ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

さらば青春の光。俺の高校時代を語ろうか。

School's Out....

 

今日は久しぶりに学生時代の話しを書いていこう。以前書こうと思っていた高校時代の話し。 

俺が行った高校は地元の男子校だった。どこを見ても男男男。そりゃ当たり前だ。

一応推薦枠でなんとか入試に合格出来た。それもなければ絶対に高校には入れなかっただろうなあ。

まあ学力優秀だったからっということはない。

まともに勉強すらしてなかった。

教科書は閉じられノートにひたすら落書きばかり。

俺の地元は元々荒れている地域なのでもちろん高校も荒れていた。構内には落書きがあり窓ガラスが割れている。本当絵に書いたような不良学校。中学からそこに入ったのは俺だけ。

俺はその中でも問題児クラスに入った。いわゆるガチの落ちこぼればかりが集うクラスだ。良く言えば個性派集団か。

ふつうであれば同じ学年は1フロアに全てのクラスが収まるようになっていると思う。しかし俺らのクラスは別のフロア。完全に隔離されていたなあ。

もちろんそんなだから先生もがっちりな強面だ。クリクリパンチで堅気には見えないようなのが担任。口癖は「しばくぞ」だ。

何か悪さをすれば本当に殴られた。文鎮で叩かれたこともあったなあ。怒り狂って椅子をなげる先生もいた。今では体罰とよばれることがまだ普通に行われいた。そして日常的に起こる喧嘩。バイオレンスがすぐ近くにある時代というか学校だったなあ。

一応規律は厳しく茶髪は禁止なので中学時代にブリーチしていた俺も髪を黒く染めた。従わなければその場でバリカンで坊主にされるっていうね。

ジョリジョリジョリジョリジョリジョリジョリジョリ

って何人かやられてるのを目撃したこともある。電動ではなく手動のバリカンだ。しかし出来上がりはけっこう悪くないものだ。先生たちも小慣れてきているのだろう。

まあ2.3年になるとだいぶ自由が効いてくるんだけど。一年生の締め付けはハンパなかった。

しかし髪を染めてもだんだんと色が落ちてきてしまうものだ。すると濃い紫のような色になってくる。

担任に注意されてまた染め直そうと思っていた所である出来事があった。

俺はなんでもいいから部活に入らなければいけなかった。それが推薦の条件。入部しなければ退学になっていただろう。

もちろん心臓病のことがあるからサッカーはできない。

「テニス部入るけど一緒にいかない?」

クラスで後ろの席のやつが誘ってきたので俺も入部することにした。病気で運動自体も禁止されていたのだがテニス部は練習はほとんどなくゆるい部活で有名だった。

そして仮入部の日にその出来事が起こったのだ。

仮入部に来た一年生が一列に並ばされて部活について軽い説明を受けた。

しかしその話しの途中である先輩が

「お前ちょっ前に出てこい」

と俺に向かって言うではないか。

なんだなんだと前にでると

「おらぁ!!」といっていきなり殴られたのだ。

え?何?俺が何をしたの?鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていただろう俺。

でも正直言って先輩のパンチは全然痛くなかった。やり返そうと思えばやり返せそうな気もしたのだが耐えた。

その痛がらない俺のことをムカついたのかさらに殴りかかってきた。それを避けたものだから「おい、お前らもやれ!」と他の先輩たちに囲まれてボコボコにされた。

髪が濃い紫だったから目立っていたというのが理由だったらしらしい。

いわゆる制裁パフォーマンスだなあ。最初にこういう恐怖で後輩を支配していくのが伝統なのだろう。その見せしめとして俺が選ばれてしまったということだ。

ほとほと運の悪い俺ちゃんだこと。

その場はなんとか治まったのだがテニス部には入部しなかった。当たり前だな。

そしてほとんど活動のないカメラ部に入部して籍だけ置くことにした。最初からそうしておけばよかったなあ。

その後しばらくは普通の高校生活を送っていた。友達もできた。友達の紹介で近隣の女子高生と遊んだりナンパもしたなあ。

でも馬鹿学校で有名だったから高校名を出せばみな逃げていく。

俺たち「君たちどこの高校?」

女子たち「◯◯高校だけど、あなたたちは?」

俺たち「◯◯高校」

女子たち「……ごめん忙しいから」

俺たち「チーーーン…」

みたいな感じ。まあそれでも楽しく高校生活をエンジョイしていたよ。

しかしある出来事が起きて俺の高校生活は変わってしまったんだなあ。

高校は俺の地元にあった。当然高校の中にも大きな勢力グループがあり俺も数人と中が良かった。だがある時にその高校グループと俺が以前に所属していた地元の不良グループが揉めたのだ。揉めたたというよりも不良グループの方が一方的に俺の通う高校のグループをしめた感じだ。

不良グループは中学を卒業してから他校のや つらとつるみ暴走族をしていた。顔ぶれはまさに地域のオールスターのような感じだった。

ろくでなしBLUESでいえば前田、鬼塚、薬師寺、葛西が同じグループにいるようなものだ。しかも結束も硬かった。

寄せ集めの高校グループが勝てるわけがない。

数日後にとある友人を通じて高校グループに俺は呼び出された。

20人位はいただろうか。トイレの中で囲まれた。

結論をいうと仲を取り持ってほしいということなのだが俺は乗り気にはなれなかった。

俺は不良グループにいたといってもたかがしれている。

そもそも俺の力でどうにかできる連中ではない。またろくでなしBLUESに例えると小兵二軍団にも入れないような無名の脇役だ。

その後不良グループ内にいた小学校からの友人に一応話しを通してみたがやはり彼らは止まることはなかった。

結果的に不良グループの地元の取り締まりが更に厳しくなった。

それを理由に俺は高校グループに呼び出されてボコられた。

またも運の悪い俺ちゃん。

異常を知った不良グループが仕返しをするということが何回か続き落ち着いていった。

それからというもの俺は高校の中でほとんどの奴に無視されるようになったのだ。もう手は出されることはなかったが一線を張られた感じだ。

むしろ俺と仲良くしていた奴らが何か言われたりやられたりしていた。

それでも数人は気にせずに話してくれたが彼らに迷惑をかけたくないので俺自身が彼らと話すのを避けるようになったのだ。

こうして俺の高校生活は孤独になり一気に普通のものではなくなっていったのだなあ。

輝かしいエンジョイハイスクールライフも終わり。

さらば青春の光!!

