ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

NASAの発表は凄いマーベラスだ!この記事はそのことと全く関係ないのだけれども

King of the deep sea

どうもKNSKことキクノスケである。いつの間にか表記を変えていたのである。

昨日はやはり少し道に迷ったがなんとか帰ることができた。

迷ったおかげで美味しいうどんにもたどり着けたのでやはり迷ってよかった。

最近はちょこっとおちゃめな記事しか更新できていない。

しかしちゃんとした記事も同時進行で書いてみたりしてる。

まだまとまりがない感じなのだけれども。もう少しで公開もできるかなあ。

うん?もともとまとまりがないって?

君も言うようになったじゃないかあ。

話は変わるが俺はNetflixに登録をしている。iPhoneを機種変した時に勝手に付けられたサービスだったがまんまとその餌食にされ今でも登録している。

まあ映画はけっこう見るので自分に合ったサービスなのだろうなあ。それ以前はiTunesやレンタルなんかで結構費用が嵩んでいたからなあ。

しかも最近のNetflixはダウンロードまでできるのだ。もちろん公式アプリでだ。違法性などない。

端末にダウンロードできるのでオフラインの時でも映画などの視聴が可能になる。

すべての作品というわけでは無さそうだがけっこう沢山あるものだ。

移動中や宿泊先での暇な時間にとても重宝している。

今は「君の名は。」の新海誠監督の過去作品をダウンロードして見ている。

以前にみた「星を追う子ども」はなかなか壮大な話で良かったなあ。

かなりジブリっぽい世界観がある。

ちなみに同監督の「秒速5センチメートル」はDVDをレンタルしてみたことがある。

まあ作品は見ていただくとしてですねえ。おお見終わった!

って思っていると

いきなり新海監督のインタビューが始まる。どんな風に作ったとかどんな苦労があったみたいなインタビューなのだけれども。

これが長い!かなりの長さなのだ。

嫁ちゃんはインタビューの最初だけみて風呂に入ったんだけれどもあがってきて

「まだ喋ってんの?」とツッコミを入れるほどに長い。

秒速5センチメートル」は1時間位の長さに対して30分〜40分位喋っていたなあ。

俺がこのインタビューを見たのはもう「君の名は。」が凄い話題になってて嫁ちゃんにも行こう行こうと言われててあまり乗り気になれなかったんだけれどもね。

このインタビュー見て「よし行こう!」って次の日に行っちゃいました(笑)

もちろんインタビューでは良い事も言ってたしそういう部分も良かった。

でもなんかもうなんかそういうことより人間として新海監督が好きになってしまったんだなあ。

さてさて次はどの作品を見てみようかなあ。

そういえばなぜ俺は新海監督が好きになってしまったことを語っているんだろう。

Netflixのことを書こうと思っていたんだけどなあ。

やはりまとまりのないジェノベーゼ

ジェノベーゼといえば俺の好きなパスタの1つなのだけれども。

あの緑色をした……あっ。この話しはまたいずれ。

まず今日はこれぎり!

歩いてると道に迷うことってあるよねえ?そんな時におすすめなのが!を紹介しようとしたら急展開に?

Tokyo map

昨日パソコンに向かい作業をしていると一本の電話がピロリロリン。

スマホに映る名前を見るとクライアントからの電話だ。

ということで急遽出張することになった。まあそう遠くもない土地だ。

だが俺はものすごく方向音痴である。Google Mapsを見ても必ず迷っていた。

そしてなぜか反対側に行く癖がある。

何度か行ってるのに迷う。

たまに電車に乗れば70%は逆方向に乗ってしまう。だからやっぱり電車は極力乗りたくない。

俺は迷いの時間も考慮して早めに動かなければならない。

そうしなければ相手に迷惑をかけてしまう。

だが今の時代Google Mapsはナビゲーションまでしてくれる。しかも音声つきで。

救世主だ。神だ。

こんな方向音痴の俺が道に迷うことがほぼなくなった。

これ凄いです!方向音痴の人にはすごいおすすめです!!!私の人生を変えてくれました!!

