ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

ミッフィー作者ディック・ブルーナに捧げるレクイエム

2月16日、ディック・ブルーナが亡くなったニュースが流れてきた。このニュースは俺にとっても悲しい出来事であだった。 

オランダ人であるディック・ブルーナはグラフィックデザイナーであり絵本画家だ。

日本ではミッフィーが有名だろう。子どもの時に読んだ記憶がある人も多いはずだ。キャラクターとしての人気も高い。サンリオのキャラクターだと思っている人もいたりするものだが違う。

実はこのミッフィーにはいくつかの名前がある。どれもふわふわのうさぎという意味だ。

「ナインチェ・プラウス」

ミッフィー・バニー」

「ふわふわ うさこちゃん

まずオランダやベルギーなどではオランダ語の「ナインチェ」という名前。そして英語圏ではおなじみの「ミッフィー」これは後に日本でも親しまれる名前となる。

それ以前に日本に入ってきた時の名前は「うさこちゃん」であった。

これは出版社の違いで今でも両方の本が発行され販売されている。福音館書店では1964年から出版。講談社では1979年から出版が開始されている。

本として売れているのは福音館書店の方だが名前の知名度でいえばミッフィー。これは本としてではなくてキャラクターグッズなどで定着していることから起こる現象のようだ。

福音館書店ではうさこちゃん

うさこちゃんのゆめ (ブルーナの絵本)

うさこちゃんのゆめ (ブルーナの絵本)

 

 講談社ではミッフィー

ミッフィーのゆめ (ミッフィーはじめてのえほん)

ミッフィーのゆめ (ミッフィーはじめてのえほん)

 

 俺も小さい頃に読んだ。みんなノンタンを読んでいたが俺はミッフィーが好きだった。なぜかは分からないがミッフィーに夢中。

まだその時にはミッフィーディック・ブルーナの作品だとしることもなかったが。

だが成長と共にミッフィーに触れることもなくなった。どこかでキャラクターとしてのミッフィーを見ても何も感じなくなっていた。

しかし俺はある所でこのディック・ブルーナの世界と再開を果たすことになるのだ。 

あれはいつごろだったかは忘れてしまったが俺は仕事に行き詰まりを感じていた。 当時はWEBだけでなく紙ものもやっていた。いわゆる印刷物だ。

もともと紙ものは得意ではなかった。自信もないので自分のスタイルもない。というか本当にやりたいのはWEBなのになんで紙物をやってるんだろう……生きていくために仕方ないか。みたいな部分も当時はあった。今ではそんなことは一切思ってないのだけれども当時は若かった。

そんな状態なので良い物はできるはずもなく大スランプにハマってしまっていた。紙もののデザイン本なども読んでみたが仕事が捗ることなく期日は迫るばかり。焦り始めればどんどん追い詰められていく。悪循環に陥っていたなあ。

とりあえずこんな時は気分転換に漫画でも読もう!と本屋に足を運んだ。もはや現実逃避をしようとしていたとも言える。

だが頭は仕事でいっぱいで漫画を読む気にもなれずに足は勝手に実用書コーナーへ。

そこに平積みしてあった本に目が止まった。

「ZWARTE BEERTJES」

タイトルはなんと書いてあるが読めないがみるかぎりは洋書のようなブックカバーでグラフィックデザインが数点載っている。

それを見た瞬間に、これだ!と感じた。

中身を見ると同じようなテイストのグラフィックがさらにたくさんの載っている。しかもどれも格好いいものばかりだ。こういうのがやりたかった。そういうイメージが見えてきたように感じた。

俺は値段を確認することなく本を持ってレジに向かった。正確に覚えていないが7000円程。

財布を見ると10000円が一枚。当時の俺には貯金も何もない。これを使ってしまえば残り10日(記憶が確かではないが結構な日にちがあった)を過ごさなければいけなくなる。

だがそれ以上にこの本が俺には必要だと感じた。そしてお金のことは気にせずに購入することを決めた。

本を持ち帰り貪るように読む。数々のグラフィックが俺を刺激しているのが伝わってくる。洋書かと思ったが日本語の説明も書かれている。だが説明よりもとにかくグラフィックを見ていた。

