ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

俺の髪の毛は何故こんなに伸びてしまったのか。

His hair

今日は月曜日。みなさんいかがお過ごしだろうか?俺はスマホのケースを変えたい気持ちを抑えて仕事中である。だが少し息抜きをしているところだ。

今の俺の髪の毛は過去最高の長さだ。前は胸の辺り、後ろは肩甲骨の下辺りまでの長さがある。ずっと短くしていたのだがここ2年ほど髪は伸ばしている。ちょうど、この記事のTOPの写真のようなイメージだ。ストレートではなく、ナチュラルウェービングなのである。身だしなみが整えられずにだらしないという人もいるだろう。もちろんお手入れはそれなりにしている。

なぜ俺が髪を短く切らなくなったかというと、伸ばしたいと思ったのもあるが、髪を短く切る意味が分からなくなったからだ。また変なことを言い出したぞ?と思う方がいるかもしれないが、男性はいつの頃から髪を短くするというのが定着したのだろうか。映画などで昔の写真を見る限りは男性も女性も髪が長い。日本だけでなく世界をみてもそうだ。侍や騎士にインディアン。三国志を見てもみんな髪が長い。内田裕也も然り。

現世ではそもそも何故髪を短く切らなければいけないのか。

仕事があるのも分かる。サラリーマンであれば、ある程度の規律があるので当然なのかもしれないけども。俺は自営なので関係ない。髪のことで仕事が途切れたことなどない。むしろ俺を認識してくれるIDのような存在にもなっている。話しのネタにもなるので距離が近づきやすい。これは仕事だけでなく普段の生活でも同じだ。髪が長いことで何か滞りがあるといったことがない。むしろ仕事と同じように、認識されやすくなり良くされることの方が多い。普段は結んだりもするので邪魔になることもない。

だから余計に切る意味が分からないのだ。能率化?そもそもそんなに急いで生きなくても良い。なぜみんな短くするのか?と言っているわけではないんだ。髪を短く切らなくても良いといった条件の下であればどうであろうか?なぜ髪を短く切るのか。その答えが俺の中で出せていない。俺自身が分からないだけなんだ。もし明確な答えがあるなら短くしている。だが、男性は髪が短くあるべき。という現世の不文律なのであれば、それだけでは俺が髪を短くする理由にはならない。

まあ髪が長い短いはどうでも良いことなのだけども、自分でどうするか決めるというのは大事だ。世の男性は大多数が皆短いからという外的要因だけではなく、自らの答えはどうなのか。その時に出た答えに俺は正直に生きたいのである。つまりはシェキナベイベーということだ。うん。

ただ1つだけ困ることがあるのだ。それは、寝ている時は束ねた髪をほどいて寝ているのだけども、時たま寝ぼけた嫁ちゃんに髪を踏まれるのである。そして、それで目が覚めた時の不快さというのは言葉では言い表せない程だ。俺が髪を切るとしたら、この不快さに耐えられなくなった時か。

まず今日はこれぎり!

久しぶりの、はてなブログとWordPress

#Design Bosjes Chapel, Ceres, Witzenberg Municipality, Cape Winelands District Municipality, Western Cape, South Africa [2000×1333]

前回この記事を書いたのが一ヶ月半前。少し動きがあったのでご報告と。ちなみにここで書くはてなブログというのは、今見ているこのブログのことではない。こことは別にはてなブログとWordPressで比較をするためのブログを運営している。どこで何を書いているかは仕事の関係上公開はしていないのである。詳しくは下のリンクを読んでもらえればと思いますぞい! 

www.marvelousone.tokyo

  そんでもって動きというのは、ついにWordPressがはてなブログのアクセス数を超えたということ。集客はSEOのみである。今のところ5ヶ月目に突入で遂にという感じだ。今見ているこのブログよりも運営日数もアクセスも断然に多い。まあこれはWordPressの記事の方がSERPs(検索エンジン結果)の上位に表示されるようになったからである。さらには内部リンクの構築によってPVが増えたのもあるだろう。

自分で描いた設計図と同じように人が動いてくれると嬉しく思う。来てくれた人を迷わせたくない。もちろんリンク先にはその人が必要としているだろう記事を用意しておく。この部分をなんでも良いものにすると読んでいる人もフワフワしてしまう。相手の心の奥に存在する欲求をこちらから提供してあげるのだ。もちろんこれは想像するしかないのだがどんな人を呼びたいのかがはっきりとしていれば、ある程度予想をすることができる。

お客様の層を見極めて、それに合った集客をできるようになると無駄にアクセス数を稼がなくても、効率よく能動的にお客様がきてくれる。もちろんまったく見当ハズレなこともあったりするが、そこはトライ・アンド・エラーでズレを修正していく。これを続けていき精度を高めていくというわけなのだよねえ。Googleアナリティクスなどの解析ツールを使うと、その想像に数字という部分で大いに協力してくれる。Googleアナリティクスというのはアクセス数だけを見るものではないのだ。時にお客様の顔を見させてくれることもある。まあ顔というのは存在という意味なのだけどもね。