ただ電池の消耗が激しい。

急いで出たので携帯充電池も忘れてしまった。

とりあえず自販機でコーヒーを買って一息ついてブログを書いているのだが電池持つかなあ。

ブログなんて書いてる場合じゃないんだけどなあ。

まあ迷ったら迷ったでいいか。迷うのもまた楽しいものだ。

そうだ、迷うのは楽しかったのだ。

俺の楽しみの1つでもあったのだ。

うん?ということはGoogle Mapsナビゲーションは俺の楽しみを奪ったのか?

まさか神の姿をした悪魔なのか?ディアボロスなのかい?

ヤツのことが急に信用できなくなってきた。

もう俺はナビに頼らずに我道を進もう。

そして道に迷うのだ。あの素晴らしい感動をもう一度。

さて左右どちらの道から来たのか。

俺は既にはもう迷っているようだ。

まず今日はこれぎり!

ただただダラダラ佇むダダイズム

先日の夜からまたヘッダーを変えてみた。

スマホの人は見れないと思うので一応画像を貼っておこう。

f:id:onriedo:20170221050945p:plain

もはや何か分からない。俺にも何か分からない。手法的にはコラージュになるが意識的に作ったものではないからなあ。

そこにはダダイズムがある。ダダイズムというのは芸術運動の1つだ。戦争反対や既成の芸術に思想、秩序や常識、意味さえ全てを破壊・否定するといった思想を芸術に取り入れた。

意識的に作られたものは芸術ではないといわんばかりに偶然や無意識的にできたものが芸術だと訴えかけたかけたのだ。

さらには思想の裏側や、いわゆる既製品を使った芸術やコラージュ。まあこれも既製品を並べたものだからなあ。そういったものを芸術の中に取り入れたのはこの辺から。

ダダイズム自体はあまり長くは続かなかったが後に流れを汲むシュルレアリスムポップアートなんかにも大きく影響を与えている源流だったりするんだなあ。

この動きがなければダリやウォーホールも世に出ていなかったかもしれない。中原中也ダダイズムに出会うこともなかったのだろうなあ。

とまあ今回のヘッダーは今までに購入していたけどボツで使わなくなった素材を適当においてみただけ。しかも酒に酔った状態で。

これもダダイズムの手法の1つである自動筆記みたいなものだ。

まあこの記事はダダイズムの説明をするものではないので興味がある人は調べてみてほしい。なかなかおもしろいものだ。

ちなみにダダという名前は辞書を適当にめくり見つけた言葉だと言われている。俺のブログもそのようなものだ。

さらにはこのブログではかなり無作為に書く内容を決めている。順番なんてあってないようなものだ。思いつきでしかない。だからある意味ダダなのだと思った。

最初に作ったヘッダーはオシャレだと好評もいただいた。もちろんそれは嬉しい限りである。俺もこれからWEBのことを書いていくのであれば少しちゃんと作ろう。そういう意識が働いていた。いわゆる置きにいくという感じだ。

それじゃ駄目だとその後すぐに昨日までのヘッダーに変更をしたのだがそれでもまだまだこれじゃないという感じが否めなかった。

そして現在に至るのだがどこかでヘッダーは伝えなければいけないという心のブレーキがかかってしまっている。もっと解放をもっと破壊をしていこう。

これはこれから説明するであろうマーケティングなんかとはまったくの逆である。知っているからこそ破壊や否定をしてみるのもいいのではないか。知らなければ破壊や否定もできない。

ある意味そこには新しい何かがあるのかもしれないなあ。

ブログとはこういうものでこう書いてこういう風にしてという常識というか方法みたいなものに縛られていたら本当にオリジナルなコンテンツを生み出すことはできないであろう。何を書くかなんて自由に決めれば良い。

さらには俺が語ろうとしている愛や生き方というのもダダイズムではないだろうかと感じたのだ。だからヘッダーもダダイズムでと考えた結果生まれたものだ。

だからこのサイトのディスクリプションも変えて

「ただただダラダラ佇むダダイズム」に変更した。これも意味などない。

語感がいいからこれにしたという感じだ。なかなか決まっている。むしろこれをブログタイトルにしてもいいのかもしれないなあ。

まず今日はこれぎり!