ただ俺には中学の時に出来た親友がいた。俺らの友情は中学卒業後も続いていたのだ。

学校が終わると親友の彼と会い、二人で変わらずに音楽を聞いたりファッションや人生の話しを楽しんだ。

しかしそれも長くは続かなかった。

長くなってきたので続きはまた今度書くとしよう。

それにしてもここに書いた約一年間で俺は何回殴られたんだろうなあ。

まず今日はこれぎり!

 

答えに迷った時に読みたくなる愛用の金言集・語録5冊を紹介しよう。

Life's pathway

昨日ブログにも書いたが体調が悪く寝ていたがすっかりよくなった。やはりアレではなかったようだ。皆も呼称しないでいてくれたおかげ。みんな本当に優しいなあ。ありがとう。

寝疲れをしてしまい夜中に起きてしまって少し本を読んだ。

俺は普段あまり本を読まない。漁るように読んでいた時期もあったがそういった時間は滅法なくなった。

それでもたまに目を通す本がある。それは金言集や語録といったような本だ。
少し偉そうなことをいうが俺はこういった本から何か答えを知りたいと思わない。自分の答えが正しいのかどうか迷っている時に読む。
読むというよりも適当にめくって開いたページだけを読む。そこに書いてある言葉から何かを読み取る。一種のおみくじのようなものだ。それが意外にも今考えていることだったりするから不思議なものだ。

逆に何かに困っている時は本は読まずに自分と向かい合う時間をもつようにしている。そして自分自身の答えを出す。その答えに迷いがある時に本を読むのだなあ。参考にしつつ最終的に答えは自分で決める。

今ではこんなだが以前の俺は本に答えを求めていた。そこに書かれていることが正解でそのとうりにすればいいのだと。方法論やテクニックを書いた自己啓発系の本などはまさにそうだ。

ただそういう本を読んでもだいたい書いてあることが実際にはできずに自分を貶める結果となってしまう。

お前はこんな当たり前のこともできないのか?そんなじゃ生きてる意味なし!ゴートゥーヘブン!!と言われたような気になっていた。実際にそんなことは言われていないが気持ちが分かる人もいるはずだ。

まあそれは俺ができないだけなのだけれども人のテクニックを使ってできるようになってもそれはそれで別の苦しみを生み出したりするものだ。

違う自分になって成功をしてもそれは自分自身ではないからだ。自分では答えが出せなくなるのだ。だからまた答えを求めにいく。
さらに自分でやりたくないことも正解とするので自分を苦しめることに繋がってしまうのだ。結局は人の出した答えなのである。

それにこういう本は根本の解決策というのは書いていないものだ。基本的な行動やテクニック重視。いろいろ読んでみたが解決策が書いてある本はいくつかしかなかったなあ。

動け動け動けというけれども動けない人はどうしたらいいの?この苦しみをどうしたらいいの?

そんなん知らん!いいから動け!甘えんな!わっしょいわっしょい!というのが基本。

動ける人からしたら当然といえば当然だしこういう本に求める答えのベクトルが違うだろ!と言われればそれまでなのだが答えがないなら読まない!

こうして方法論やテクニックを書いた自己啓発系の本は読まなくなった。

それから人に期待するのではなくて自分と向き合い自分で答えを探すようになった。俺は誰かになるのではなくて本当の自分を大事にする方法を模索した。

また偉そうに聞こえるかもしれないが俺は俺だけなのであって他の誰でもない。自分なりの方法も答えも出せるのは自分しかいないんだなあ。そこに行き着いた。

誤解がないように言っておくが自己啓発系のすべてがおかしいということではない。俺自身も今は行動の大切さというのは重視している。

そういう意味では今まで読んていた本に答えがなかったおかげで自立することができたんだ。感謝しなければ。そして次に書きたい記事の内容も浮かんできた。良い事だらけじゃないか。

自分で答えを決めると言ってもその時に迷いはある。だって人間だもの。そんな時には先人たちの声に耳を貸すようにしている。違う目線で物事をみるとどう映るのか。そういったものが見えてくる。

そうして先人達の言葉は俺の答えの迷いを吹き飛ばしてくれる。だからこそ晴れ渡った落ち着いた心で答えを決めることが出来る。

前置きがながくなってしまったが俺が答えに迷った時に見る金言・語録を紹介していこう。かなり有名所ばかりが並ぶが何冊も読んできて残った結果だ。

松下幸之助 成功の金言365

パナソニックを築きあげ経営の神様とも言われた松下幸之助。こういった記事の紹介では必ずといっていいほど取り上げられる名書だ。経営のみならず迷いから救う数々の名言があふれている。当たり前のことばかりのようだが心のに染み渡る言葉の数々。言葉にも重みというのがあると実感することが出来る本である。ちなみにPHP研究所は松下幸之助によって設立された出版社だ。

松下幸之助 成功の金言365

松下幸之助 成功の金言365

 

 

アインシュタイン150の言葉

20世紀最大の物理学者アインシュタイン。物理学者としてのアインシュタインの専門書を読んでもまるでちんぷんかんぷんだ。俺には全く理解ができない。だが人間アインシュタインの言葉はシンプルであり分かりやすい。天才と呼ばれ続けた男の人間くさい言葉の数々は勇気を与えてくれる。