少し話しは変わるが、

WEBといえど訪れてくれたお客様にはそれぞれの顔がある。たとえば5万円の商品があるとしよう。軽々買えてしまう人もいれば、毎日お昼代を節約してやっと買える人もいる。数字では同じ「1」にすぎないが、同じ「1」ではないのだ。お客様それぞれに顔とストーリーがある。俺たち人間は数字にモノを売っているわけではない。人間にモノを売っているのだ。これはブログにも同じことがいえる。記事を読んでいるのは数字ではなくて人間だ。そこには沢山の顔が存在している。そのことを忘れてはいけない。

SEOというのは集客にすぎない。

そこから呼び込んだ人にどんな満足を与えるのか。それは商品だけでなく、情報やユーザービリティ、ユーザーエクスペリエンスと多種多様に存在する。情報量もすごく分かりやすいし見やすいしWEBサイトなんだけど、ショッピングカートがすごく使いづらい……こうなってくると情報だけをそのWEBサイトで確認をして購入は他のサイトでということにも繋がってしまう。せっかく人も呼び込めてお客様を納得させているのに購入を取り逃してしまう。こういったケースはよくあることだ。お客様がどこで躓いているのか。そういったことを考えて、よりよい環境を創り出すというのもWEBマーケティングの仕事なのである。

話がだいぶズレてしまったので話しを戻そう。

ある意味はてなブログとWordPressの初速からの流入という比較の意味はだいぶ薄れてきてしまった。予定よりもだいぶ早いが、次は両ブログのマネタイズ期に移行しようと思っている。AdSenseは導入せずに、とりあえずはアフィリリンクを貼る予定だ。すでに狙ったキーワードで上位に入り、狙いのお客さんが来て、引いた導線を進んでくれている。なので結果は出やすいと考えているが結果はどうであろうか。まあ両ブログ合わせて50万程の初期投資をしているのでその分は稼いでもらおうじゃないかい。そしてここで結果を出せれば、それを資料にして次は純広告に移る。

お金のことを書いたが、まあそれはどうでも良いのだ。作ったブログを参考にして本当に欲しいと思えるものに出会ってもらう。それが俺の望みだ。ここに注力する。その結果がお金になる。稼ぐのは悪いことではない。俺もお金がほしい。お金がほしいなら、どんな価値を提供すればお金を生み出すのか。これがお金優先で、どうしたらお金が稼げるのかとなってしまうと本末転倒なのである。つまり提供する価値の部分に注力するということだ。しっかりと集客が出来て、その価値に本当の魅力があれば自然とお金を生み出してくれる。このどちらが欠けてもいけないのだけどもね。

この「はてなブログとWordPress」シリーズでは報告というよりもWEBマーケティングに気軽に触れてもらえればと思って書いていたりする。なので専門用語などは極力使わないようにしているのだけども。今見ていただいているこのブログはまったくもって何も考えずに書きたいことを書いているようなブログだ。今日ここに書いたことを抜きに純粋に楽しみたい。個人ブログというのはやはりそこに尽きるのかなと。そんな感じでござりまする!

まず今日はこれぎり!

遂にこの時がきた。

time

すっかり書くのを忘れていたがこのブログを始めて三ヶ月が経過していた。ちょうど静岡に行っていたくらいか帰ってきたくらいか。三ヶ月目を見返してみたが、書きたいことが全然かけていなかったのだ。というよりも書いていたものに対して何か納得いかないところがあり投稿することが出来なかった。記事が下書きにたまる三ヶ月目。そんなこんなで記事の内容に偏りがあり、当然目標には遠く及ばなかった。俺のいう目標というのはアクセス数や何記事書いたということではない。そんなのはどうでもいいのだ。自らが何を書いたのか。そこに尽きる。

もう一度原点に戻ろう。俺はなぜこのブログを始めたのか。まあそんな大層な意義があったわけではないが、原点に返り見つめ直した時に違和感があったのだ。

この違和感というのは悪いことではない。ソワソワする感覚。自分に変化が訪れた時に感じるものだ。気づかないうちに俺は変化を遂げていたのである。これは皆さんのおかげとしか言いようのないものだ。ある意味で化学反応のように異質なものに触れたことで新しい感覚が芽生えてきている。そんなところだろう。

先日書いたクリエイティブの記事だって本来は全く違う目線の記事だった。下書きの状態のままのものを出していたらもっと意味の分からないものになっていたと思う。だがそこに新しい自分をプラスしてみた。他の記事の納得いかなかった部分も同じだと思う。だから下書きの状態のものをもう一度見つめなおして順次投稿していければと考えている。まあ読んでいる人にとってはなんのこっちゃという感じだと思うが、そんな風に思っている皆さんに俺は感謝しているということだ。