嫁ちゃんの紹介のはずがなぜだか普通のマーケティングの話しになってしまったのっ巻。

girl reflected

公開出来てなかったようなので。もう一度。

昨日今日は休みで出かけていたので疲れてしまって早く寝ようと思ったのだけれども眠れずにブログを書いている。嫁ちゃんはぐーすかぴーと寝ているが。

俺も嫁ちゃんも自営で仕事をしている。別の仕事だが協力しあえるところは力を合わせている感じだ。

普段は同じ時間にブログを書いていたりする。

嫁ちゃんはWordPressで基本はWEB集客をしている。まあ早く言えばオウンドメディアを運営してる。ブログは素人だったが最初にいろいろと教えてあげたらあれよあれよと言う間に上達していった。文章は俺よりも数百倍上手い。

マーケティングやデザイン、設定などの部分は俺がやらされているが俺も新しい技術を取り入れるためのテストの場として活用させてもらっている感じかなあ。

今では結構な稼ぎもありPVも安定してる。なかなか凄いものだ。

ニッチな市場だが集客したお客様の心をしっかり捉えているので集客から売上まで直結している。顕在ニーズを満たすのはわりと簡単なわけさ。喉が乾いてる人には水を売ればいいわけだからねえ。

商品自体にも魅力があることが前提なのだけれども。

単独のキーワードだけではなくて紐付けもしてるのもあるから完全一致しない場合もあるのだけれどもそこは隠れたニーズを満たしてあげる部分。

隠れてるから本人も何がほしいかは分かってないんだけど、これなんじゃない?的なベイベーだ。
砂漠を旅する時の必需品といえば!!→水と◯◯と◯◯みたいなね。

まあこうすれば「砂漠 旅」のキーワードでも来てくれたりするわけさ。そして砂漠での水の重要性が書いてあれば買わなきゃ!ってなる。かは分からないが感覚でいえばそんな感じかなあ。

やろうと思えばなんでも紐付けできちゃったりもするのだけれどもあんまり強引にやりすぎるとお客様からの信用はかなり下がっちゃうんだよね。なんでも水って言えば良いと思ってない?ってね。そんなことはしたらいけないよねえ。

つまりは誰でもかれでも呼び込めば良いというのはマイナスになる場合もある。PV稼げば良いっていうものでもないし。まあ一概にはいえないところもあるのだけれども。

WEB界隈ではSEOというのがよく目につくけど企画から集客販売までを最終的に考えていくのがマーケティング

SEOマーケティングの一環で集客の部分。だからSEOで全て語ることはできないってことなんだよねえ。ディズニーランドの入口でディズニーランドの魅力を全て分かったように語るようなものさ。

 

嫁ちゃんのブログのPV自体はブログ界隈でよくみる何十万PV何百万PVとかには遠く及ばない。しかし実商品を扱う場合ではそこまでのPVがなくても売上を出すことができる。能動的にお客様が来てくれるので売上にも繋がりやすい。

色んな人のブログ運営報告を見ていると50万PV程度の売上はあるのではないかなあ。
でも流入数はその半分のさらに半分。もういっちょオマケに半分以下である。あ〜今日はもう特別!さらに半分で良いや!位かなあ。

※実際の所聞いてみたら売上はもっと上だった。恐るべき嫁ちゃん。

だからと言って簡単に稼げるってわけじゃないっていうのは誤解しないでほしいところ。商品コストもかかれば労力はブログだけではないしアフィリやAdSenseよりもリスクは当然大きい。あくまで商品を持ってるオウンドメディアの話しかなあ。

ああ、今日は嫁ちゃんの紹介記事にしようと思ってたのだけれども話しが大きくそれたなあ。これじゃNAVERまとまらない。

永遠に砂漠を彷徨うことになりそうなのでここで寝るとしようかなあ。

まず今日はこれぎり!