大満足だ。もうお腹いっぱい!という位になると。俺の頭はアイデアで溢れていた。こうなると俄然やる気も出てくる。デザートは別腹と言わんばかりにもう一度見てみる。今度は説明も読みながら。

まずは最初に書いてあった文章を読む。

過去に出版された中でも最も広範囲に及ぶ、私のペーパーバックデザインの集大成となるこの本が、若いグラフィックデザイナーたちや美術学校の生徒たちにとって、何かの手助けになることを願っています。

ディック・ブルーナ

出典:ZWARTE BEERTJES

この本は1人のグラフィックデザイナーによる作品集なのか。ディック?ディック・ブルーナ?あまり聞いたことのない名前だ。

そこで気になってインターネットで調べてみると、ミッフィーの作者が出てきた。あの時の絵本の作者?いやいや同姓同名の人だろと思って調べてみるとやはりミッフィーの絵本の作者その人のようだ。「ZWARTE BEERTJES」と本のタイトルを入力して確信できた。

この本がミッフィーを書いたディック・ブルーナの本であることなど知らなかった。グラフィックデザイナーだったこともこの時にはじめて知ることとなった。

まさかのミッフィーとの再会。というよりもディック・ブルーナとの再会。

しかも書いてある言葉がまた泣ける。「何かの手助けになることを願っています。」って。今まさに俺が助けられています。って本気で涙した。今でも書いててうっすらと泣けてきた。それほどまでに俺には感動的だった。

それからも何度も何度も読み返した。

この本に出会ってからは紙ものも好きになった。アイデアもたくさん出るようになった。まさに俺の人生を変えるほどの出会いだった。命の恩人(本)と言っても過言ではないだろう。

普段自分の写真はあげたこともないが今日は俺の愛蔵書を特別公開しよう。これがディック・ブルーナの「ZWARTE BEERTJES」のブックカバー。どれもミッフィー以前のディック・ブルーナの装丁デザイン。

ZWARTE BEERTJESこの本には1955年から1975年の間のデック・ブルーナの装丁作品が400ページ以上にも及び収められている。俺が持っているのは初版1刷。今販売している「ZWARTE BEERTJES」のブックカバーとは異なる。

ブックカバーを外すとこんな感じ。可愛らしいイラストはミッフィーの面影をうっすらと感じさせる。

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 2005年からはブックカバーが変更され 現在入手できる「ZWARTE BEERTJES」は下記のデザインになっている。私も現在のブックカバーのものをもう一冊購入予定なのだが、結構どこも品薄だったりする。今後増版の予定などは分からないが、欲しいという方は手に入れておいた方がいいかもしれない。

Zwarte Beertjes

※こちらはAmazon商品紹介からの画像。

 

「ZWARTE BEERTJES」は俺とデック・ブルーナの想いがたくさん詰まった本だ。ずっと苦楽を共にしてきた。

今でも部屋の一番見える所に置いている。本の内容もそうだが、本の存在自体がいつでも俺を支えてくれている。

これからもあなたの作品は子どもから大人まで多くの人に愛されつづけディック・ブルーナの名は永遠に輝き続ける。

心から哀悼の意を表します。

NASAの発表は凄いマーベラスだ!この記事はそのことと全く関係ないのだけれども

King of the deep sea

どうもKNSKことキクノスケである。いつの間にか表記を変えていたのである。

昨日はやはり少し道に迷ったがなんとか帰ることができた。

迷ったおかげで美味しいうどんにもたどり着けたのでやはり迷ってよかった。

最近はちょこっとおちゃめな記事しか更新できていない。

しかしちゃんとした記事も同時進行で書いてみたりしてる。

まだまとまりがない感じなのだけれども。もう少しで公開もできるかなあ。

うん?もともとまとまりがないって?

君も言うようになったじゃないかあ。

話は変わるが俺はNetflixに登録をしている。iPhoneを機種変した時に勝手に付けられたサービスだったがまんまとその餌食にされ今でも登録している。

まあ映画はけっこう見るので自分に合ったサービスなのだろうなあ。それ以前はiTunesやレンタルなんかで結構費用が嵩んでいたからなあ。

しかも最近のNetflixはダウンロードまでできるのだ。もちろん公式アプリでだ。違法性などない。

端末にダウンロードできるのでオフラインの時でも映画などの視聴が可能になる。

すべての作品というわけでは無さそうだがけっこう沢山あるものだ。

移動中や宿泊先での暇な時間にとても重宝している。

今は「君の名は。」の新海誠監督の過去作品をダウンロードして見ている。

以前にみた「星を追う子ども」はなかなか壮大な話で良かったなあ。

かなりジブリっぽい世界観がある。

ちなみに同監督の「秒速5センチメートル」はDVDをレンタルしてみたことがある。

まあ作品は見ていただくとしてですねえ。おお見終わった!