そして遂にこの時はきた。

パソコンやタブレットで見ている人は分かると思うが、ブログデザインを変更した、テーマはそのままCONTENTSを利用させていただいているのだけども、大幅に見た目を変えてみた。まず大きな所では2カラムから1カラムにした。サイドバーを記事の下に全て移動したのだ。1カラムのいいところは記事に集中してもらえるところだ。その変わりに記事以外への導線が弱くなるので記事の下は何をしてほしいのかしっかり意思を示す必要がある。その辺はまだやりながら様子をみていこうじゃないか。全体的にももう少しいじろうかとは考えているのだけども。

後は見出しやタイトルの装飾は全てはずしてしまった。写真やテキストがメインのブログに合いそうな感じだ。もはや全くもって別物になってしまったので自らテーマを投稿してしまった方が早いような気もしてきた。まあ使いたい人がいるか分からないが自分専用にしてもいいのかなと。

ただ1つ、はてなブログが出しているAdSenseの広告がバランスを崩してしまっている。これを消すには、はてなブログProにするしかない。もはや今月は目標を達成しているのでProにする時がきたようだ。AMPも導入したいと思っている。独自ドメインはどうしようかなあ。といった所かなと。

まあそんなわけでこの後Proへの移行作業進めますぞい!

まず今日はこれぎり!

もっと自由な発想でクリエイティブに己の道を拓こう。

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今日は真面目な記事を書いた。前から書こうと思っていた内容の記事が下書きにたくさん埋まってしまっていた。それらもこれから記事にしていこうと思っている。まずは、クリエイティブという言葉を聞くと、どんなことを想像するだろうか。

グラフィック、デザイン、写真、音楽、などなど。

このような感じで思い浮かぶのではないですかな?まあ一般的にいえばそれが当然のように感じると思う。日本ではこれらのモノをクリエイト(作る)する。作る人をクリエイターと呼称し、そのような人達がクリエイティブな人という意味で定着してしまっている部分もある。なので、クリエイティブと聞くと、私にはできない、才能があるっていいよね。みたいに語られたりもしてしまう。

このクリエイティブという認識は主に広告業界向けの職種の呼称なのだ。それが一般的に広まっていることで誤解された認識になってしまっている部分がある。

クリエイティブというのは身近な存在だ

本来のクリエイティブというのは創造する、独創的という意味になる。それはモノに限ったことではない。価値、考え方、発言、生き方、ビジネス、さまざまなことが全てクリエイティブな存在なのだ。

つまりなんであれ、誰でもクリエイトすることができるということだ。クリエイティブというのは特定の人に与えられた才能でも特権でもなく、全ての人に与えられている能力なのだ。 僕は絵も書けないしグラフィックも作れない。そういうことだけがクリエイティブではないということをまずは知ってほしい。本来の意味がわかればもっと自分らしくクリエイティブできるはずだ。

カタチにすればなんでも良いというわけではない

既存の真似や言われたことをやるだけでは、いわゆるオペレーターになってしまう。自ら考えることを置き去りにして目の前の与えられた作業をするということだ。もちろんそれが悪いわけではない。ただ、誰しももっとクリエイティビティを発揮することができるはずなのだが、自分にはできないと決めつけていたり諦めたりしている人は多いように思える。

創造性があるというのはオリジナリティがあるということだ。誰の真似でもなく自分で考えたこと。つまり新しい発想をカタチとして創り出すということだ。これが難しく感じるかもしれないが、常に自分で考えるようにしていけば感覚がつかめてくるようになる。何をしたいのかどうしたらいいのか、最初から外に答えを求める前に自らの心に聞いてみよう。最初の出発点はいつも自分なのだ。答えは自分で探しだすものだ。自分の中で新しい答えを模索する。自分の中にすでに答えはあるのだ。何も世にない目新しいことだけを考える必要なんてない。自分で考えた結果が他の人と同じでも構わない。自分でその答えにたどり着いたことが大事だ。そして答えが出たならばカタチにする。これがクリエイトするということだ。

とは言っても何もクリエイトできるものなんてないし……

そう思う人も多くいるだろうがブログだって例外ではない。記事を創り出しているのだからクリエイトできるはずだ。文字を、文章を、コンテンツをクリエイトしている意識をを持つだけでもかなり変わる。誰かに言われたから。誰かがやっているから。レールの上を辿っていてはクリエイティブなことはできない。オリジナリティを放棄して生み出されたものにクリエイティビティは感じない。それこそただただキーボードを打ちこなすオペレーションではないかと。つまりはオペレーターだ。ブロガーと名乗る前にブログオペレーターと名乗るべきではないか。

あなたはあなただ。それだけでも唯一無二なのだ。自分の生きてきた道がある。誰かと同じなんていうことはない。似たような人生はあっても、まったく同じ人生を歩んでいる人なんていないはずだ。今までの人生でも十分にオリジナルなのである。だから誰かになる必要なんかない。ましてや誰かと比べることなんてしなくて良い。できることできないことは今のままで良い。そんなあなたが感じたこと、考えたこと。書く言葉。そこにこそ意味や価値があるのだ。そういったことを放棄して既存の価値や意味を求めてしまうのはもったいない。オリジナルになりたいのであれば自らのオリジナリティを見失うことはない。それが分かればクリエイトすることもやりやすくなる。