アインシュタイン150の言葉

アインシュタイン150の言葉

  • 作者: ジェリーメイヤー,ジョン・P.ホームズ
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 1997/03/31
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ゲバラ 100の言葉

革命家のチェ・ゲバラ。先日亡くなられたカストロと共にキューバ革命を成功に導いた男である。今回紹介した他の本と比べると攻撃性の強い言葉が多い。そう言った立場に身をおいていたのだから当然だろう。だが真実に対するまっすぐな姿勢から出た言葉は多くの気付きを与えてくれる。チェ・ゲバラの愛情深き力強い言葉の前に迷いは消える。

ゲバラ 100の言葉

ゲバラ 100の言葉

 

 

スティーブ・ジョブズ名語録

ここはあえて説明をするまでもないと思うがスティーブ・ジョブズはただの変人ではない。ただの嫌われものではない。なぜジョブズの言葉には力が溢れ人を魅了するのか。それはプレゼンテーションのテクニックだけではないことがこの言葉の数々から感じ取れるはずだ。

スティーブ・ジョブズ名語録 (PHP文庫)

スティーブ・ジョブズ名語録 (PHP文庫)

 

 

中村天風一日一話 元気と勇気がわいてくる哲人の教え366話

 今までこの本を何人かの人に紹介をしたが中村天風を知らない人はけっこういるものだ。この記事を見た人の中にも知らない人がいるかもしれないが中村天風は元軍人で人斬り天風と呼ばれた男。その後肺結核を患い世界中を旅して治療法を探す。最終的にインドでヨーガを2年半修行し病気を治した。あの稲盛和夫をはじめ多くの著名人にも師事されていたとされる人物だ。幾多の困難を乗り越えた男の声は力強くも優しい。

詳しく知りたい人もいるかもしれないので中村天風のWikipediaリンクも貼っておこう。

中村天風 - Wikipedia

中村天風一日一話 元気と勇気がわいてくる哲人の教え366話

中村天風一日一話 元気と勇気がわいてくる哲人の教え366話

 

 

論語の教え 孔子のことば・セレクト119

この本は読んだことがないのだが俺が今一番読みたい本だ。孔子というお方が気になって仕方がない。論語というものも読んでみたいがまずは その言葉の数々に触れてみたいと思っている。

論語の教え 孔子のことば・セレクト119

論語の教え 孔子のことば・セレクト119

 

 

基本的に金言・語録は難しいことを言ってない。簡単でシンプルだが心を打つ言葉に力を感じる。

ある一線を超えた人というのは国や時代。やっている事は違えどある一定の視野から物事をみるようになっている。全ての本を読むと同じようなことを言っていることがいくつもあるのだ。

これはある種の人間のあるべき姿なのではと思っている。人間の本能ともいうべきか。だからこそ今の時代でも人に訴えかけ心を奮わせるのだろうなあ。

1ページごとに言葉や文章が並んでいるのであまり時間が取れない人や本を読むのが苦手な人でもおすすめ。

言葉が気になったらそれぞれの本や伝記も読んでみるのもおすすめ。なぜか皆同じ経験もしている。なかなか興味深い所だなあ。またその辺はいずれ。

まず今日はこれぎり!!

250文字以内で今の俺の状況を説明しよう。

anti stress

今日は久しぶりの風邪をひいてダウンしたぞい。

関節も痛いから熱もあるのかなあ。

もしかしたらアレか。いや、名前を呼んだら本当にそれになってしまうから

呼称をするのは辞めておこう。

というか風邪なんてひいたのは本当に何年ぶりだ。

もちろんこのブログを見たからといって風邪は伝染らないので安心してくれ。

そういう類のウィルスではないのだから。

さっき薬を飲んだからか頭がボォーとするなあ。

今日は休んどこ。

みんなも体調にはくれぐれも気をつけて。

決してアレの名は呼称してはいけないぞい。

まず今日はこれぎり!

今後のこのブログについて。か分からないような雑記を書いてみたぞい。

今日は少し肩の力を抜いて雑記を書こうかと思う。このブログの行き先を考えると共に。

以前より見てくれてる人はわかると思うがヘッダー画像を変えてみた。

最初は歌舞伎キャラでいこうと思ったもんで歌舞伎役者のイラストを使っていったのだけれどもブログ初日にそのキャラで行くのが無理と分かって破綻。

追い打ちをかけるように横から見ていた嫁に「何その画像?怖いんだけど」と言われてしまったんだなあ。

まあそんなこんなで時間もあったから作ってみた。

f:id:onriedo:20170208104252p:plain

こういうのを自分で作るのは久しぶりだったもんだからまだ納得はいっていないのだけれどもそこまで時間もかけられないのでひとまずこれで落ち着いた。

でもやっぱり縦型の方がよかったかなあ。少し雑につくったのでもう少し詰めたい部分もある。まあまた時間がある時に直すとしようか。

このブログでは今のところ自分語りとWEBマーケティング系の記事をメインにしていこうとしている。

生き方というカテゴリーもあるのだけれどもこれは自分語りかWEBマーケティングのどちらかにも属しているからいらないのかもしれないけれども一応今後のために残しておいているんだなあ。

今後はあと1つか2つ位このブログに書けるサブシリーズを作って行きたいと思っている。

今はまだこのブログはAmazonとかに登録していないのだけれどもはてなブログではAmazonの商品紹介を簡単に出来るから登録しないまま商品紹介の記事を書いてみてもいいかなとは考えているんだよねえ。