って思っていると

いきなり新海監督のインタビューが始まる。どんな風に作ったとかどんな苦労があったみたいなインタビューなのだけれども。

これが長い!かなりの長さなのだ。

嫁ちゃんはインタビューの最初だけみて風呂に入ったんだけれどもあがってきて

「まだ喋ってんの?」とツッコミを入れるほどに長い。

秒速5センチメートル」は1時間位の長さに対して30分〜40分位喋っていたなあ。

俺がこのインタビューを見たのはもう「君の名は。」が凄い話題になってて嫁ちゃんにも行こう行こうと言われててあまり乗り気になれなかったんだけれどもね。

このインタビュー見て「よし行こう!」って次の日に行っちゃいました(笑)

もちろんインタビューでは良い事も言ってたしそういう部分も良かった。

でもなんかもうなんかそういうことより人間として新海監督が好きになってしまったんだなあ。

さてさて次はどの作品を見てみようかなあ。

そういえばなぜ俺は新海監督が好きになってしまったことを語っているんだろう。

Netflixのことを書こうと思っていたんだけどなあ。

やはりまとまりのないジェノベーゼ

ジェノベーゼといえば俺の好きなパスタの1つなのだけれども。

あの緑色をした……あっ。この話しはまたいずれ。

まず今日はこれぎり!

歩いてると道に迷うことってあるよねえ?そんな時におすすめなのが!を紹介しようとしたら急展開に?

Tokyo map

昨日パソコンに向かい作業をしていると一本の電話がピロリロリン。

スマホに映る名前を見るとクライアントからの電話だ。

ということで急遽出張することになった。まあそう遠くもない土地だ。

だが俺はものすごく方向音痴である。Google Mapsを見ても必ず迷っていた。

そしてなぜか反対側に行く癖がある。

何度か行ってるのに迷う。

たまに電車に乗れば70%は逆方向に乗ってしまう。だからやっぱり電車は極力乗りたくない。

俺は迷いの時間も考慮して早めに動かなければならない。

そうしなければ相手に迷惑をかけてしまう。

だが今の時代Google Mapsはナビゲーションまでしてくれる。しかも音声つきで。

救世主だ。神だ。

こんな方向音痴の俺が道に迷うことがほぼなくなった。

これ凄いです!方向音痴の人にはすごいおすすめです!!!私の人生を変えてくれました!!

ただ電池の消耗が激しい。

急いで出たので携帯充電池も忘れてしまった。

とりあえず自販機でコーヒーを買って一息ついてブログを書いているのだが電池持つかなあ。

ブログなんて書いてる場合じゃないんだけどなあ。

まあ迷ったら迷ったでいいか。迷うのもまた楽しいものだ。

そうだ、迷うのは楽しかったのだ。

俺の楽しみの1つでもあったのだ。

うん?ということはGoogle Mapsナビゲーションは俺の楽しみを奪ったのか?

まさか神の姿をした悪魔なのか?ディアボロスなのかい?

ヤツのことが急に信用できなくなってきた。

もう俺はナビに頼らずに我道を進もう。

そして道に迷うのだ。あの素晴らしい感動をもう一度。

さて左右どちらの道から来たのか。

俺は既にはもう迷っているようだ。

まず今日はこれぎり!