自分でクリエイトしてカタチにしたものが評価される

評価というのは、生み出された結果に対して、好きな人(良い)、嫌いな人(悪い)がいる。ただそれだけだ。クリエイターはそれを受け止めればいいのだ。分かってくれないといじける気持ちも痛いほど分かるが、作品が嫌いという人や否定的な人でも、その人の中に一度受け入れているわけなのである。だからこそ出る反応なのだ。作品や意見が受け入れなかっただけであって、作り手の存在が受け入れられていないわけではない。だから悲しいことでもなんでもない。

むしろ批判があるということはそれだけ作り手の存在が認識されているということを感謝し喜ぶべきことなのだ。それすら遠ざけて小さい枠に収まるのは見ていて寂しく思う。反応の中には、暴言を吐いたりする人もいたりする。気持ちのいいものではないが、その人の中に受け入れられて存在しているからこそ消えてほしいと思われているのだ。その人が俺のことを目障りだろうが、ムカついていようが関係ない。俺はその人の中に存在できたことを喜ぶ。その人の人生のわずか数秒だとしても関われたことを光栄に思う。さらには感情を伝えてくれたことに感謝する。

みんなに認められるカタチなどこの世にはないのだ。自分がいくら正しく思った所で、隣の人にとっては正しくないことなどたくさんある。意見が分かれた所で相手を正そうとしたり認めさせたりする必要なんてない。自分だけ認められたくて相手を認めないのは傲慢だ。そんなのは自分の不安を消すための作業にすぎない。そしてそれは、より自分を苦しめることにつながることになってしまうのだ。だからといって相手を無視するわけではない。相手の考えを尊重し受け入れる。そうするだけで良いのだ。難しく考える必要はない。みんな違って当然なのだから。

クリエイティブに己の道を拓く

SEOだってマーケティングだってビジネスでもクリエイティビティが必要なのだ。そういった多くの記事を見ていると全てが後追いのことばかりが書いてある。記事を読んで自分のブログに取り入れたところで更なる後追いにしかならない。

Googleとのイタチごっこは終わらないというが、自らがその追いかけっこの輪にはいっているだけのように見える。もっと先を自分でクリエイトすれば良いのだ。流行りに乗っかったビジネスには終わりがくるのと同じだ。先を見ようとしない。

今売れるものだけを作り売ろうとする。自分でクリエイティブにできないから流行の後追いばかりしている。また流行が変わったと情報が入れば次の流行に移る。流行とのイタチごっこだ。それがビジネスではないと言ってるわけではないのだ。そういうビジネスでも成り立つ。誰かのクリエイティビティを真似するのは楽だ。自分で考えずに後についていけばいいだけなのだから。失敗だってそこまでないだろう。自ら分かって選択してその輪に入っているのならば、それでビジネスをしているのだから良いのだ。これも1つの方法であり選択だ。その選択をしたものを卑下したり間違っていると感じたりすることは無意味だ。違う道を選択し歩んでいる。ただそれだけだ。

しかし流行の後追いや人のマネをしていたら上限は知れている。本当はもっとできる可能性を秘めているのにもかかわらずその可能性を自ら潰してしまっている。もっと自分らしくクリエイティブに自分を最大限に活かせるはずだ。どちらを選ぶかも自分で考えて答えをだす。そして選択した道を進めば良い。

己のクリエイティビティを解放しよう

最初は分からないことだらけなので調べたり聞いたりして参考にし勉強するのはいいことだ。ただ勉強してそのままをカタチにするのではなく、もっと自分でクリエイティブにやってみてほしい。

創造(クリエイティブ)と聞くとどうしても突発的な一瞬のひらめきと語られることもあるが、クリエイトするということは何か特別なことをしなくたって良いのだ。何をしたいのか自分で考えてカタチにする。クリエイティブというのはその積み重ねなのだ。そしてその積み重ねから生み出されたカタチにオリジナリティというものが出てくる。己のクリエイティビティを解放してもっと自由に発想してクリエイトしてみようじゃないか。一歩一歩道を切り拓いていくのだ。 その選択肢は誰にだって用意されている。

まず今日はこれぎり!