なんかあんまりガチガチにやるのはこのブログではしないと思うのだけれどもライトな記事を書くかもしれないぞいと。

後はなんだろうなあ。こんな感じの雑記でも良いかなあ。

書きたいことはたくさんあるのだけれどもこのブログの趣旨とは大きくハズレるんだよなあ。まあ一気に手を広げると収集がつかなくなるからこれもまた今度考えてみましょっと。

それともう一つ大事なのはマーベラスとあっぱれ!に続く決まり文句がほしいんだよなあ。

マーベラスはけっこう返して使ってくれる人もいて嬉しいのだけれどもここまでインパクトのある言葉があまりないのだよねえ。

どうしたものかなあ。

これもまたひらめきがあるだろうからその時を待ってみるぞいと。

ちなみに俺のブログの最後は毎回「まず今日(こんにち)はこれぎり!」で締めているのだけれどもこれは歌舞伎の一日の演目の締め挨拶として使われている言葉なんだ。まあ本物は聞いたことがないのだけれども今度歌舞伎でも見に行ってみるかなあ。

このブログをはじめて来週で一ヶ月が経過する。おかげさまで今の時点で初月の目標を達成できた。皆さんに感謝する。

まだ少し早いが次の一ヶ月も続けて書けるようにと思っている。

誰かがが求めることを発信できるかなんていうのは分からないのだけれどもどこかの誰かのお役に立つことがあればこの上ない幸い。

本日もマーベラスな一日を!

まず今日はこれぎり!

自分の中の問題を問題として認識しなくなると心を開放できるようになる。

最近はちょっとWEB系のことばかり書いていたのでまた自分語りでもしようか。
さて何を書こうかなあ。昨日の記事は少しばかり偉そうなことを書いたがこういう風に自分が書くのは難しいものだ。

さっき親から連絡がきたので改めて家族のことを書こうか。このブログでは何回か登場した俺の家族はとても良い人で伝わっていると思う。良い話しだけを書けばそうなるのも当然だ。

もちろん良い人である。父親はもう亡くなっているが他の家族とは今では普通に仲が良い。だがそこまでには色々なことがあったんだなあ。マーベラスなことも。まあ過去に何があったとしても今は俺の捉え方が変わった。なんでそうなったかを話していこうかなあ。

Elderly Woman walks


まずは親父。家に帰ってこないというあの親父だ。

実は親父には愛人がいたのだ。俺も会ったことがある。仕事が忙しいのもあったと思うが親父はそちらの家に帰っていたというのも分かっていた。金もそっちにつぎ込んでいたのだ。

ときには給料を落としたと言ってまったく家に金をいれないこともあった。何度もだ。俺のお年玉なんかは全て使われてしまった。

家に帰ってくるようになったら今度は酒を飲み続け暴れた。母親とは毎日ケンカ。俺の家は団地の2K。襖で仕切られた2つの部屋が繋がっている。親がケンカをしている時は逃げ場などない。常にその現場を目撃していなければいけなかった。灰皿やらなにやらが飛び交い窓は割れていた。包丁を持ち出したこともあったなあ。

時には俺や兄を殴ったこともあった。そんな親父だ。

母親は父親のせいかヒステリックになっていた。

父親が居ない時にはいつも何かに怒りタバコを吸っていた。高橋真梨子の歌を大声で歌いながら晩飯を作っていたのが印象的だ。何かあれば俺たちをすぐに引っ叩いてたなあ。

その後は宗教にハマり俺も連れていかれたことがある。変な呪文みたいなものは今でも唱えられるほど強烈に頭の中に残っている。

忘れもしない小学校の5年の時にはついにブチギレて離婚をすると言い出しなぜか俺のランドセルの中に離婚届が入っていた。私が居なくなったらこれをお父さんに渡してと言われた。その時は俺はなんだか理解していなかったが。

結果的に分かれなかったのだがヒステリックは続いた。優しい時もあったが急にキレだすあの瞬間が怖くていつも怯えていたよ。そんな母親だ。

兄は俺よりも親父に殴られたり暴力を振るわれることが多かった。そしてその発散が俺に回ってくる。いつものように兄に殴られたり蹴られたりしていた。

俺が泣いたって気にしない。俺は泣きもしなくなった。笑うことも。家で話すこともなくなった。

いつだったか木から落ちて骨折をしていたらしいのだがあまり分かっていなくて次の日に学校で急激に痛み出し骨折が判明した。もはや感覚も鈍ってしまっていたのかも知れない。

一時期流行ったエアガンで近距離から撃たれたりもした。そんな兄だ。

旅行もしたことはない。家で撮られた写真には笑顔がまったくない。何か思い出があるかといえば些細なことしかない。子どものころから変に冷静で笑顔もなく子どものような可愛さなどもなかった。近所の人にもおとなしい子どもだったと今でも認識されている。

別に不幸自慢をしたいわけではない。かわいそうな俺をアピールしてるわけでもない。もちろんマーベラスだと言ってほしいわけでもないなあ。ただただそんな家庭に育った俺だ。

それは外に出ても当然コミュニケーションもとれなくなりいじめにあい鬱やひきこもりや統合失調症にもなるだろう。こんな家庭に育っていれば当然だと思う。

というか親や兄のせいだとずっと思っていたのだ。俺はこの人達のせいで人生が真っ暗だ。こんな家庭に生まれたくなかった。お前らなんか親として生きれないなら俺を生むなよ。全部お前らのせいだ。

一度は自分のせいだが事故などにあい死ぬ寸前を迎えたことも二度ある。計三度だ。

なんで俺がこんなに苦しまなくちゃいけないんだよお…俺は誰に話すこともなくずっとそう思っていた。

早く家を出たくて働いても社会不適合者の俺には働けない。そしてひきこもる。家を出たいのにおかしな話しじゃないか?俺は不幸の星の下に生まれたと諦めるしかなかった。

まあこうして振り返ると結構心苦しいものだなあ。やっぱり胸が痛むよ。

だが今では俺は過去のことは良かったことだと捉えている。全てのことがあったからこそ今の俺が存在しているのだ。

もちろん苦しいときもあった。悲しいときもあった。しなくても良い経験もたくさんしたよ。でもその分得たものが大きかったことを俺は今感じているんだ。今までの経験が俺の成分になっている。どれか1つが欠けても駄目だったんだ。