ただただダラダラ佇むダダイズム

先日の夜からまたヘッダーを変えてみた。

スマホの人は見れないと思うので一応画像を貼っておこう。

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もはや何か分からない。俺にも何か分からない。手法的にはコラージュになるが意識的に作ったものではないからなあ。

そこにはダダイズムがある。ダダイズムというのは芸術運動の1つだ。戦争反対や既成の芸術に思想、秩序や常識、意味さえ全てを破壊・否定するといった思想を芸術に取り入れた。

意識的に作られたものは芸術ではないといわんばかりに偶然や無意識的にできたものが芸術だと訴えかけたかけたのだ。

さらには思想の裏側や、いわゆる既製品を使った芸術やコラージュ。まあこれも既製品を並べたものだからなあ。そういったものを芸術の中に取り入れたのはこの辺から。

ダダイズム自体はあまり長くは続かなかったが後に流れを汲むシュルレアリスムポップアートなんかにも大きく影響を与えている源流だったりするんだなあ。

この動きがなければダリやウォーホールも世に出ていなかったかもしれない。中原中也ダダイズムに出会うこともなかったのだろうなあ。

とまあ今回のヘッダーは今までに購入していたけどボツで使わなくなった素材を適当においてみただけ。しかも酒に酔った状態で。

これもダダイズムの手法の1つである自動筆記みたいなものだ。

まあこの記事はダダイズムの説明をするものではないので興味がある人は調べてみてほしい。なかなかおもしろいものだ。

ちなみにダダという名前は辞書を適当にめくり見つけた言葉だと言われている。俺のブログもそのようなものだ。

さらにはこのブログではかなり無作為に書く内容を決めている。順番なんてあってないようなものだ。思いつきでしかない。だからある意味ダダなのだと思った。

最初に作ったヘッダーはオシャレだと好評もいただいた。もちろんそれは嬉しい限りである。俺もこれからWEBのことを書いていくのであれば少しちゃんと作ろう。そういう意識が働いていた。いわゆる置きにいくという感じだ。

それじゃ駄目だとその後すぐに昨日までのヘッダーに変更をしたのだがそれでもまだまだこれじゃないという感じが否めなかった。

そして現在に至るのだがどこかでヘッダーは伝えなければいけないという心のブレーキがかかってしまっている。もっと解放をもっと破壊をしていこう。

これはこれから説明するであろうマーケティングなんかとはまったくの逆である。知っているからこそ破壊や否定をしてみるのもいいのではないか。知らなければ破壊や否定もできない。

ある意味そこには新しい何かがあるのかもしれないなあ。

ブログとはこういうものでこう書いてこういう風にしてという常識というか方法みたいなものに縛られていたら本当にオリジナルなコンテンツを生み出すことはできないであろう。何を書くかなんて自由に決めれば良い。

さらには俺が語ろうとしている愛や生き方というのもダダイズムではないだろうかと感じたのだ。だからヘッダーもダダイズムでと考えた結果生まれたものだ。

だからこのサイトのディスクリプションも変えて

「ただただダラダラ佇むダダイズム」に変更した。これも意味などない。

語感がいいからこれにしたという感じだ。なかなか決まっている。むしろこれをブログタイトルにしてもいいのかもしれないなあ。

まず今日はこれぎり!

嫁ちゃんの紹介のはずがなぜだか普通のマーケティングの話しになってしまったのっ巻。

girl reflected

公開出来てなかったようなので。もう一度。

昨日今日は休みで出かけていたので疲れてしまって早く寝ようと思ったのだけれども眠れずにブログを書いている。嫁ちゃんはぐーすかぴーと寝ているが。

俺も嫁ちゃんも自営で仕事をしている。別の仕事だが協力しあえるところは力を合わせている感じだ。

普段は同じ時間にブログを書いていたりする。

嫁ちゃんはWordPressで基本はWEB集客をしている。まあ早く言えばオウンドメディアを運営してる。ブログは素人だったが最初にいろいろと教えてあげたらあれよあれよと言う間に上達していった。文章は俺よりも数百倍上手い。

マーケティングやデザイン、設定などの部分は俺がやらされているが俺も新しい技術を取り入れるためのテストの場として活用させてもらっている感じかなあ。

今では結構な稼ぎもありPVも安定してる。なかなか凄いものだ。

ニッチな市場だが集客したお客様の心をしっかり捉えているので集客から売上まで直結している。顕在ニーズを満たすのはわりと簡単なわけさ。喉が乾いてる人には水を売ればいいわけだからねえ。

