Googleがいう愛のあるコンテンツの根底とは何かを説明してみよう。
先日Googleの社員がコンテンツに愛が必要であると答えたという記事を読んだ。
これは抽象的なことでも綺麗事でもなく紛れもない真実だ。
まずはGoogleはとても愛に溢れている企業だと思っている。
カッツやミューラーの発言の多くのそういう要素を感じ取っていたからだ。
少し余談だがカッツはGoogleを退社したんだなあ。
マット・カッツ氏が正式にGoogleから退職を発表。 | SEO Japan – アイオイクスによる海外最新SEO情報ブログ
そして何を隠そう、俺がWEBマーケティングで一番大事にしていることこそが愛なのである。
ときにふざける俺だが今回は真面目に言っている。
以前からテクニックや数字を取り扱う上で大事にしてることがあるということを書いているがそれこそが愛なのである。そして愛を扱う心だ。
ちまたに溢れるこういう記事とは違うというのもそこにある。みなテクニックや数字を追うことばかりを考えている。それはもちろん大事なのだが、根底に愛や心がないと上手くいかない。一時は上手く行ったとしてもどこかで頭打ちがくるだろう。
以前に書いたのだが同じ20000PVでも結果が違うといったのもこれが理由だ。そこに愛があるかどうかなのだ。
これも何度も書いているが数字やお金などというものは愛を注いで作り上げた物やサービスの結果なのである。結果だけ求めていてはほしい結果は出ない。急がば回れだ。
もちろん愛だけでどうにかなるわけではない。しかしテクニックや数字は愛と心の上に成り立つものだ。
ここで2つの例を出してみよう。
1つの例は花だ。少し抽象的だが分かりやすいと思う。
花というのは綺麗なものだ。色が鮮やかでいい匂いがする。とても美しいものだ。しかしその花を咲かすのに必要なのが茎だ。そしてその茎を育てるのに必要なのが根なのだ。この根がしっかりしていなければ栄養が足りずに綺麗な花は咲かない。咲いてもすぐに枯れてしまう。いかにして花が綺麗に咲くのか簡単な説明だが分かるはずだ。いきなり花だけは咲かない。茎だけでも花は咲かない。
この例えでは花は数字。茎がテクニックだ。いわゆる目に見えるもの。綺麗綺麗と評価はされやすいがそれを支えているのは根。愛であり心なのだ。見えない部分にこそ綺麗の秘訣が隠されている。
もう1つの例はレストラン
あるレストランでは全てのレシピを公開している。家庭で簡単にできるものもあれば店で出せるほどのものもある。しかしそんなことをすれば家でも食べれるし他社が真似をするのではないか?お客さんだって奪われる可能性もある。そう尋ねるとこう返ってきた。
作り方は同じでも注ぐ愛情が違う。似たものはできても味が絶対的に違うということだ。さらに、全てを真似してレストランを経営したところで長くは続かないとも。
公開しているレシピ=テクニック
注ぐもの=愛
愛が欠けていれば同じものを作ったとして同じにならないということだ。聞いた時には分からなかったが今となってはその違いがはっきりと分かる。その愛がなければ長く続かないのも納得できる。ある料理家が料理は愛情とテレビで連発していたのも今では頷ける。
この2つの例ではいかに愛や心という部分が大事かわかっていただけるであろう。SEOとかHTMLタグがとかそんなものは後でいくらでも学べば良いのだ。
まずはそれを咲かせるための土台としての愛や心が必要なのである。
コンテンツ作りには愛が必要。これはこれからのWEBの話しではなくて今までもそうなのである。むしろコンテンツ作りというよりも物作りは愛の上になりたつものだからだ。そこに現実もWEBも変わりはない。
さらに現実のマーケティングでは以前より大事なのは愛ということは言われている。さらには商売でも大昔から言われていることだ。何も新しいことではないのだ。それではなぜ今WEBで愛が必要と言われているのか。
俺は仕事を通じて様々な人達と会ってきた。