狂喜乱舞の桜ROCK

最近はカメラや写真ネタばかり書いている俺である。新しいカメラを購入してからというもの、寝る時とご飯の時と仕事の時とお風呂の時とトイレの時以外はカメラに触れている。まあつまりは普通程度ということなのだけども。

俺は今まで風景写真を撮影するというのは好きではなかった。以前にも書いたがライブ写真であれば少しは自信があるが、風景写真というのはあまり得意ではない。サーキュラーPLフィルターもNDフィルターだって持っていない。

今は改めて風景写真を勉強中なのだけども、そこにライブ写真のような要素を入れたらどうなるか。それこそ俺らしさが出るような気がしたんだ。ライブハウスというのは基本的に暗い。メインライトを明るくする場合もあるが、基本的にはメインライトを暗くして色のついたスポットライトを当てることでステージを演出をする。そのスポットライトがミュージシャンに当たる瞬間。その一瞬を捉えると綺麗に撮影することができる。ミュージシャンは動き回り、スポットライトも動いているので言うほど簡単ではないのだけども。まあそれが昨日の妖艶な桜にも現れていた。スポットライトを浴びた桜。桜と街灯は動かないので楽ではある。

昨日はとりあえずぶらりと散歩に出たので三脚は持たずにカメラだけを携えて撮影をしたのだけども、街灯があるとはいえ夜なので暗い。なので手ブレには注意が必要だ。だが最近のカメラは凄い。ISO12800であってもあれだけ綺麗に撮れている。さすがに明るく撮影をしようものならノイジーになるのは仕方ないがマーベラスだ。ブログに使う程度であればまったく問題ない。まあしかし機能ばかりに頼っていたら腕は上がらない。そう思って今日は三脚を持って撮影をしてきた。今回は昼と夜の二部構成。またライブ感をいれてみた。今度は違う要素を。前置きが長くなってしまったが、ここからが本題だ。

タイトルは「狂喜乱舞の桜ROCK」

使用機材;Nikon D750 + AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR

朝から仕事をして昼に嫁ちゃんとランチバイキングに出かけた。家に戻ってきたのは15時近く。それからカメラを持ち出し撮影に出かけた。場所は昨日と同じ桜の道である。だが昨日の妖艶さは皆無だ。まったく違う表情をしている。光を全身に浴びて気持ちよさそうだ。

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昨日の桜の写真を照らしていた街灯はこんなレトロな面持ちをしている。30メートル間隔にこの街灯が置かれているのだがよく晴れていて街灯も眠りについている。のんびりと過ごしている様子で桜は見にきてくれたオーディエンスを温かく出迎えている。今日は桜らしい桜を撮ることができそうだ。そこでiPhoneを取り出しミュージックを再生する。すると急にザワザワとしはじめる。ザザッとザザッと音がなると、風が吹き上がりスイッチが入ったように桜が……

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躍動感溢れる動きを見せた。ほとばしり出る汗のように舞い散る花びらは子供達を喜ばせ、大人は写真を撮り始める。忙しそうな人も立ち止まらせ笑顔にする。全てのオーディエンス達を湧き上げる。それがさらに桜のテンションを上げていく。

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っとさっそくライブノリも尽きてきたので普通に戻るが、風の強い日の桜というのはよく揺れるものだ。昼間であればシャッタースピードも稼げるので止まっているように撮影することもできるが、Sモードであえてシャッタースピードを落とすと動きのある写真を撮ることができる。川の写真や人の流れなどを撮影する時に使われる手法である。シャッターが開いている間に動いた分の残像が映し出される。

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普通であれば被写体というのはできるかぎりブレない方が良い。ブレというのは写真においてはNO GOODであると思われがちであるがこうしてあえて動きをつけて躍動感を出すこともあるのだ。動いているものを動いているように撮影する。とても自然なことだ。

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自由に動き回る桜。普段では風に揺られているだけにみえるが、こうしてみると力いっぱいに動き回っているようにも見える。目には見えないものを捉える。こういったこともカメラの一つの楽しさである。

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狂喜乱舞。まるで狂ったように踊っているようにも、空に絵を書いているようにも見える桜。咲いていることの嬉しさを喜びを全力で表現しているのかも知れない。普通に桜を撮影するのももちろん良いが、動きを与えてみるのもいいじゃないかい。この写真の空の色は少しだけいじっている。独特な色を出してみた。他の写真についてもだいぶいじっていると思われるかもしれないが、AdobeのLightroomで全体の色を修正した後に空に青みをほんの少しだけ足しているだけである。

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夜に撮影をしたら綺麗に映るかと思って三脚を担いで撮影しにいったが、風が収まってきてしまっていた。昼間よりもメローな感じだがそれでもこれだけ面白い動きを見せてくれる。ちなみにこちらの写真は逆光の桜をISO100で撮影。さすがに高感度ISOと比べるとノイズも少なく綺麗だ。

っとまあこんな感じで動きのある桜の写真を載せてみた。さすがにこれだけ連続して載せると狂気を感じる。俺はテーマがそこにあったからいいのだが、普通の桜の写真があり、中にはこんな動きのある写真もある。その位のバランスがいいのかも知れないですな。それにしても今年は桜をたくさん撮影したなあ。後1回位は行けるだろうか。さてさて次はどんな撮影で楽しもうか。

まず今日はこれぎり!