商品自体にも魅力があることが前提なのだけれども。

単独のキーワードだけではなくて紐付けもしてるのもあるから完全一致しない場合もあるのだけれどもそこは隠れたニーズを満たしてあげる部分。

隠れてるから本人も何がほしいかは分かってないんだけど、これなんじゃない?的なベイベーだ。
砂漠を旅する時の必需品といえば!!→水と◯◯と◯◯みたいなね。

まあこうすれば「砂漠 旅」のキーワードでも来てくれたりするわけさ。そして砂漠での水の重要性が書いてあれば買わなきゃ!ってなる。かは分からないが感覚でいえばそんな感じかなあ。

やろうと思えばなんでも紐付けできちゃったりもするのだけれどもあんまり強引にやりすぎるとお客様からの信用はかなり下がっちゃうんだよね。なんでも水って言えば良いと思ってない?ってね。そんなことはしたらいけないよねえ。

つまりは誰でもかれでも呼び込めば良いというのはマイナスになる場合もある。PV稼げば良いっていうものでもないし。まあ一概にはいえないところもあるのだけれども。

WEB界隈ではSEOというのがよく目につくけど企画から集客販売までを最終的に考えていくのがマーケティング

SEOマーケティングの一環で集客の部分。だからSEOで全て語ることはできないってことなんだよねえ。ディズニーランドの入口でディズニーランドの魅力を全て分かったように語るようなものさ。

 

嫁ちゃんのブログのPV自体はブログ界隈でよくみる何十万PV何百万PVとかには遠く及ばない。しかし実商品を扱う場合ではそこまでのPVがなくても売上を出すことができる。能動的にお客様が来てくれるので売上にも繋がりやすい。

色んな人のブログ運営報告を見ていると50万PV程度の売上はあるのではないかなあ。
でも流入数はその半分のさらに半分。もういっちょオマケに半分以下である。あ〜今日はもう特別!さらに半分で良いや!位かなあ。

※実際の所聞いてみたら売上はもっと上だった。恐るべき嫁ちゃん。

だからと言って簡単に稼げるってわけじゃないっていうのは誤解しないでほしいところ。商品コストもかかれば労力はブログだけではないしアフィリやAdSenseよりもリスクは当然大きい。あくまで商品を持ってるオウンドメディアの話しかなあ。

ああ、今日は嫁ちゃんの紹介記事にしようと思ってたのだけれども話しが大きくそれたなあ。これじゃNAVERまとまらない。

永遠に砂漠を彷徨うことになりそうなのでここで寝るとしようかなあ。

まず今日はこれぎり!

どれだけ学校で勉強してこなかったの?俺のこと。

先日の愛がテーマ宣言をしてから少し書くことなどを絞り込んでいる。その記事にも書いたがもう少し先に書こうとしていたものなので準備ができていない。

ただ新しく想うことを書くわけではないのでそう難しいものではない。

今日はその前段階としてもう雑記程度だが少し俺のことを説明してみよう。

俺は小学校のある段階から勉強を放棄した。学校には行っていたがほとんど勉強などというものはしていない。宿題もやっていかなかった。

ただの怠け者に聞こえるかもしれないが学校で行う勉強の意味がよく分からなかったのだ。

Study

ある段階というのは正確にいつというのは忘れたからだ。算数で分数が出た時くらいだろか。今まで横に並んでいたものが縦にも並ぶようになりそこから意味が分からなくなってしまった。今でも割り算までしかできない。

社会や地理などのようなものは社会に出てから興味を持ったのである程度は知っている。だが当時は中学の途中まで日本以外はアメリカだと思ってた位だ。

英語の時間は授業中ずっと英語の辞書を読んでいた。この言葉格好いいなとか面白いなというのをひたすらノートに書いていた。これが後にマーベラスと連呼するに至る由来である。かは分からない。