WEBというのは楽に商売ができると認識する経営者たちがいる。自らの商品も数やお金にしか見えていない。ましてやNETの向こう側にいる顧客のことなど考えもつかないのであろう。そういう人達はとにかく見た目にこだわる。綺麗にして格好良くして。なんでもいいから商品が売れるようにしてよ。分かりやすくいえばそんな具合だ。
一方で元々愛で商品を作り上げてきている経営者の人はお客さんに対する扱いにも愛がある。だからこそ長く続けられているのだ。さらにこういう人達と仕事をすると驚かされることがある。
WEBを作る時にも愛を注ぐのだ。商品はもちろんだが常に顧客のことを考えている。格好よりも使いやすさや想いを表現している。それは店舗であってもWEBであっても変わることがない。今で言うユーザーファーストなんていう考えはとうの昔から染み付いているのだ。
もちろんネット社会と現実社会は別のものという勘違いもあるだろう。だが早い話は何周も周回遅れな世界だ。WEBが新しい分野だからかもしれないがマーケティングの根底まで変わることはない。
情報の速さや利便性というものがそれを変えてしまっている。やれ効率化だのやれ数字を上げろなど。大事な部分を削ぎ落としている同業者を見ていると居たままれない気持ちにすらなる。全ての業者ではないがまだ多くそういうところは存在する。まずはその人達がマーケティングや心を学ぶべきだ。そして愛をしれと。
それじゃお前はいますぐにSEOで簡単に上位を取れるのか?
今すぐにというのは可能であり不可能とも言える。それは一概にはいえないことだ。だが長い目でみて上位にいつづけることは出来る。根があるからどんな強風(Googleのアップデート)があっても揺るがない。今だけを見ているからテクニックだけに走るのだろう。そしてそのテクニックに酔いしれている。俺は今ではなくもっと先を見ている。Googleの行くべきゴールを見ている。ウサギと亀の話しのようだと言えば分かるだろう。
お前は愛の意味を知っているのか?
そう思う人は沢山いるだろう。そう思われるからこそ自分の過去のことを書いていると言っても過言ではない。いつも読んでくれている人はわかると思うが俺は今までに様々なことを経験してきた。まだまだ書ききれていない部分もあるが。
そして愛の意味を知った。本当の愛の意味を。だからこそ俺は立ち直ることができたのだ。うつ病も統合失調症も治らないと言われたが治っている。
彼女もいないから愛を知るのは無理だな!
そんな人でも愛が何かをしることは可能だ。俺も1人の時に愛を知ったからだ。愛というのは難しいものでもなく永遠のテーマでもなんでもない。愛も幸せもきらびやかなものであるという妄想など捨てよう。至ってシンプルなのだ。
今までは愛を頂上にしてそこに向かって書いていた。
今回の記事ももう少し後に書こうと思っていたのだが、しかし今回の記事を見て追い風を感じた。そしてここで宣言するが俺のこのブログの最大のテーマというのは愛だ。一括りにするとそうなる。自分語りもWEBマーケティングでもそうだ。
ブログに愛などと言って誰が信じるか。頭のおかしいヤツと思われるだろう。それはおそらくこの先も変わらないと思う。
だが俺は語り続ける。
テクニックを優先させると頑張る!という気持ちが強くなる。しかし愛を知れば情熱や熱意など自然に湧き出てくるものだ。
そういったものはすべては愛の上になりたつのだ。
愛のあるコンテンツにしても精神疾患にしても全ての人に当てはまるかは分からないがそこには何かヒントがあるかもしれない。
まだこれは序の口だ。今後参考になるであろうことも書いていく。
このブログは始めたばかりだし見た目はヘッダー画像を最近変えただけだ。
そんな俺が何か言ったところでおかしなことを言ってるやつが居るくらいにしか思われないだろう。
ここはプライベートで書いているから悪いが実際の仕事を証明することもできない。
だがそんな俺の話しでも受け入れてくれる人には何かを伝えられるように書いていきたいと思っている。
まず今日はこれぎり!