どれだけ学校で勉強してこなかったの?俺のこと。

先日の愛がテーマ宣言をしてから少し書くことなどを絞り込んでいる。その記事にも書いたがもう少し先に書こうとしていたものなので準備ができていない。

ただ新しく想うことを書くわけではないのでそう難しいものではない。

今日はその前段階としてもう雑記程度だが少し俺のことを説明してみよう。

俺は小学校のある段階から勉強を放棄した。学校には行っていたがほとんど勉強などというものはしていない。宿題もやっていかなかった。

ただの怠け者に聞こえるかもしれないが学校で行う勉強の意味がよく分からなかったのだ。

Study

ある段階というのは正確にいつというのは忘れたからだ。算数で分数が出た時くらいだろか。今まで横に並んでいたものが縦にも並ぶようになりそこから意味が分からなくなってしまった。今でも割り算までしかできない。

社会や地理などのようなものは社会に出てから興味を持ったのである程度は知っている。だが当時は中学の途中まで日本以外はアメリカだと思ってた位だ。

英語の時間は授業中ずっと英語の辞書を読んでいた。この言葉格好いいなとか面白いなというのをひたすらノートに書いていた。これが後にマーベラスと連呼するに至る由来である。かは分からない。

後はなんの授業があったか。思い出せないというか俺にとってはほとんどの授業がお絵かきの時間だった。だからといって特に絵がうまいわけではないが。

まあ体育と図工が好きだったのは以前の記事にも書いたとおり。

あとは国語。これも駄目だったなあ。

〇〇をした面白かった。〇〇へ行った。すごかった。夏休みは好き。

作文は中学校へいってもこんな感じだった。というか20代後半の時の手帳をみてもほぼ同じであることが先日発覚した。

今日は吉野家に行った。美味しかった。

こんなような日記が10日ほど続いて終わっていた。全く成長のない俺である。

学校の勉強はしなくていいとは思わない。できるならした方が良い。

でもこうして今はブログを書いたりもしてる。これだけの文章が書けるなんて本当マーベラスだ!と自分でも思う。

このブログではないが、初めてブログを書いた時に

下手は下手なりに書けば良い。下手だから書けないなんていうことはない。下手だから書いちゃいけないなんていうことはないんだ。

ということが分かった。それからどんどん書けるようになっていったなあ。

そして書くことが楽しくなった。

でも文章を書くのが上手だとは未だに思っていない。むしろ下手だからこそ上手くなりたいし書いている部分もあったりする。

だから書いていたことが伝わったりすることはとても嬉しいし受け取ってくれて感謝している。

もちろん全ての人に伝えるというのはいくら文章が上手くても難しい。だから今の俺では伝わらないのは当然でもある。伝わったとしても違う風に捉えられてしまうこともある。時に悪くいう人もいるだろう。でもそれを含めて全て感謝だ。

ありがとう。

まず今日はこれぎり!

Googleがいう愛のあるコンテンツの根底とは何かを説明してみよう。

LOVE

先日Googleの社員がコンテンツに愛が必要であると答えたという記事を読んだ。

www.suzukikenichi.com


これは抽象的なことでも綺麗事でもなく紛れもない真実だ。

まずはGoogleはとても愛に溢れている企業だと思っている。

カッツやミューラーの発言の多くのそういう要素を感じ取っていたからだ。

少し余談だがカッツはGoogleを退社したんだなあ。

マット・カッツ氏が正式にGoogleから退職を発表。 | SEO Japan – アイオイクスによる海外最新SEO情報ブログ

そして何を隠そう、俺がWEBマーケティングで一番大事にしていることこそが愛なのである。
ときにふざける俺だが今回は真面目に言っている。

以前からテクニックや数字を取り扱う上で大事にしてることがあるということを書いているがそれこそが愛なのである。そして愛を扱う心だ。

ちまたに溢れるこういう記事とは違うというのもそこにある。みなテクニックや数字を追うことばかりを考えている。それはもちろん大事なのだが、根底に愛や心がないと上手くいかない。一時は上手く行ったとしてもどこかで頭打ちがくるだろう。

以前に書いたのだが同じ20000PVでも結果が違うといったのもこれが理由だ。そこに愛があるかどうかなのだ。

これも何度も書いているが数字やお金などというものは愛を注いで作り上げた物やサービスの結果なのである。結果だけ求めていてはほしい結果は出ない。急がば回れだ。

もちろん愛だけでどうにかなるわけではない。しかしテクニックや数字は愛と心の上に成り立つものだ。

ここで2つの例を出してみよう。

1つの例は花だ。少し抽象的だが分かりやすいと思う。

花というのは綺麗なものだ。色が鮮やかでいい匂いがする。とても美しいものだ。しかしその花を咲かすのに必要なのが茎だ。そしてその茎を育てるのに必要なのが根なのだ。この根がしっかりしていなければ栄養が足りずに綺麗な花は咲かない。咲いてもすぐに枯れてしまう。いかにして花が綺麗に咲くのか簡単な説明だが分かるはずだ。いきなり花だけは咲かない。茎だけでも花は咲かない。