後はなんの授業があったか。思い出せないというか俺にとってはほとんどの授業がお絵かきの時間だった。だからといって特に絵がうまいわけではないが。

まあ体育と図工が好きだったのは以前の記事にも書いたとおり。

あとは国語。これも駄目だったなあ。

〇〇をした面白かった。〇〇へ行った。すごかった。夏休みは好き。

作文は中学校へいってもこんな感じだった。というか20代後半の時の手帳をみてもほぼ同じであることが先日発覚した。

今日は吉野家に行った。美味しかった。

こんなような日記が10日ほど続いて終わっていた。全く成長のない俺である。

学校の勉強はしなくていいとは思わない。できるならした方が良い。

でもこうして今はブログを書いたりもしてる。これだけの文章が書けるなんて本当マーベラスだ!と自分でも思う。

このブログではないが、初めてブログを書いた時に

下手は下手なりに書けば良い。下手だから書けないなんていうことはない。下手だから書いちゃいけないなんていうことはないんだ。

ということが分かった。それからどんどん書けるようになっていったなあ。

そして書くことが楽しくなった。

でも文章を書くのが上手だとは未だに思っていない。むしろ下手だからこそ上手くなりたいし書いている部分もあったりする。

だから書いていたことが伝わったりすることはとても嬉しいし受け取ってくれて感謝している。

もちろん全ての人に伝えるというのはいくら文章が上手くても難しい。だから今の俺では伝わらないのは当然でもある。伝わったとしても違う風に捉えられてしまうこともある。時に悪くいう人もいるだろう。でもそれを含めて全て感謝だ。

ありがとう。

まず今日はこれぎり!

Googleがいう愛のあるコンテンツの根底とは何かを説明してみよう。

LOVE

先日Googleの社員がコンテンツに愛が必要であると答えたという記事を読んだ。

www.suzukikenichi.com


これは抽象的なことでも綺麗事でもなく紛れもない真実だ。

まずはGoogleはとても愛に溢れている企業だと思っている。

カッツやミューラーの発言の多くのそういう要素を感じ取っていたからだ。

少し余談だがカッツはGoogleを退社したんだなあ。

マット・カッツ氏が正式にGoogleから退職を発表。 | SEO Japan – アイオイクスによる海外最新SEO情報ブログ

そして何を隠そう、俺がWEBマーケティングで一番大事にしていることこそが愛なのである。
ときにふざける俺だが今回は真面目に言っている。

以前からテクニックや数字を取り扱う上で大事にしてることがあるということを書いているがそれこそが愛なのである。そして愛を扱う心だ。

ちまたに溢れるこういう記事とは違うというのもそこにある。みなテクニックや数字を追うことばかりを考えている。それはもちろん大事なのだが、根底に愛や心がないと上手くいかない。一時は上手く行ったとしてもどこかで頭打ちがくるだろう。

以前に書いたのだが同じ20000PVでも結果が違うといったのもこれが理由だ。そこに愛があるかどうかなのだ。

これも何度も書いているが数字やお金などというものは愛を注いで作り上げた物やサービスの結果なのである。結果だけ求めていてはほしい結果は出ない。急がば回れだ。

もちろん愛だけでどうにかなるわけではない。しかしテクニックや数字は愛と心の上に成り立つものだ。

ここで2つの例を出してみよう。

1つの例は花だ。少し抽象的だが分かりやすいと思う。

花というのは綺麗なものだ。色が鮮やかでいい匂いがする。とても美しいものだ。しかしその花を咲かすのに必要なのが茎だ。そしてその茎を育てるのに必要なのが根なのだ。この根がしっかりしていなければ栄養が足りずに綺麗な花は咲かない。咲いてもすぐに枯れてしまう。いかにして花が綺麗に咲くのか簡単な説明だが分かるはずだ。いきなり花だけは咲かない。茎だけでも花は咲かない。

この例えでは花は数字。茎がテクニックだ。いわゆる目に見えるもの。綺麗綺麗と評価はされやすいがそれを支えているのは根。愛であり心なのだ。見えない部分にこそ綺麗の秘訣が隠されている。

もう1つの例はレストラン

あるレストランでは全てのレシピを公開している。家庭で簡単にできるものもあれば店で出せるほどのものもある。しかしそんなことをすれば家でも食べれるし他社が真似をするのではないか?お客さんだって奪われる可能性もある。そう尋ねるとこう返ってきた。

作り方は同じでも注ぐ愛情が違う。似たものはできても味が絶対的に違うということだ。さらに、全てを真似してレストランを経営したところで長くは続かないとも。

公開しているレシピ=テクニック

注ぐもの=愛

愛が欠けていれば同じものを作ったとして同じにならないということだ。聞いた時には分からなかったが今となってはその違いがはっきりと分かる。その愛がなければ長く続かないのも納得できる。ある料理家が料理は愛情とテレビで連発していたのも今では頷ける。

この2つの例ではいかに愛や心という部分が大事かわかっていただけるであろう。SEOとかHTMLタグがとかそんなものは後でいくらでも学べば良いのだ。
まずはそれを咲かせるための土台としての愛や心が必要なのである。