前とは違う意味で他の人との違いを感じている。それが俺のアイデンティティとなっているんだ。

だから今では親にも兄にも感謝している。良いことも悪いことも含めてだ。前にも書いたがこれは今上手くいっていて余裕が出たからではないんだ。おかげさまで今は仕事も安定し結婚もした。しかし結果良ければということではない。どん底の時にそれを感じたんだ。家族に対しての感謝を。そしてそれが俺を大きく成長させてくれた。そして今の幸せがあるんだ。

ずっと家族のせいにして俺は不幸だと決めつけていた。何もかもが上手くいかないのは奴らのせいだと呪っていた。

だがそれが急に変わったんだ。

やつらの何が問題なんだろうかと。俺が問題と見ていることこそが問題なのだ。誰かが問題とみていることが問題なのだ。問題なんていうものは最初からないのだ。

そう思ったら全ての意識がふっ飛んだのだ。その瞬間に何かから開放された気分になって楽になった。

だからと言って問題をみないようにしたわけでもない。直視できずに見えなくなったわけでも俺の過去から消したわけでもない。逃げたわけではなくて全ての俺の経験の上に立つことができたのだ。

そしたらただただ生きてることが幸せに思えてきた。飯をくえることも。寝ることも。パソコンさえも出来ることを。それだけのことができているのに何が不幸か。というか孝も不幸も分けなくなった俺がそこにはいた。

頭が真っ白になり俺は家族への感謝が頭いっぱいになった。

生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。いろいろ経験させてくれてありがとう。自然と涙がこぼれおちたよ。家族みんなにもそれを伝えた。泣いて上手く言えなかったけど。充分すぎるほどに伝わっていたと思う。

こうして俺は昔のことも不幸なことだと思わなくなったのだ。

どういうふうに考えたの?

と聞かれることもあるがこれは頭で考えてすることではないと思う。頭で考えるとやはり嫌だという印象が今でもあるにはある。この記事を書いていて余計にそう思った。

それじゃ何かというと物事の捉え方が変わったのだと。感覚的に心で捉えるというイメージだ。そうすると全ての見え方が変わって見える。問題が問題じゃなくなるのだ。

すると考え方も自然と変わる。今までとは違う風景が広がるのだ。夜空が青空に。真っ暗だったものが真っ白に見える。

これは俺の文章力のせいで上手く伝わらないかもしれない。

そこで1つの映画を紹介しよう。先日移動中に久しぶりに見た映画なのだが名作として名高い「グッド・ウィル・ハンティング」だ。

マット・デイモンベン・アフレックが脚本と出演をしいる作品だ。

天才的な頭脳を持ちながら幼い頃に負ったトラウマから逃れられない一人の青年と、最愛の妻に先立たれ失意に喘ぐ心理学者との心の交流を描いたヒューマンドラマ。

グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち - Wikipedia

少しネタバレもあるので知らずに見たい人はここは飛ばしてほしい。

もちろん俺が天才的な頭脳を持っているわけではない。

この作品で感じてほしいのは心を開かないマット・デイモン演じるウィルがロビン・ウィリアムズの演じるショーンと泣きながら抱き合うシーンだ。

ウィルは人に対してはじめて自分の心を素直に開く。そして涙が止まらなくなるのだ。

もちろん今まで2人が話したことや信頼関係があってそうなっていくのだが最後は考え方で開放していくのではないのだ。ショーンは何かが問題でウィルが心を閉ざしていたのではと思って色々な方法を考えてその解消法を探すが見つからない。

それはそうだ。ショーンはずっと問題だと思ってみていた。だがウィル自身に解決する問題などなかったのである。彼自身を本当に信頼し認めることで彼の心の開放に繋がったのではないかと俺は思っている。そしてそれはショーン自身の心の開放にも繋がるのだ。
ショーンとウィルの開放の順序はもしかして逆かもしれない。そこはもう一度見てみたいと思う。

そのシーンこそ短いがその後からのウィルは全てが変わっている。

さっき俺が書いたように考え方も見える世界も全てが変わったのだろう。彼女の元へ向かうシーンで幸せへの恐怖もなくなっているのが分かる。

他にも良いシーンや言葉があるので見てほしいし、一度見た人も見直してほしい。NetflixやHuluなんかでも見れるらしいので是非。

俺とウィルが同じかは分からない。方法というのも少し違う。

だが二人共にある種抱えていたものから開放された。それが自分を解き放ったのだ。その抱えていたものこそが自分の蓋になっていた。その蓋をどかすことができれば誰でもどんな過去があろうとも幸せを感じることは出来るんだ。

今その心の中にある問題は本当に問題なのだろうか?問題というのは問題として認識することで問題になることがある。それを頭で考えれば考えるほどに問題になる。

だが問題として認識しなければ問題にもならないものだ。同じような問題を抱えている人も心を開放してあげてみてはどうだろうか?

もちろん簡単なことではないだろうが何かのきっかけになってくれたら嬉しく思う。

まず今日はこれぎり!