この例えでは花は数字。茎がテクニックだ。いわゆる目に見えるもの。綺麗綺麗と評価はされやすいがそれを支えているのは根。愛であり心なのだ。見えない部分にこそ綺麗の秘訣が隠されている。

もう1つの例はレストラン

あるレストランでは全てのレシピを公開している。家庭で簡単にできるものもあれば店で出せるほどのものもある。しかしそんなことをすれば家でも食べれるし他社が真似をするのではないか?お客さんだって奪われる可能性もある。そう尋ねるとこう返ってきた。

作り方は同じでも注ぐ愛情が違う。似たものはできても味が絶対的に違うということだ。さらに、全てを真似してレストランを経営したところで長くは続かないとも。

公開しているレシピ=テクニック

注ぐもの=愛

愛が欠けていれば同じものを作ったとして同じにならないということだ。聞いた時には分からなかったが今となってはその違いがはっきりと分かる。その愛がなければ長く続かないのも納得できる。ある料理家が料理は愛情とテレビで連発していたのも今では頷ける。

この2つの例ではいかに愛や心という部分が大事かわかっていただけるであろう。SEOとかHTMLタグがとかそんなものは後でいくらでも学べば良いのだ。
まずはそれを咲かせるための土台としての愛や心が必要なのである。

 

コンテンツ作りには愛が必要。これはこれからのWEBの話しではなくて今までもそうなのである。むしろコンテンツ作りというよりも物作りは愛の上になりたつものだからだ。そこに現実もWEBも変わりはない。

さらに現実のマーケティングでは以前より大事なのは愛ということは言われている。さらには商売でも大昔から言われていることだ。何も新しいことではないのだ。それではなぜ今WEBで愛が必要と言われているのか。

俺は仕事を通じて様々な人達と会ってきた。

WEBというのは楽に商売ができると認識する経営者たちがいる。自らの商品も数やお金にしか見えていない。ましてやNETの向こう側にいる顧客のことなど考えもつかないのであろう。そういう人達はとにかく見た目にこだわる。綺麗にして格好良くして。なんでもいいから商品が売れるようにしてよ。分かりやすくいえばそんな具合だ。

一方で元々愛で商品を作り上げてきている経営者の人はお客さんに対する扱いにも愛がある。だからこそ長く続けられているのだ。さらにこういう人達と仕事をすると驚かされることがある。
WEBを作る時にも愛を注ぐのだ。商品はもちろんだが常に顧客のことを考えている。格好よりも使いやすさや想いを表現している。それは店舗であってもWEBであっても変わることがない。今で言うユーザーファーストなんていう考えはとうの昔から染み付いているのだ。

もちろんネット社会と現実社会は別のものという勘違いもあるだろう。だが早い話は何周も周回遅れな世界だ。WEBが新しい分野だからかもしれないがマーケティングの根底まで変わることはない。

情報の速さや利便性というものがそれを変えてしまっている。やれ効率化だのやれ数字を上げろなど。大事な部分を削ぎ落としている同業者を見ていると居たままれない気持ちにすらなる。全ての業者ではないがまだ多くそういうところは存在する。まずはその人達がマーケティングや心を学ぶべきだ。そして愛をしれと。

それじゃお前はいますぐにSEOで簡単に上位を取れるのか?
今すぐにというのは可能であり不可能とも言える。それは一概にはいえないことだ。だが長い目でみて上位にいつづけることは出来る。根があるからどんな強風(Googleのアップデート)があっても揺るがない。今だけを見ているからテクニックだけに走るのだろう。そしてそのテクニックに酔いしれている。俺は今ではなくもっと先を見ている。Googleの行くべきゴールを見ている。ウサギと亀の話しのようだと言えば分かるだろう。

お前は愛の意味を知っているのか?