夜の桜は妖艶に咲き誇る

俺と嫁ちゃんは夜の時間が合うと大抵は一緒に映画を見る。だが昨日の夜は映画を見ずに嫁ちゃんと散歩をした。夜の桜を見に。とは言ってもライトアップされているような夜桜を見に行ったわけではない。俺の住んでる街には桜が沢山植えてある道がある。桜並木のように洒落た感じではなく境界線のように敷き詰められた桜の道。普段からたくさんの人が通る道なので街灯がある。ありがたいことにその街灯は道や人だけなく桜も照らしてくれている。ライトアップされている桜とは違い部分的に明るい。

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下からではなく若干上か同じ目線から照らされた桜は昼間の柔らかい感じとは違い、暗闇に浮かび風に揺られ妖艶に舞い迫って誘惑してくる。そしてたくさんの人の心を魅了する。

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時に寂しそうに存在する桜。それも俺たちを魅了する罠だ。一度嵌れば離してくれない。いや、離れたくなくなる。様々な表情で俺たちを虜にするのだ。

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時に明るく振る舞うこともある。そして夜空や他の木々との競演が始まる。その中でも存在感を示し咲き誇る桜。すぐに散りゆくさだめとしりながらも俺たちの心を奪い去り饗宴が始まる。

散歩をしながら2人で桜に見とれることもあった。沈黙の時間も桜が埋めてくれる。1時間位歩いただろうか。まだ夜は冷え込むので帰宅後には温かい紅茶を飲んだ。またいつか会おう。その時はまた妖艶に咲き誇り俺を魅了してくれ。

まず今日はこれぎり!

使用機材;Nikon D750 + AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR

オールドスタイルな雰囲気漂うカメラバッグが欲しいなあ。ここはやはりアレを買うかなあ。

Domke F-2

昨日に引き続きカメラネタである。デジタル一眼を新調し、レンズも購入した。そこで今度はカメラバッグも欲しくなってしまったのだ。

このブログでは自分の持っていないものは紹介したことがないが、今回は欲しいものを紹介してみようじゃないかい。

昨日の記事で紹介した、現在持っているTIMBUK2のSNOOPは作りがしっかりしていて沢山入る。使い勝手も良い。これをまた使おうとも思ったのだがしかしデカイのだ。

D750+24−120 F4と15−35 F4 もう一本単焦点かマクロを入れる。

さらに昨日紹介したお出かけ三点セット。iPadを入れるかも。これが入れば充分なのである。SNOOPにこれを入れると余裕で入るのだが、余裕過ぎてスカスカになってしまう。なのでもう二回り位小さなカメラバッグが欲しいのだ。

今はリュックにインナーケースを入れてカメラとレンズを持ち歩いている。

リュックだと容量もでかく重い荷物を持つ時には体への負担も少なくて済む。しかし、レンズの交換時にどうしても一度下ろしてレンズを変えてまた背負うという繰り返しになる。あまり動かずに一つの場所でドッシリと撮影を楽しむ場合はリュックを選ぶ。

ショルダータイプの場合は、後ろに垂らしたバッグを体の前に持ってくれば、サッとカメラやレンズを取り出すことが出来るのだ。そういう意味で手軽である。しかし、片側の肩にかけることになるので体への負担は大きくなる。移動中に撮影をしたりする場合はショルダーを選ぶ。

どちらも一長一短といった感じだ。

だが、今回のバッグの目的は決まっている。そこまで長くない時間とそこまで重くない荷物。お散歩バッグの延長のような感じだ。

なのでやはりショルダータイプのカメラバッグを買おうということになった。そうなると今度はどれを買おうかなんて物色をしているのだけども、やはりTIMBUK2は現在カメラバッグの販売は行っていないようだ。

まあ今欲しいのはスポーティーなものよりも味のある渋いバッグだ。使いやすさや機能を求めるのであれば現代的なバッグを購入した方が苦労しなくて済むだろう。オールドスタイルのものを選ぶとなると機能や使い回しは現代的なバッグよりも劣るかも知れない。そこは受け入れながら楽しもうじゃないかい。それこそがオールドスタイルを嗜む者の掟のようなものだ。

そうなってくるとまずはアレが思い浮かぶ。 

俺が欲しいのアレとはDOMKEである。報道カメラマンであったJim Domkeが1976年に創業し、今に至るまで人気のカメラバッグメーカーである。現在のカメラバッグはナイロンや化繊が素材として使われることが多いが、DOMKEのバッグはキャンバスで出来ている。DOMKEの中でもバリスティックナイロンを使用したものもある。

Domke 700-30S F-3X Super Compact Bag -Sand by Tiffen [並行輸入品]

Amazonの画像だがF-3Xという商品だ。中のクッションは底だけ。後は仕切りが付いてるくらいだ。現代的なバッグではないが、やはり惹かれるものがある。いつかは欲しいと思っていたのでこの機会に購入しようかと。値段は最低でも2万円程度から。ちなみにNIKONはF-3Xとのコラボレートモデルを販売している。これは2万7千程度からとなっている。