シリーズ化決定か!?はてなブログとWordPress。

先日のはてなブログWordPressSEO比較の記事に対して続報をけっこう求メラレタのでシリーズ化していこうかなんて考えもあるんだなあ。

まあ一応仕事でしているので書けることも書けないこともあるのだけれども。

今はまだ時間もそんな経過していないので続報ということでもないのだけれども。ちょっとしたおさらいも含めて補足をしておこうと思う。

今現在はてなブログWordPressの方に20記事づつ投稿して様子をみている。

内容的には完全に専門的だ。何も知らない俺が読んでも分かりやすいレベルには到達している。

両方ともに内容は違うが記事の長さや改行の位置。スクロール量。キーワードの量。キーワードの強さをある程度同じにしている。

HTMLタグ的な作りも同じだ。完全というのは難しいが基本的な部分はある程度揃えた。

Seo

まずは通常記事10記事の内訳

内容的にはバラバラだがキーワードとその周辺から集客できそうなものをピックアップして記事にしている。需要がなければいくら書いた所でお客様はこない。そうは言ってもキーワードからブレると要素が弱まる。そういう場合はキーワード自体が弱くても何かと結びつけることで強力になり充分に集客はできるものだ。

うち5記事はプロのライターに依頼をして記事を書いてもらった。まあ俺自身は記事を書くのはそこまで上手くないから餅屋は餅屋に頼もうじゃないか。

書くに当たっては取材・撮影もしている。けっこうガチだ。

両ブログ合わせると10記事なのでいい値段。

ちなみに俺は安い値段で頼むことはしない。プロはプロとしての金額を請求するべきだし頼んだ側は支払うべきだと俺は考えているからだ。

そこに一般的な相場など関係ない。

相場に巻き込まれれば価格競争に陥り仕事どころではない。

フリーランスでしていると価格競争に巻き込まれることが多い。そういうことも身をもって経験してきた。

でもそれは自分で入り込んでいるだけでそこに入らなくても充分にやっていける。これ以上話がそれるといけないのでまたこの辺は別の機会に書こうと思う。

だからこそクリエーターには価値に見合った金額を払う。もちろん必要以上払う意味はないが。

通常の残りの5記事はライター見習いの人に書いてもらった。

もちろん報酬は出すしそれなりのクオリティは最低限保ってもらっている。

新人に実践を積んでもらう場を作りたい。俺はずっとそう思ってきた。もっとこれは拡大していければと思っているのだが。ライターの価値をもっとあげていけるようなものが作りたいと。

だから仕事でもプロに頼んだり見習いに頼んだりもする。これは予算次第だが出来るだけ新人にも活躍できる場を増やす活動はしている。ライターが徹底的に取材をする。撮影もする。そうして記事に落とし込んでいく。予算がなければ依頼してきた当事者が書けるようにする。

また話が反れたがこれが通常10記事だ。

残りの10記事はまとめや商品の紹介。

これはおすすめ何選やこういう時はどうする?みたいな記事を書いた。簡単に言えばNA◯ERのような感じだ。

ここは自分や有志の人の力を借りた。その中にははじめてブログを書いた人もいる。こちらが書き方を教えることと引き換えに無料で書いていただいた。

ここではしっかりと書き込む記事を5。残りの低品質であろう記事を5用意した。
低品質の記事は写真とウィキペディアからの引用がほとんどである。

この辺ははてなWordPressというよりもGoogleの今現在の動きを知りたい方が大きい。一部は上位に出てしまっているがどのように動くか楽しみにしている。あくまで今現在の話し。将来的な話とはまた別だ。

先日のキュレーション対策の発表があったがその日の当日に大きな変動が各ページにも見られた。

一部名指しもあったが一般も適用内か。次の日には回復もおきていたのでまだロールアウトするまでは様子見だろうけれども。

ただこの辺は2013年位からの結末的な話しのように感じる。移っている人はもう次のフェーズに移っているからだ。

これから新しくなるという感覚はまったくない。

フェーズとは格好良く言ったが早い話が当たり前のことなのだが。

まっその結果が見られうようになったりブログで語られるようになるのは2017年の後半から2018年の前半頃か。

一般的に浸透するのはもう少し先だろうけどねえ。まあ今は情報がどんどん加速しているからもっと早く出てしまうかもね。逆にそれが混乱を招く恐れもあると思ってはいる。古い記事との混在も然り。

っとまあこんな感じなのだが更に10記事づつを増やす予定で動いている。

一番最初のゴールとしての設定は一年先。その時には50記事づつ位にしていこうと思っている。

投資はある程度あるがその時には充分にペイできているであろう。協力者に謝礼も出せるほどになるだろう。その先を見越して純広告も視野に収めている。

専門的なブログやサイトはこの辺が強い。ここまでくるとAdSenseアフィリエイトに頼らなくても収入は大きく見込めるようになる。

自分で商品を作ったり何か商品をプロデュースしてしまうのも手だ。今のところは比較用のサイトの体が強いがそれを進化させることはいくらでもできる。まあこんな話しもいつか書こうか。

まあまずはここからどうなることやら。様子をみていこうじゃないかい。

まず今日はこれぎり!