そう思う人は沢山いるだろう。そう思われるからこそ自分の過去のことを書いていると言っても過言ではない。いつも読んでくれている人はわかると思うが俺は今までに様々なことを経験してきた。まだまだ書ききれていない部分もあるが。

そして愛の意味を知った。本当の愛の意味を。だからこそ俺は立ち直ることができたのだ。うつ病も統合失調症も治らないと言われたが治っている。

彼女もいないから愛を知るのは無理だな!

そんな人でも愛が何かをしることは可能だ。俺も1人の時に愛を知ったからだ。愛というのは難しいものでもなく永遠のテーマでもなんでもない。愛も幸せもきらびやかなものであるという妄想など捨てよう。至ってシンプルなのだ。

今までは愛を頂上にしてそこに向かって書いていた。

今回の記事ももう少し後に書こうと思っていたのだが、しかし今回の記事を見て追い風を感じた。そしてここで宣言するが俺のこのブログの最大のテーマというのは愛だ。一括りにするとそうなる。自分語りもWEBマーケティングでもそうだ。

ブログに愛などと言って誰が信じるか。頭のおかしいヤツと思われるだろう。それはおそらくこの先も変わらないと思う。

だが俺は語り続ける。

テクニックを優先させると頑張る!という気持ちが強くなる。しかし愛を知れば情熱や熱意など自然に湧き出てくるものだ。

そういったものはすべては愛の上になりたつのだ。

愛のあるコンテンツにしても精神疾患にしても全ての人に当てはまるかは分からないがそこには何かヒントがあるかもしれない。

まだこれは序の口だ。今後参考になるであろうことも書いていく。

このブログは始めたばかりだし見た目はヘッダー画像を最近変えただけだ。

そんな俺が何か言ったところでおかしなことを言ってるやつが居るくらいにしか思われないだろう。

ここはプライベートで書いているから悪いが実際の仕事を証明することもできない。

だがそんな俺の話しでも受け入れてくれる人には何かを伝えられるように書いていきたいと思っている。

まず今日はこれぎり!

はてなにBEEFで物申す。

QUESTIONS

大層なタイトルを付けてしまったのだがそんな殺気立っているわけではないんだ。

はてなの機能について何か言いたいことがあるわけではない。

とても使いやすいし満足している。不満がないというわけではないがそこまでシビアな問題ではないんだ。

だがここで引き下がるわけにはいかない。

yeah yeah yeah

そろそろ始めるぜはてなへのBEEF。俺の声がひびく。

ここで見せつけるぜ俺のスキル。この場ではてなを切る。

シビアではないがデリケートな問題だ俺にはさ。生き様否定されてホンマになにさま?

夜も眠れないほどに考えた。睡眠時間を返せよはてな

これは記事にすべきだ。はてなに物申すべきだ。

そう決心してこの記事を書いている。返せるなら返してみろよ美辞麗句。

俺はフェイク?負け犬?逃げ出さねえぜ俺はここに居る。

一瞬目を疑ったぞ。凍りついて顔も真っ青。

ただただ不思議だった。ダラダラルーキーだから?

なぜ?なぜなんだい?ペルケノー?

イタリア語が飛び出るほどにマーベラス!イライラの俺の本能が暴れだす!

じょじょにおちてく俺のスキル。ついにネタが尽きる。

 

韻を踏んでBEEFしてみたが難しいものだ。

聞くのと実際するのでは違う。改めてラップをしてる人達への敬いが強くなった。

そもそも俺がラップに興味を持ち始めたのは……

これは話しがそれるのでまた今度だ。

ここからは普通に戻して話しを先に進めよう。

何をそんなに問題にしているというのか。それは俺が昨日書いた記事だ。

今までの記事以上に読んでもらえる回数が多かった。

まあそれもある意味驚きではあったのだが問題のコアはそこではないのだ。

内容的には俺の高校時代の話しを書いた。何度も殴られた話しだ。

そして高校時代の光を失った話しだ。

kabuku.hateblo.jp

今となっては違うが当時は深刻な状況だったんだぞ?

というか俺の人生の話しだ。1人の人間の人生の話しだぞい?

なのに!なぜ!

 

マロニーが!!

ここに?

 

ごめん。デスクの上にマロニーがあってびっくりしてしまったんだ。

昨日鍋をやった名残だろう。気にしないでくれ。

もう一度気を取り直していく。

 

なのに!なぜ!

