりすることもあるって話しだ。

リアルでもWWWでも集客が大事っていうのは同じだけど写真撮影OKなのかとかだけじゃなくてさお店の状況も汲み取ってあげるっていう意識はあってもいいのかもしれないねえ。

優しさって押し付けであったらそれは優しさと言えるのかなあ。本当の優しさっていうのをもう一度再考してもいいんじゃないのかなあ。

まず今日はこれぎり!

悩みは無理に解決しようとすると更に大きくなる。それではどうしたらいいのか。

The Light

まずいきなりだがこのブログは方向転換をすることに決めたので報告をしておくとしよう。

今まで自分語りをしてきたのだが昨日ある人の記事が炎上しているのを見た。

炎上自体がどうのいうわけではないのだがその記事の内容をみて自分もあまり変わらないような気がしたんだ。

その人の場合は炎上するように書いたのかも知れないし彼の他の記事も読んでみたが話の真偽のほどは分からない。

それはどうでもいいとして、俺がこれから書こうとしていたのはガチすぎてNGなんじゃないかと感じた。

知らない人は闇の入り口を闇というが本当の闇はもっと深く暗いものだ。

この世の全ての光を吸収してしまう。

そこまで書こうと思っていたのがそれは控えることにした。

それで人に迷惑をかけることもしたくない。

とりあえずここで一旦幕を閉じる。

 

俺にはずっと闇があった。これから書こうとしていたこともそうだしひきこもりもいじめにもあった。社会不適合の烙印を押され。総合失調症にもなった。父の死も親友の死も。死の寸前も三度ほど経験した。たくさんの闇に包まれていたんだ。

しかし今の俺は光に包まれている。闇の部分にも光が当たっている。

それは昔のことを乗り越えたからではない。記憶を消し去ったわけでもない。今光の当たるところにいるからでもないんだ。

人は未来を変えることができても過去は変えられない。ただしその捉え方はいくらでも変えられるんだ。闇だと思っていればいつまでも闇だし光だと思えば光になる。

つまりは自分の捉え方次第なんだ。

簡単な例をあげてみるとある映画をみた。

その印象はすごく暗くどん底で闇に包まれていた。悪い印象。

しかし同じ映画を見た時は

暗いが希望があって光が溢れている。良い印象。

全体的な印象は変わらないが闇と感じていた部分が光になっている。もちろん同じ映画なので内容が変わったわけではない。過去が変わらないのと同じように

これは自分の捉え方が変わったんだ。

映画と自分の人生では重みが違うというのも分かるがこれを自分の人生でできるようになるととても楽になる。

悪いと捉えてたこと→良いと捉える。たったこれだけなのに。

さらにこれができるようになると今度は未来も変わるんだ。悪いことが起きると人は凹み悩み動きも止まるものだ。しかしそれを良いことと捉えられるようにする。

すると凹まずに悩みにもならず動きも止まらない。

これを瞬時にできればいいのだけれども言うほど簡単ではないので悪いことが起きたら凹むのは当然。怒りや悲しみもあってこそ人間だと思う。そこから良かったと捉える方への切り替えスピードを上げていけば良いんだ。

そうすれば悩む時間は自然と減っていく。

悩みというのは結局簡単に解決できるものではない。無理に解決しようと思えば余計大きな悩みになる。悩みが次々に悩みを呼び込む。これ悩みの種にどんどん栄養分を与えてるようなものですからねえ。

元の悩みを解決するのではなく悩まない捉え方に切り替えすることで悩みは自然となくなっていく。

俺はこれで闇に支配されることがなくなった。

以前は全てを闇のせいにして生きてきた上手くいかないのは全て闇のせいだと。そう思っていたら一生上手くいかなかっただろう。誰のせいでもなく自分自身が闇に因われていたのだ。それが自らに闇を呼び込んでいた。負の連鎖だ。

今は闇があったおかげで唯一無二の俺が存在していると思っている。むしろ今では闇でもなんでもいくらでも来いと思っている。すると闇はこなくなるものだ。捉え方1つで俺自身が光輝いている。

おもしろいものだが心1つで人生は大きく変われるんだ。
今後はこういったことを書いていこうと思う。まあとは言っても自由に気楽に書いて行く。

それとまだ明かしていない生業のことも少しづつ記事に書いていこう。

 

まず今日はこれぎり!

生業と私 ー はてなブログはSE◯に強いのか ー

Question

今日でこのブログをはじめて一週間になる。本来は一ヶ月位つづけてからこう言った記事を書こうと思っていたのだけどここで書いてみることにした。

まずはその前に俺の生業について少し触れておくとしよう。俺が従事しているのはウエッブマーケッティングだ。

上手く言えなかったのでもう一度言い直そう。ウェブマーケティングだ。今度は上手く言えたが狭い世界なのでこれ以上のことは言えない。

ここで1つ誤解がないように言っておきたいことがある。

みんな素晴らしい記事を書いている。だから俺はマーベラスだと呟く。これは素直な反応なんだ。そこに何か別な感情があるわけではないのは知っておいてもらいたい。

俺はアフィリエイトだと言っている人も良いと思う。お金を稼ぐことは悪いことではない。そこにあるべき物があれば私はアフィリエイターも尊重する。

ブロガーの世界、いやはてなの世界は実に驚きに満ちあふれている。

 

もう一つ感じたことは、はてなブログSEOに強いと言われている。

ただその要因というのがドメインということだけではなさそうだ。他にも要因がいくつも見受けられる。軽くみただけなのでこれから見ていけば他にもまだあると思う。

さらに一番大事だと思うことがこのはてなにはある。それは追々書いていこうと思うがそれがこれだけ多く存在しているとはまさにマーベラスであった。あっぱれ!だ。

他のブログサービスでもあるにはあるがこのはてなには凌駕するほどにそれが存在している。これは実に面白い。

はてなが検索結果で上位にくるという理由が垣間見れた気がした。

これからウエッブマーケッティング周辺のことなども書いていくと思う。うまく発音できないのは気にしないでくれ。書いていくことはレクチャーではない。テクニック的なことは書くつもりはない。

それよりも大切にしてほしいことを書いていく。一般的なそういう記事とは少し趣向が違うだろう。それがみんなにどう届いていくかは楽しみな所である。

まず今日はこれぎり!

© 2016 知らざあ言って聞かせやしょう.