 

コンテンツ作りには愛が必要。これはこれからのWEBの話しではなくて今までもそうなのである。むしろコンテンツ作りというよりも物作りは愛の上になりたつものだからだ。そこに現実もWEBも変わりはない。

さらに現実のマーケティングでは以前より大事なのは愛ということは言われている。さらには商売でも大昔から言われていることだ。何も新しいことではないのだ。それではなぜ今WEBで愛が必要と言われているのか。

俺は仕事を通じて様々な人達と会ってきた。

WEBというのは楽に商売ができると認識する経営者たちがいる。自らの商品も数やお金にしか見えていない。ましてやNETの向こう側にいる顧客のことなど考えもつかないのであろう。そういう人達はとにかく見た目にこだわる。綺麗にして格好良くして。なんでもいいから商品が売れるようにしてよ。分かりやすくいえばそんな具合だ。

一方で元々愛で商品を作り上げてきている経営者の人はお客さんに対する扱いにも愛がある。だからこそ長く続けられているのだ。さらにこういう人達と仕事をすると驚かされることがある。
WEBを作る時にも愛を注ぐのだ。商品はもちろんだが常に顧客のことを考えている。格好よりも使いやすさや想いを表現している。それは店舗であってもWEBであっても変わることがない。今で言うユーザーファーストなんていう考えはとうの昔から染み付いているのだ。

もちろんネット社会と現実社会は別のものという勘違いもあるだろう。だが早い話は何周も周回遅れな世界だ。WEBが新しい分野だからかもしれないがマーケティングの根底まで変わることはない。

情報の速さや利便性というものがそれを変えてしまっている。やれ効率化だのやれ数字を上げろなど。大事な部分を削ぎ落としている同業者を見ていると居たままれない気持ちにすらなる。全ての業者ではないがまだ多くそういうところは存在する。まずはその人達がマーケティングや心を学ぶべきだ。そして愛をしれと。

それじゃお前はいますぐにSEOで簡単に上位を取れるのか?
今すぐにというのは可能であり不可能とも言える。それは一概にはいえないことだ。だが長い目でみて上位にいつづけることは出来る。根があるからどんな強風(Googleのアップデート)があっても揺るがない。今だけを見ているからテクニックだけに走るのだろう。そしてそのテクニックに酔いしれている。俺は今ではなくもっと先を見ている。Googleの行くべきゴールを見ている。ウサギと亀の話しのようだと言えば分かるだろう。

お前は愛の意味を知っているのか?

そう思う人は沢山いるだろう。そう思われるからこそ自分の過去のことを書いていると言っても過言ではない。いつも読んでくれている人はわかると思うが俺は今までに様々なことを経験してきた。まだまだ書ききれていない部分もあるが。

そして愛の意味を知った。本当の愛の意味を。だからこそ俺は立ち直ることができたのだ。うつ病も統合失調症も治らないと言われたが治っている。

彼女もいないから愛を知るのは無理だな!

そんな人でも愛が何かをしることは可能だ。俺も1人の時に愛を知ったからだ。愛というのは難しいものでもなく永遠のテーマでもなんでもない。愛も幸せもきらびやかなものであるという妄想など捨てよう。至ってシンプルなのだ。

今までは愛を頂上にしてそこに向かって書いていた。

今回の記事ももう少し後に書こうと思っていたのだが、しかし今回の記事を見て追い風を感じた。そしてここで宣言するが俺のこのブログの最大のテーマというのは愛だ。一括りにするとそうなる。自分語りもWEBマーケティングでもそうだ。

ブログに愛などと言って誰が信じるか。頭のおかしいヤツと思われるだろう。それはおそらくこの先も変わらないと思う。

だが俺は語り続ける。

テクニックを優先させると頑張る!という気持ちが強くなる。しかし愛を知れば情熱や熱意など自然に湧き出てくるものだ。

そういったものはすべては愛の上になりたつのだ。

愛のあるコンテンツにしても精神疾患にしても全ての人に当てはまるかは分からないがそこには何かヒントがあるかもしれない。

まだこれは序の口だ。今後参考になるであろうことも書いていく。

このブログは始めたばかりだし見た目はヘッダー画像を最近変えただけだ。

そんな俺が何か言ったところでおかしなことを言ってるやつが居るくらいにしか思われないだろう。

ここはプライベートで書いているから悪いが実際の仕事を証明することもできない。

だがそんな俺の話しでも受け入れてくれる人には何かを伝えられるように書いていきたいと思っている。

まず今日はこれぎり!