Nikon×DOMKE スペシャルコンテンツ| NikonDirect - ニコンダイレクト

 

オールドテイストの定番物といえばもう一つの候補があるのだけども、これもまた良い感じだ。

Billinghamビリンガムのハドレープロだ。ビリンガムは1973年にイングランド、バーミンガムで誕生したバッグメーカーである。ビリンガムの妻が夫のカメラバッグを作ったのが歴史の始まりだと言われている。

Hadley 505233-70 Pro Shoulder Bag -Khaki/Tan [並行輸入品]

 

いかにも英国らしい気品あるデザインが格好良い。FILSONのバッグに似てるようにも見えるが、アメリカンなゴールドラッシュとはまた違う趣が感じられる。お値段は4万円程度からと。なかなか高級なカメラバッグである。

 

もう一つ良い感じのカメラバッグがONAのPRINCE STREETである。こちらはなんとレザーのバッグだ。しかもハンドメイドである。お値段は6万円程度から。革なので結構な重さであるが育ててみたいと思わせるような、とても魅力的なカメラバッグである。

ONA カメラバッグ THE LEATHER PRINCE STREET (Antique Cognac) ONA5-024LBR 国内正規品

 

こちらは同じくONAのBRIXTONというモデル。PRINCE STREETよりも少し大きめなサイズだがデザインとしてはこちらの方が好きだなあ。インナーケースを外して普通に使いたいくらいに好きだ。

ONA カメラバッグ THE LEAHTER BRIXTON (Antique Cognac) ONA5-013LBR 国内正規品

 

 

良い感じだと思うカメラバッグはなかなか高いものであるなあ。やはりDOMKEのF-3Xが一番かなあ。

番外編としてもう一つ挙げるとすると、TENBAのDNA11だ。TENBAはカメラバッグメーカーとして世界的に有名である。DOMKEと双璧を成すという位に両メーカーはカメラバッグの歴史を作り上げてきた。こちらのバッグは今までと趣が違いかなり前衛的であり現代的だ。ここに同じ時代にスタートしたTENBAとDOMKEの思想に違いを感じる。

TENBA カメラバッグ MESSENGER BAG DNA11 12L グラファイト 638-371

機能的にも全てが詰まっているようなカメラバッグ。フラップ部分を空けなくてもカメラを取り出すこともできる。お値段は二万円程度から。あえて今回は逆のベクトルからという目線で紹介をしてみたが少し惹かれている部分もある。

しかしこれがOKとなるとあれもこれもとキリがないのであ~る!

カメラバッグの中にも有名なメーカーがある。安い物から高い物まで多くの商品もある。日本のハクバ。Lowepro(ロープロ)やThink Tank Photo(シンクタンクフォト) Manfrotto(マンフロット)やThule(スーリー)やPeakDesignはカメラバックっぽくないデザインが良い。

みなさんはどんなカメラバッグが好きであろうか?

まず今日はこれぎり! 

DOMKE ショルダーバッグ F-3X 7.3L ブラック 700-30B

DOMKE ショルダーバッグ F-3X 7.3L ブラック 700-30B

 
DOMKE ショルダーバッグ F-2 11.5L サンド 700-02S

DOMKE ショルダーバッグ F-2 11.5L サンド 700-02S

 
DOMKE ショルダーバッグ F-6 7.7L サンド 700-60S

DOMKE ショルダーバッグ F-6 7.7L サンド 700-60S

 

 

カメラを持って出かける時に持っておくと便利なお手入れグッズを紹介しますぞい!

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ブログを書くのは何日かぶりかである。しばらく静岡の方に仕事で出かけていて、東京に戻ってきてからも慌ただしく動き回っていた。 おかげさまですっかりギックリ腰の方もよくなって今ではピンピンしている。

そんでもってやっと昨日から落ち着きが戻りブログにも戻ってまいりましたぞい!

先日の記事でNIKONのD750を購入したことをお伝えした。もちろん静岡にも持っていたのだけども、外にカメラを持って行く時にでも、最低限のケアはしたいものだ。そんな時に持ち歩いているお手入れグッズがある。とはいってもこのような記事だと大体名前が挙がる基本中の基本なので、俺が今更言うまでもない。

だが、俺も書こうじゃないか!俺なりの表現方法で!というハードルは上げる必要もないが、ここからお手入れグッズを紹介していこう。

まずは、カメラのお手入れの基本中の基本である「ブロアー」だ。レモンのような形をしたものをギュッと握れば果汁と果実がこぼれ落ちる。いや、それは本当のレモンだ。間違ってもカメラにかけてはいけないものだ。

本来の使い方はギュッと押すと風が出てくる。その風でホコリを飛ばすのである!基本的に素材はゴムやシリコンのものがあるのだが、ゴムだと劣化してしまうのでシリコン素材で出来たものがおすすめだ。ゴムの独特の匂いもない。