ちょっとSEOの話しをしようかなあ。というか報告みたいな感じなのだが。

Sticky note - seo

実はこのブログに先駆けてある実験をするためにブログをはてな内に作った。

といっても俺ははてなブログPROではないから条件を整えるために協力者にお願いをしてブログを作っている。

ちなみにはてなブックマークSNSなどはつけていない。

もう一つはWordPressにもほぼ同様のページを作ってもらっている。

どちらも現在20記事。内容的には違うが記事のボリュームは同等程度である。一部は有料でプロのライターにお願いをして書いてもらった記事。

どちらも独自ドメインを設定してその違いを検証している。

内部リンク構築はピュアな状態で何もしていない。サイドバーの表示ははてなの方に合わせてほぼ同じように設定してある。

キーワード的にあまり強いところを狙うと経過が先になってしまうのでとりあえずはそこそこのキーワードを狙った。この先もっと強いキーワードも試してみたいと思っている。

まだそこまで長い期間ではないがその経過をみるとはてなSEOの強さというのが改めて分かる。

はてなブログの方ではすでに数ページが上位に食い込んできている。

WordPressの方も表示はされてきているが、検索結果に表示されるスピードははてなブログが優勢といった感じだなあ。

まあこの先続けていったら形勢逆転もあるかもしれないがそれは様子をみていこうじゃないか。

ゴールに先に辿り着くのはどっちか。それが本当の強さであると思う。

スタートダッシュははてなブログが有利。

っとまあこんな感じでやってみてはいるのだけれども20記事のうちの10記事はいわゆる商品のまとめのようなものなんだよねえ。

しかもその内の5記事は商品の素材写真と商品紹介の引用文を掲載しただけのもの。

早い話がGoogleが価値のないと言っている低評価の内容だと思うのだけれども。

そういうページが検索結果の上位に載ってしまう結果が出た。キーワードの強さ的なこともあると思うが。

まだまだこの辺はGoogleも進化中のところなんだろうねえ。

その検証も含めてやってみたんだけれども。目指す所と現在の状況というのは違うものだねえ。
まっだからといって上に書いたような記事の書き方はしないよう。

長い期間ブログを続けようと思うなら特に。Googleがそこに追いついた時に痛い目をみるからねえ。今良くても後から悪いに変わる。そんな形のいたちごっこがずっと続いてる。

誰もが認める完璧なサーチエンジンが出来上がる日というのは来るものなのかねえ。

まあサーチエンジン側だけでなくてコンテンツを作る側にも問題があるっちゃあるんだけれども。それさえもコントロールできたら凄いもんだよ。

もうその時はサーチエンジンではないかもしれないけれどもねえ。どんな未来が俺らを待っているんだろうね。楽しみだなあ。

ということで話しが反れてしまったがまたしばらく検証してみることにしようじゃないか。

と思ってたらこんな記事をGoogleさんが今日付けでアップしていたね。
さてさてこれがどんな風に適用されていくのか。様子を見ていこうじゃないか。

webmaster-ja.googleblog.com

 

まず今日はこれぎり!

自分が動けば人も動く。そこには必ず何かが起こるんだ。

またしばらくブログを離れていた。普段は日本全国を回っている。
俺を必要としてくれる人がいるならば俺はそこにかけつけて力になりたいと思っているからだ。

今回は予算的にかなり少ない。話しを受けるかどうか一瞬迷ったが店主の気持ちとやる価値があると直感で思ってきめてきた。

まあそんなこんなで今は久々にWordPressでサイト構築をしている。構築とはいっても予算的にテンプレートを使うことになったが俺が作ったオリジナルテンプレートがあるのでそれを流用している。

今はマーケティングディレクションの方が生業として大きな存在だがフリーランスWEBデザイナーをしていた時もある。むしろそれが大きな夢であった。

今日はそのきっかけになった話しをちょっとしようかなあ。

IDEO

社会復帰をした俺は一時仕事には就いたがいわゆる普通の生活が出来なかったのだ。社会不適合者であると分かってはいつつもそこに蓋をして自分を苦しめてきた。

会社のような組織にいられなければ生きていけない。そう思っていた。だからそれを手放せなかった。当然のことだと思う。社会不適合者が社会を出て生きていけるなどその時は思えなかったからだ。

ある時俺は1つの考えにたどり着いた。それはやりたくないことをやらない自分だ。できないこともできないで良い自分だ。やりたくないこともできないことも自分にやれと言い聞かせてきた。だがもうそんなことはしない。自分を痛めつけるのは終わりだ。そういう考えにたどり着き実行に移した。手放せなかったものを手放したのだ。やりたいことをやるためにも。

前の自分ならばここでまたひきこもりに戻っていたであろう。もう今までの自分とは違う。だが目立った学歴も職歴もない何もない俺がなにをすれば良い。結局はバイトか。また掃除でもするか。いや違う。俺はやりたいことをするためにやりたくないことをやめたんだ。俺は俺ができることを仕事にしようと思った。

ここは結構わかりづらいと思うが、やりたくないことをやらないというのは全てを放棄するわけではないのだ。何かをやりたいと思うのであればそのためにやりたくないことはやらないということだ。似てるようで違う。

むしろ全てを放棄して生きてみれば分かると思う。そんな生活はすぐに飽きてしまうものだ。何かしたくてうずうずする。それが実感できるはずだ。

ひきこもりの人だってそうだと思う。何かをしたいはずだ。でもその行動が伴わないのだ。その何かが分からずにもがいている人もいるだろう。だが何かにうずうずしているはずだ。前の記事でも書いたが俺はそうだった。

自分にプロジェクトという名の任務を与えて満足して安心していた。うずうずしている感覚を打ち消すためにひたすら任務を遂行していった。

人間というのは何もしないでは生きれないのかも知れない。ひきこもりの人が自分に与えた任務でも金持ちが何もしないで過ごさずにいるのは同じ。何かに満足している。任務や金という安心に。その安心が人間の本能を押さえつけているんじゃないかと。

まあ話が反れたので戻すが俺ができることといえばWEB制作位だ。タグ打ちでセンター揃えの時からやっている。これが自分に任務として与えてきていたことだ。
さっきも書いたが学歴も職歴もあってないような存在だ。資格も無いし免許もない。人生詰んでる。そう言われたこともあるが俺は諦めなかった。

俺はとにかく時間があれば自分でWEBデザインを作っていた。だが実践での経験が豊富にあったわけではない。経験といってもその時は散々だった。それからこんな自分では駄目だと怖がって本当にやりたいことから逃げていた。だからその後WEB系の職についたことはない。だがもう逃げ場はない。俺は袋の鼠だ。もうやるしかない。