はてなにBEEFで物申す。

QUESTIONS

大層なタイトルを付けてしまったのだがそんな殺気立っているわけではないんだ。

はてなの機能について何か言いたいことがあるわけではない。

とても使いやすいし満足している。不満がないというわけではないがそこまでシビアな問題ではないんだ。

だがここで引き下がるわけにはいかない。

yeah yeah yeah

そろそろ始めるぜはてなへのBEEF。俺の声がひびく。

ここで見せつけるぜ俺のスキル。この場ではてなを切る。

シビアではないがデリケートな問題だ俺にはさ。生き様否定されてホンマになにさま?

夜も眠れないほどに考えた。睡眠時間を返せよはてな

これは記事にすべきだ。はてなに物申すべきだ。

そう決心してこの記事を書いている。返せるなら返してみろよ美辞麗句。

俺はフェイク?負け犬?逃げ出さねえぜ俺はここに居る。

一瞬目を疑ったぞ。凍りついて顔も真っ青。

ただただ不思議だった。ダラダラルーキーだから?

なぜ?なぜなんだい?ペルケノー?

イタリア語が飛び出るほどにマーベラス!イライラの俺の本能が暴れだす!

じょじょにおちてく俺のスキル。ついにネタが尽きる。

 

韻を踏んでBEEFしてみたが難しいものだ。

聞くのと実際するのでは違う。改めてラップをしてる人達への敬いが強くなった。

そもそも俺がラップに興味を持ち始めたのは……

これは話しがそれるのでまた今度だ。

ここからは普通に戻して話しを先に進めよう。

何をそんなに問題にしているというのか。それは俺が昨日書いた記事だ。

今までの記事以上に読んでもらえる回数が多かった。

まあそれもある意味驚きではあったのだが問題のコアはそこではないのだ。

内容的には俺の高校時代の話しを書いた。何度も殴られた話しだ。

そして高校時代の光を失った話しだ。

kabuku.hateblo.jp

今となっては違うが当時は深刻な状況だったんだぞ?

というか俺の人生の話しだ。1人の人間の人生の話しだぞい?

なのに!なぜ!

 

マロニーが!!

ここに?

 

ごめん。デスクの上にマロニーがあってびっくりしてしまったんだ。

昨日鍋をやった名残だろう。気にしないでくれ。

もう一度気を取り直していく。

 

なのに!なぜ!

 

はてなブックマークのカテゴリーが

 

おもしろ

 

なんだよ!!!!

俺は文字のサイズを大きくするのを嫌う人間だ。若干改行まで入れてしまった。

だが今回だけは大きくさせていただきたい。改行をいれさせていただきたい。

自分のポリシーを曲げてまで伝えたいことだから。大切なことだから。

人の人生をおもしろカテゴリーにいれるっちゅうのはどういうことだいはてなさん?

俺の人生がそんなに面白いか?裏で笑ってやがるのか?

うん?機械が自動に振り分けてんの?

ってことは機械にも馬鹿にされてるってことか俺の人生は…

あぁ…なんて悲しき俺の人生よ。

 

なんていう悲観もなくただただ笑った。傑作だ。あっぱれ!

俺なんかの人生で笑ってくれればこの上なく幸いだ。

 

じっさいに昨日の記事は今までの記事とは違ってある意味おもしろく書いてみたのだ。

内容的には暗めな話しだから明るく書いたらどうなるかなと。そしたらおもしろカテゴリーに入ったのだ。

そこまで見ぬけるのかはてなよ?

ある意味本当の驚きはここだったりした。

もしかしてこれはマーベラスな精度を誇るんじゃないのか!

また様子をみてみようじゃないか。

そんなこんなの小話しでございっ!

まず今日はこれぎり!

 

追伸 はてなさま

マーベラスなネタの提供をありがとうございました!これからも素晴らしいシステムの開発をよろしくお願い致します。

マロニーちゃん スタンダードタイプ 100g×6袋

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