 

はてなブックマークのカテゴリーが

 

おもしろ

 

なんだよ!!!!

俺は文字のサイズを大きくするのを嫌う人間だ。若干改行まで入れてしまった。

だが今回だけは大きくさせていただきたい。改行をいれさせていただきたい。

自分のポリシーを曲げてまで伝えたいことだから。大切なことだから。

人の人生をおもしろカテゴリーにいれるっちゅうのはどういうことだいはてなさん?

俺の人生がそんなに面白いか?裏で笑ってやがるのか?

うん?機械が自動に振り分けてんの?

ってことは機械にも馬鹿にされてるってことか俺の人生は…

あぁ…なんて悲しき俺の人生よ。

 

なんていう悲観もなくただただ笑った。傑作だ。あっぱれ!

俺なんかの人生で笑ってくれればこの上なく幸いだ。

 

じっさいに昨日の記事は今までの記事とは違ってある意味おもしろく書いてみたのだ。

内容的には暗めな話しだから明るく書いたらどうなるかなと。そしたらおもしろカテゴリーに入ったのだ。

そこまで見ぬけるのかはてなよ?

ある意味本当の驚きはここだったりした。

もしかしてこれはマーベラスな精度を誇るんじゃないのか!

また様子をみてみようじゃないか。

そんなこんなの小話しでございっ!

まず今日はこれぎり!

 

追伸 はてなさま

マーベラスなネタの提供をありがとうございました!これからも素晴らしいシステムの開発をよろしくお願い致します。

マロニーちゃん スタンダードタイプ 100g×6袋

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さらば青春の光。俺の高校時代を語ろうか。

School's Out....

 

今日は久しぶりに学生時代の話しを書いていこう。以前書こうと思っていた高校時代の話し。 

俺が行った高校は地元の男子校だった。どこを見ても男男男。そりゃ当たり前だ。

一応推薦枠でなんとか入試に合格出来た。それもなければ絶対に高校には入れなかっただろうなあ。

まあ学力優秀だったからっということはない。

まともに勉強すらしてなかった。

教科書は閉じられノートにひたすら落書きばかり。

俺の地元は元々荒れている地域なのでもちろん高校も荒れていた。構内には落書きがあり窓ガラスが割れている。本当絵に書いたような不良学校。中学からそこに入ったのは俺だけ。

俺はその中でも問題児クラスに入った。いわゆるガチの落ちこぼればかりが集うクラスだ。良く言えば個性派集団か。

ふつうであれば同じ学年は1フロアに全てのクラスが収まるようになっていると思う。しかし俺らのクラスは別のフロア。完全に隔離されていたなあ。

もちろんそんなだから先生もがっちりな強面だ。クリクリパンチで堅気には見えないようなのが担任。口癖は「しばくぞ」だ。

何か悪さをすれば本当に殴られた。文鎮で叩かれたこともあったなあ。怒り狂って椅子をなげる先生もいた。今では体罰とよばれることがまだ普通に行われいた。そして日常的に起こる喧嘩。バイオレンスがすぐ近くにある時代というか学校だったなあ。