そして俺が使っているブロアはHAKUBA ハイパワーブロアープロ M。Lサイズのものもあるのだけども、持ち歩きを考えるとこちらのMサイズの方が小さくて便利だ。だが小さいとは言ってもそこまでの小ささではない。

あまり小さすぎると風圧が足りずにホコリが飛ばない。大きい方が風圧が強い。だが大きすぎると持ち運ぶのに不便。人間とはワガママな生き物である。そこでちょうど良かったのがHAKUBA ハイパワーブロアープロ Mだったのである。

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外に持ち出して写真を撮影したのだけども途中で通り雨が降ってきたので、ブロアーも雨宿り。

 

さて、続いてのグッズはこれも定番の商品。HAKUBA レンズペン。

こちらはレンズやフィルターの汚れを綺麗サッパリ取り除いてくれる商品である。片側にはブラシ(ヤギ毛)。もう片方にはセーム皮を使用したチップが取り付けられている。チップにはカーボン粉末がついている。まずはブラシでホコリを取り除き、その後に皮脂の汚れ等があった場合にチップでレンズやフィルターをキュキュッとするのだ。これで指紋などの汚れは大体綺麗に落とすことができる。

注意するのホコリをブロアーやブラシで飛ばしておかないと傷がついてしまう恐れがあることだ。まずはよくホコリを飛ばそう。チップが傷んできたらスペアを購入して交換することもできる。

大まかな種類としてはレンズ用、レンズフィルター用、ファインダー用があるのだけども。その三点をセットにして販売もしている。一本づつ買うよりもお得になっているので最初に三点セットで購入しておくと良いだろう。一本づつで買うとスペアが付いてくるのだが三点セットの場合はスペアは無し。代わりにケース兼マイクロファイバークロスが付属している。

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こんな感じに収納して持ち運べるので便利である。親子で川の字で寝ているようでどこか微笑ましい光景でもある。

 

これもベタではあるが、KING レンズクリーニングティッシュ。

簡単にいえばウェットなティッシュである。一枚づつが個別に包装されているので乾く心配もない。でかける時なんかはケースを置いて数枚だけ持っていくこともできる。ただ少し濡れすぎているのか拭き後が残ることがあるので、包装を空けてから少しだけおいておくとちょうどいい状態になる。これは人それぞれだが俺はそうしうて使っている。

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外で撮影すると商品がいきいきしているような感じがするのはきのせいか。写真のは24枚入りタイプだが50枚、100枚タイプもある。写真を見てもらえれば分かると思うが、スマホやディスプレイにも使用できる。

俺的な順番としては、ブロアーでほこりを飛ばす→飛ばないほこりがあればブラシをかける→ブロアーでホコリを飛ばす→皮脂などの汚れがあればレンズペンでキュキュッとする。それよりも頑固な汚れがある場合はクリーニングティッシュを使用するといった感じだ。

大体この3つのお手入れグッズは毎回持ち歩いている。いつもはカメラという主役を支える縁の下の力持ちタイプのグッズだが今回はその主役のカメラで感謝を込めて撮影してみた。脇役が主役になった瞬間だ。最初は家で撮影をしようとしたが、天気も良かったので外で撮影をした。みんななかなかいい表情をしているなあ。

せっかく外で撮影をしたので他にも持っていったものやバッグに入っていたものを撮影してみたので載せておこうじゃないか。

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NISSIN スピードライトDi622

D200の後に購入したと思うのだが、後で紹介するバッグの中に入れっぱなしになっていた。D750に付けた所、問題なく動いた。しかも距離が24mm〜120mmとレンズと同じである。また使おう。写真はちょっとダンボー風に撮影してみた。なんとなくそれっぽく見えているのは俺だけであろう。

 

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TIMBUK2 SNOOP M

最近では滅多に持ち歩かないのだが、引っ張り出して外に出してみた。見た感じはメッセンジャーバッグそのままだが、SNOOPはカメラバッグとして販売されていた。インナーケースもクッションがしっかりとしている。サイズは横幅がかなり大きく、W490,H265,D200。バッグの下には三脚も取り付けることができる。カメラ二台。レンズ四本位、15インチのMACBOOKPROが余裕で入る。だが全ていれると重くて持てないのである。最近ではTIMBUK2はカメラバッグは辞めてしまったであろうか?もうワンサイズ小さいのが欲しかっただけども。

 

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レンズペンを出して撮影するのを忘れていたのでたんぽぽと一緒にもう一枚。この写真はかなりローアングルなので液晶を見ながら撮影したのだが、ピントが壁に合ってしまっている。たんぽぽはボケて、レンズにもピンがきていない。イメージとは違う写真になってしまった。やはり液晶撮影はまだまだ慣れが必要だなあ。

まっそんなこんなでカメラを持ち歩く時に便利なお手入れグッズの紹介をしてまいりましたが、家で撮影するのも良いけど外に出て撮影すると楽しいぞい!っと。

今度は何を持ち出そうかなあ。

まず今日はこれぎり!

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