実際に作れるとしてもお客さんなんていない。どうすればいいか迷っていたがとにかく止まっていても何も始まらない。俺は目についた会社に作品を持って営業をした。どこか飯を食いに店に入れば名刺を見せて営業をしたりもした。だがなかなか上手くいかないものだ。やはり俺には無理なのか…そう考えた時もあるがなんとか乗り越えて続けていった。

どれくらい続けていたのか、ある会社が目についた。以前俺がひきこもりから立ち直る際に面接をドタキャンした会社だ。その記事に書いたのだが俺はその後仕事が決まってから少し経った時にドタキャンした会社全てに謝罪のメールや手紙を送っていた。返答してくれた所もあったがその会社からは返答がなかった。

その会社の前に立ち俺は考えていた。あの時ここまできて入れなかった会社に勇気を出していってみよう。今思えば仕事とか関係なく自分に踏ん切りを付けたかっただけなのかも知れない。

階段をあがりドアをノックすると怖そうなおじさんが出てきた。一瞬たじろいだが俺は一生懸命に売り込んだ。だがまったく興味なさそうなおじさんを動かすことはできなかった。
ここもだめかと諦めて、以前にドタキャンしたことの謝罪と手紙を出したことを伝えて俺は階段を降りようとした。

そこでおじさんが一言発した。「君ちょっと中に入って」
俺はその言葉に一瞬ドキっとした。これは怒られるんじゃないかと。怒られるなら怒られるで良い。そう開き直り俺は導かれるままに会社の中に入った。

とりあえずソファーに座ってと言われた。パーテーションの向こうには何人かの人が仕事している気配がする。
そわそわしながら待つこと5分位か。さっきのおじさんが女性を連れてきた。お茶を持ってきてくれているので怒られることはないか。と勝手に安心したりもしていた。

おじさんがお茶を飲むと。いただきますと言って俺もお茶で喉を潤す。一体何を話すのだろうと思いながら。

しばらく沈黙が続く。その状況を打ち破ったのは一緒にきた女性だった。
「あの手紙を下さったのはあなたなのですか?」
俺は頷きながらそうですと答えた。

すると女性が封筒を机の上においた。汚い字で住所が書いてある。俺があの時出した手紙だ。
「この手紙はとても感動的でした今でも覚えていますよ」と女性がいう。さきほどのおじさんも頷きながら「遅くなったが返事も出したのだが戻ってきてしまった」と言った。
おそらく俺が家なき男の時期だったんだろう。そのことも話した。これから自分がどうしていきたいかも。2人は熱心に聞いてくれた。

「とりあえず飯でも食いにいこう」そうおじさんが言うとパーテーションの向こうに出ることを大声で告げる。するとある男性が「社長これだけチェックしてもらっていいですか?」と声が返ってきた。

このおじさんが社長さんだったのだ。後に分かったのは隣に座った女性は奥さんだった。チェックを終えた社長さんと奥さんの三人で近くの居酒屋さんでご飯とお酒をご馳走になりながら色々なことを話した。2人の馴れ初めなんかも聞いたり笑いの絶えない時間だった。こんなに笑ったのは久しぶりだなあ。

食事の最後の方に「とりあえずうちでは現状仕事を頼めることはないが知り合いに聞いてみる」と言ってくれた。俺には経験も何もないことは話したが「俺に任せろ」と言ってくれた。あの言葉はとても優しく心強かった。

俺は2人と別れほろ酔いで家に戻る。今までと違う希望のような光が俺を包んでいた。

たしか2日後くらいだったと思うが社長さんから連絡がきた。1つ頼めそうな仕事があるということで打ち合わせをするために日付けを決めた。

すごく嬉しかったが次の瞬間に俺は逃げたくなった。出来なかったらどうしようだめだったらどうしよう。迷惑かけたらどうしよう。マイナスな感情のどうしようどうしようのオンパレードだ。

ここで逃げたらだめだ。そう自分に言い聞かせながら打ち合わせ当日を迎えた。
緊張のせいか打ち合わせの内容はあまり覚えてないが仕事をもらえた。
会社のWEB制作をしてほしいということだ。現状はないのでゼロからの新規スタートとなる。そして俺の個人としての初仕事だ。

自信も実績もなかったので金額としては安く請負ったが無事に初仕事を終えて満足してもらえた。

あの時に達成感は気持ちよかったなあ。そして自信と希望が大きくなっていく感覚。今でも覚えてる。

長くなってきたのでその後の話しなんかはまた今度書こうと思う。

もちろん出会った人への感謝は当然のようにある。それは絶対に忘れてはいけない。
良い出会いに恵まれただけといえばそれまでだが行動を起こさなければその出会い自体も起きない。そこを見落とさないでほしい。いつも俺が思うことだ自分が動けば人も動く。人に期待しないで自分が行動する。そこには必ず何かが起こるんだ。

俺は何もない人間だった。ひきこもりにもなり社会にも馴染めず。統合失調症にもなった。大した学歴も職歴もない。家を失ったこともある。裏社会に触れたこともある。だが俺のような人間でも生きてる。仕事もある。結婚もできた。

自分でもよくここまで立ち直れたと思う。

ただ俺は同じような人間にこうするべきだとかこうしたら良いとかいうような記事をかくことはできない。そうすること自体が正しいことなのかも分からない。

俺の経験上からいうと答えをすぐに聞きたがる人は多い。そして経験もせずに人から聞いて答えを知った人間の成長はそこで止まる。しかし自ら経験をして答えを知った人間はそこから成長する。同じ答えを知るという意味でもその後の結果が違うものだ。

もしくは俺がこうするべきだと言われることを嫌だからかもしれない。

今の時点で分からない。だから俺は内省的に自分の経験を話している。誰かに伝えようとしているのではなくて誰かに俺の経験や言葉から何かを自分自信で感じとってほしいと思って書いている。

まず今日はこれぎり!

© 2016 知らざあ言って聞かせやしょう.