ただただダラダラ佇むダダイズム

知らざあ言って聞かせやしょう。

自分に自信をもつということは

 Self-confidence

お久しぶりです。やっと仕事も一息ついて、落ちついた時間を過ごしておりますぞい。こうしてブログを書くのも久しぶりだなあ。

最近は自分の過去を振り返っていろいろと考える時間が増えている。このブログだけでなく、現実の仕事においても発達障害児のサービスに関わることになったのも1つの要因なんだけども。

今までは個人ベースではインタビューを受けたり施設を回ったりしていたこともあったのだけども、もっと自分のできることを有効的に使って、活動の場を広げたいと思っていた。そんな時にある所からありがたい仕事のオファーをいただいたのだ。企業側は俺の過去等知らなかったが、初めての席で自分の過去や現在を話した。すると当初のオファー以上に今回の案件に関われる席を用意していただけた。仕事ベースになるが根本は変わらない。まだ自分に何ができるか分かっていない部分もあるが、俺だからできることが必ずあると信じてる。

昔の俺はまったくと言っていいほどに自分を信じていなかった。自信のかけらもない男だったのだ。こんな俺は駄目だ。俺にできるはずがない。俺がやらない方が人のためだ。そうやって自分を貶めていたのだ。今までの経験でしか自分を見れなかったからだろう。ずっと過去や病気に因われて生きてきた。だが、そんな俺でも今では自信に満ちあふれている。他人と比べれば俺なんて…というのはあるが、他人と比べる必要がない。これができるようになってから自信が溢れ出すようになってきたんだ。

俺のブログでは話しが急に飛んだり突然流れに沿わない言葉が出てくることがある。読んでいる人もそう感じている人はいると思う。結論がないままに次の話題に入ったりする。まあ個人ブログであればそこまでの完璧性を求めて読んでいる人はいないのかもだけど。これはわざとやっているわけでも面白くするために書いているわけでもないのだ。理路整然と書くことができない。これも俺の発達障害の一つの症状だ。

上手くまとめてから書けと言われたらものすごく時間がかかってしまう。話しがあっちこっちに飛んでしまうのだ。挙句の果てにテーマを決めていても最後には違う話しになっていたりもする。それが嫌になってきて書くのを辞めてしまうだろう。だが、上手くまとめて書こうなんていう気はない。それが俺の文章であり言葉なのだから。人と同じように書けなくても落ち込む必要はない。それを良いと思う人もいれば、読み心地が悪いと感じる人もいる。読み手の自由なので、どう感じてもらっても構わない。

自分で上手く書くことができない。だから仕事ではプロのライターに書いてもらう。そっれまで自分でやろうとすると苦しくなる。できないことはできる人に頼めばいい。もちろん金はかかるが、それだけの予算をもらえる仕事を取れば良いだけだ。自分の取り分ばかり考えていたら大きい仕事なんてできないぞいと。

胸を張っていえるものではないが、これでもだいぶマシにはなってきているのだ。とは言ってもすぐに書けるようになったわけではない。書くことを諦めずに続けていたら書けるようになったのだ。それ以前の文章は本当にひどいものだった。上手くまとめる気はないと書いたけども文章を上手く書きたい気持ちはある。向上心として自分のスタイルのままに伝えられる文章を書きたいと思っている。難しい言葉なんて使えなくても良い。幼稚な文章だって構わない。文字で自分を表現できるようになりたい。思いを乗せた言葉を吐き出したい。その為に上手くなりたい。これは自分自身の探求だ。

誰かの真似ではなくて自分の言葉を。

自分の書く文章と人の書く文章を比較していたら俺は書くことを辞めてしまっていたと思う。だって、小説みたいに上手い人もいたり、すごくまとまってるなあっていう人もいたりするし、面白い文章を書く人もいる。そんな人達と比較してたら何もできなくなってしまう。だから俺は比較しない。俺が書ける言葉を自信を持って綴るんだ。

自分に集中することで自信はついてくる

自分に集中すること。それが他人との比較や人の目線というものを遮断してくれる。逆に比較したり人の目線が気になる時は自分自身に集中出来ていない時なのである。集中できないのは誰かや環境のせいにするのは自分が自分に集中できていないだけなのだ。その言い訳に人や環境のせいにするのはよろしくない。俺は誰かが近くにいると何もできなくなってしまう人間だった。人の目線や評価ばかりを気にしていたが自分に集中出来るようになってからはその苦しみから解放されたのだ。たとえ誰が見てようが俺は自分の思ったことを書く。笑われようがなんだろうが関係ない。自分に集中出来れば周りなど気にならなくなるのだ。

そこから吐き出された言葉に相手がどう反応するかなんて考えていたら何も言えなくなってしまう。良い反応。悪い反応。どちらだっていいじゃないか。選ぶのは相手だ。そんなことよりも自分にどれだけ集中できたのか。そっちの方が大事だ。相手のせいにしても何も始まらない。いつだって答えは自分自身の中にあるのだ。

周りに自分の自信を見せびらかすためにあるものではない。そういうことをするのは、逆に自分に自信がない、もしくは、自信に不安があるのうだろう。大きくみせるためか?人にみせびらかすための自信なんてまやかしの飾りにしか過ぎないのだ。自信なんていうのも自分の中のものだ。心の中にあれば良い。それが自然に行動に現れる。

まだこれからしばらく忙しい時間が続く。あまり皆さんのブログを読む時間が作れないが、思ったこと、感じたことをこのブログに書き綴っていく。

まず今日はこれぎり!

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