一応規律は厳しく茶髪は禁止なので中学時代にブリーチしていた俺も髪を黒く染めた。従わなければその場でバリカンで坊主にされるっていうね。

ジョリジョリジョリジョリジョリジョリジョリジョリ

って何人かやられてるのを目撃したこともある。電動ではなく手動のバリカンだ。しかし出来上がりはけっこう悪くないものだ。先生たちも小慣れてきているのだろう。

まあ2.3年になるとだいぶ自由が効いてくるんだけど。一年生の締め付けはハンパなかった。

しかし髪を染めてもだんだんと色が落ちてきてしまうものだ。すると濃い紫のような色になってくる。

担任に注意されてまた染め直そうと思っていた所である出来事があった。

俺はなんでもいいから部活に入らなければいけなかった。それが推薦の条件。入部しなければ退学になっていただろう。

もちろん心臓病のことがあるからサッカーはできない。

「テニス部入るけど一緒にいかない?」

クラスで後ろの席のやつが誘ってきたので俺も入部することにした。病気で運動自体も禁止されていたのだがテニス部は練習はほとんどなくゆるい部活で有名だった。

そして仮入部の日にその出来事が起こったのだ。

仮入部に来た一年生が一列に並ばされて部活について軽い説明を受けた。

しかしその話しの途中である先輩が

「お前ちょっ前に出てこい」

と俺に向かって言うではないか。

なんだなんだと前にでると

「おらぁ!!」といっていきなり殴られたのだ。

え?何?俺が何をしたの?鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていただろう俺。

でも正直言って先輩のパンチは全然痛くなかった。やり返そうと思えばやり返せそうな気もしたのだが耐えた。

その痛がらない俺のことをムカついたのかさらに殴りかかってきた。それを避けたものだから「おい、お前らもやれ!」と他の先輩たちに囲まれてボコボコにされた。

髪が濃い紫だったから目立っていたというのが理由だったらしらしい。

いわゆる制裁パフォーマンスだなあ。最初にこういう恐怖で後輩を支配していくのが伝統なのだろう。その見せしめとして俺が選ばれてしまったということだ。

ほとほと運の悪い俺ちゃんだこと。

その場はなんとか治まったのだがテニス部には入部しなかった。当たり前だな。

そしてほとんど活動のないカメラ部に入部して籍だけ置くことにした。最初からそうしておけばよかったなあ。

その後しばらくは普通の高校生活を送っていた。友達もできた。友達の紹介で近隣の女子高生と遊んだりナンパもしたなあ。

でも馬鹿学校で有名だったから高校名を出せばみな逃げていく。

俺たち「君たちどこの高校?」

女子たち「◯◯高校だけど、あなたたちは?」

俺たち「◯◯高校」

女子たち「……ごめん忙しいから」

俺たち「チーーーン…」

みたいな感じ。まあそれでも楽しく高校生活をエンジョイしていたよ。

しかしある出来事が起きて俺の高校生活は変わってしまったんだなあ。

高校は俺の地元にあった。当然高校の中にも大きな勢力グループがあり俺も数人と中が良かった。だがある時にその高校グループと俺が以前に所属していた地元の不良グループが揉めたのだ。揉めたたというよりも不良グループの方が一方的に俺の通う高校のグループをしめた感じだ。

不良グループは中学を卒業してから他校のや つらとつるみ暴走族をしていた。顔ぶれはまさに地域のオールスターのような感じだった。

ろくでなしBLUESでいえば前田、鬼塚、薬師寺、葛西が同じグループにいるようなものだ。しかも結束も硬かった。

寄せ集めの高校グループが勝てるわけがない。

数日後にとある友人を通じて高校グループに俺は呼び出された。

20人位はいただろうか。トイレの中で囲まれた。

結論をいうと仲を取り持ってほしいということなのだが俺は乗り気にはなれなかった。

俺は不良グループにいたといってもたかがしれている。

そもそも俺の力でどうにかできる連中ではない。またろくでなしBLUESに例えると小兵二軍団にも入れないような無名の脇役だ。

その後不良グループ内にいた小学校からの友人に一応話しを通してみたがやはり彼らは止まることはなかった。

結果的に不良グループの地元の取り締まりが更に厳しくなった。

それを理由に俺は高校グループに呼び出されてボコられた。

またも運の悪い俺ちゃん。

異常を知った不良グループが仕返しをするということが何回か続き落ち着いていった。

それからというもの俺は高校の中でほとんどの奴に無視されるようになったのだ。もう手は出されることはなかったが一線を張られた感じだ。

むしろ俺と仲良くしていた奴らが何か言われたりやられたりしていた。

それでも数人は気にせずに話してくれたが彼らに迷惑をかけたくないので俺自身が彼らと話すのを避けるようになったのだ。

こうして俺の高校生活は孤独になり一気に普通のものではなくなっていったのだなあ。

輝かしいエンジョイハイスクールライフも終わり。

さらば青春の光!!

ただ俺には中学の時に出来た親友がいた。俺らの友情は中学卒業後も続いていたのだ。

学校が終わると親友の彼と会い、二人で変わらずに音楽を聞いたりファッションや人生の話しを楽しんだ。

しかしそれも長くは続かなかった。

長くなってきたので続きはまた今度書くとしよう。

それにしてもここに書いた約一年間で俺は何回殴られたんだろうなあ。

まず今日はこれぎり!

 

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